第2話-3
ロウリンに連れられてやってきたのは、皇帝陛下の椅子に最も近い座敷席の近くだった。
「――あなたは後宮の法度も御存知ないのですか?」
思ったよりすぐ近くから怒気を含んだ女性の声がした。
「
「彼女が
隣のロウリンが玲娜の肩をつつく。
ロウリン曰く、この今怒っている真紅の衣を纏った小柄な女性――彼女が蓉昭媛らしい。
歳は玲娜と同じくらいか。衣と同じ真紅の
蓉昭媛は白磁のような頬に朱を昇らせ、別の妃を睨んでいた。
「
「なにのこと、です?」
「惚けないでくださいまし。後宮に入られてもう
「蓉さま?」
蓉昭媛の怒りの矛先――琳美人と呼ばれた女性は、困惑顔で首を傾げている。
玲娜はすぐに状況が飲み込めた。
琳美人は赤い衣を纏っており――赤い衣は
琳美人は蓉昭媛に
しかし、琳美人はどうしたらいいのかわからない様子で周囲を見渡している。
「わたし……」
その様子、その顔立ちから、玲娜はすぐ察した。
琳美人は言葉がわからないのだ。
彼女は西方風の顔立ちをしていた。
琳美人は顔色悪く口を開く。
「(申し訳御座いません。私、何か間違いがあったのでしょうか? この服が原因ですか?)」
誰の援護も受けられないと悟ったのか、琳美人は諦めて母国語に頼ることにしたようだ。彼女の流暢な
「い、言いたいことがあるのなら游国の言葉で仰って」
「(侍女に用意して貰ったのですが、何か間違いがあったのですね?)」
「なんておっしゃってるのか私にはわかりませんわ」
双方噛み合わない会話が続く。見ているこちらが冷や冷やする会話だ。
游国の藩属国は国と呼べるものから民族、遊牧民を含めると
侍女に用意してもらったという琳美人の言葉を信じるなら、彼女は
彼女の侍女はどこにとあたりを見回すと、仄暗い笑みを浮かべて遠巻きに成り行きを見物する女官数名を見つけた。
――なんて酷い。
玲娜が憤っていると、蓉昭媛の横から別の妃が顔を出した。彼女もまた、異国の娘のようであった。
「蓉昭媛さま。わたし、波斯語、すこしわかります。琳美人、『赤い服、自分に合う色』て、言ってる」
「なんですって……?」
「……? なにです?」
嘘を吹き込むなど、どういう神経をしているのか。
こうなると泥沼である。蓉昭媛が捲し立てる様子を、周囲の妃が口元を隠して見物している。玲娜は知らず拳を握っていた。
ロウリンが憐れんだ目で蓉昭媛を一瞥する。
「蓉昭媛は悪い方じゃないのです。ただ、真面目過ぎるきらいがあるから、ちょっと融通が効かないと言いますか。今も見世物にされてることに気づいてないんでしょうね」
蓉昭媛の隣で場を掻き回した妃は、気色ばむ蓉昭媛を面白そうに見ている。多少言葉のわかる異国の娘は、游国の子女にすり寄れば立場を得ることができるのだ――嘘を吹き込んだこの娘のように。長いものには巻かれろ、と極東では言うのだとか。
「――これが游国後宮の現状です」
ロウリンの淡々とした声が玲娜の鼓膜を揺らす。
「先帝の頃より
「……」
「玲娜さんは恵まれているわ。言葉がわかるもの。虐められても言い返せる言葉があるだけ、あなたは生き残る力があると思う」
玲娜は黙って聞いていたが、違和感を感じてロウリンの顔を見る。
「あれ、なんで私の名前……」
「尚儀長から聞いたんです。語学に堪能な宮女がいるって聞いたものだから、一度会ってみたくなったんです」
玲娜は呆気に取られる。
全部わかっていて、この人は近づいてきたのか。
ロウリンは玲娜の腕に触る。
「異国から来たあなたから見て、あまり楽しい光景ではないでしょう」
今も尚、蓉昭媛らのやり取りは続いている。
ここで見て見ぬふりをすれば――それこそ、長いものには巻かれろ精神で生きていれば、細く長くやっていけるんだろう。目立たず、頭を下げて、侮辱や差別に耐えて。
――大人しく、目立たず、従順に、
出立のときに王より賜った言葉を思い出す。
ねえ、それでいいの――と己の中の自分が囁く。
玲娜は隣のロウリンを押して、前へ進み出る。
「玲娜さん?」
「言葉の壁を逆手に取って虐めるなんて許せないです」
玲娜は何のために勉強してきたのか。ただ楽しくて学んだ語学だが、
常に列強の脅威に晒され続け、昨日までいた隣人が明日には国外へ逃げていくような、そんな自国のためにいつか自分が役立てればと。
言葉は玲娜の世界を広げ、変えてくれたから。
言葉の壁は高い。文化の壁はより堅牢だ。
歩み寄る第一歩は、とてつもない勇気と努力がいることを、イルカンド国民は皆知っている。
琳美人は異国の地にありながら、この場も最初は游国語で対応しようとしていた。その努力を、蓉昭媛側は嘲笑うように切って捨てたのだ。玲娜はそれが許せなかった。
「あの!」
「――これは一体何事か」
玲娜が前へ出るのと、周囲が一斉に
皇帝陛下がお戻りになられたのだ。
玲娜は固まってしまった――二重の意味で。
なんと間の悪い時に前へ出てしまったのだろうという思いと――視線の先の游国皇帝がまさしく草原地帯で出逢った男であったからだ。
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