前日譚 転移前夜

 俺、浅野あさの 大河たいがはもともとFPSの上位勢だった。もちろん今も上位勢だが、どっちかというともはや惰性でやっているようなもんだ。

 今はゲームより、本来考えなきゃいけないことがある。それは、就職だ。

 あっという間に大学時代も終わって、みんな就職を考え始める時期。もちろん、それは俺も同じだ。しかし、普段からFPSばかりやっていたのがまずかった。

 どこからも内定をもらえないのだ。周りはちらちら聞く限り内定をもらってゲームを楽しんだり卒論に苦しんでいる中、自分だけ内定はもらえず、卒論には終われ、ゲームは逃がしてくれない。

 もちろん母親も毎回小言を言ってくるわけで、わかってるよ、なんて答えて不貞腐れたように部屋に戻るだけの日々。

 それだけでは何も変わらないのはわかっていながら、逃げるようにゲームに打ち込もうとする日々。そのせいか苛立ちは増えて、一緒にやる友達は減り、野良になって。それでも、ゲームをやり続けた。

 とはいえ、もちろん就職を継続しながら。本来はなぜ失敗したのか考えなきゃいけないはずなのに、それすらもゲームで逃げようとしていた。


 すでに深夜3時。今日は別に面接がないとはいえ、毎日こんな時間まで起きてゲームをやっていては生活リズムが崩れないわけがない。おかげさまで最近は起きたらお昼になっていることも増えた。

 布団に向かうたびに毎回そんなことを思うけれど、布団に入ると考えないようにしていたことも一気に頭に入ってきてしまうので、また見ないふりをして、すぐに寝ようとする。

 ゲームで興奮しっぱなしの頭、そして寝つけたのはさらに1時間ほど後だった。


 が起こったのもこんな感じの日で、特に前兆とかはなかった。お金がないことには何もできないのでバイトの申し込みをして、あとはほとんどゲームと食事を往復。あとはお風呂に入るかそんなもんで、布団に入るころには深夜3時。何も変わらない、そんな平凡な一日。

 そう思ったのに。


 目が覚めると、上には知らない天井。といっても真っ白とかじゃなくて、茶色い、おそらく木でできた天井。そして自分を見ている三十代前半くらいの痩せている女性。ふと自分の体を起こそうとするが、起きることはない。

 俺は、赤子に転生しているみたいだった。


 寝ているのは、おそらく藁か何かの上。その上によくわからないけど布が敷かれていて、その上に自分。ちょっと触り心地はざらざらしていて、お世辞にもいいとは言えない。

 少しして、母親が授乳をして、また寝る。


 この生活を続けて何日だろうか。まだ考える脳もないので、何日経ったのか結局よくわからない。寝るのも一日一回ではないから、なおさらか。

 聞こえるのは、男と女が怒鳴りあっている、そんな様子。女の声は今までにも幾度か聞いた、母親の声だ。となると、一度も見たことがない父親だろうか。父親なんて聞いたこともないからそんな言葉すらないが、そんなことを考えつつ、赤子であれど平和な様子でなさそうな事だけは感じ取っていた。

 そしてしばらくたって、ドカッって感じの木同士がぶつかるタイプの音と、少しして泣き出す女の声。

 それは、出会ったこともない父親がいなくなったことを示していた。


 そして数年が経ち、多少は喋れるようになった。あの頃よりたくさんの言葉を覚え、沢山のものを見て、沢山の現実を知った。

 父親がいない、一人親。当然貧しく、衣食住最低限困ってこそいないが服はボロボロ、食事は1日でパン1つ。家もボロボロで、木の壁に傷が無数にある。

 普段から子供に心配をかけさせないように仕事とかをいっぱいしているのか、一人でお昼にもかかわらず留守番をしている。何もすることがないのでパンをかじり、口に残しながら考え事をしたり横になったり。お世辞にも行儀がいいとは言えないが、こんな家なのでほかにすることもないのだ。

 そんな生活をさらに続けて1年ほど経ったころ、初めて外に出る機会ができた。母親の手をつなぎ、初めて外に出る。今まで見たことのない青い空、人のいる街並み、建物の石レンガ。そのすべてが新しくて情報量に混乱する。手を引かれているので何とか歩いている状態だ。


 そして辿り着いたのは、路地に入って少し歩いた、少し広めのスペース。何のためにあるかはわからないけど。そこで母親が立ち止まって、

「少しここで待ってて。すぐ戻ってくるから」


 母親の言葉を疑うことも、人が裏切ることも知らなかったので、頷いて、離れていく母親を見つめる。その背中には何もない。そう思っていたのは当時の自分だけかもしれないが。

 そして何時間経っただろう。いつも暇をつぶすのに使っていたパンも、お世辞にも気持ちよくはなかったが幸せだった寝るための布も、何もない。ずっと立っていると疲れる。少し壁に寄り掛かり、座る。


「お母さん、いつ戻ってくるのかなぁ。」

 幼心で思うが、帰ってくるわけもなく、そのまま月が昇る。今日は新月のようで、月が昇っている時間のはずだがとても暗い。

 そうして、俺は一人になった。そしていつからか、このころの記憶に蓋をしてしまった。

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