第2話-2
仕事に追われて、気づけば園遊会当日を迎えていた。
いつもは静寂に包まれている
何だろうと足を止めると、押し付けるように手渡された布の塊に首を傾げる。広げてみると、上下揃いの上衣と裳であった。玲娜は目を瞬かせる。
「わあ! こんな綺麗なお仕着せ、私が着てもいいんですか?」
「綺麗なって……別に普通でしょ?」
服を渡してくれた宮女が眉を寄せる。先日玲娜に園遊会の説明をしてくれた女性だ。名を
「今日の園遊会はそれを着なさい。化粧もちゃんとすること。いいわね?」
「け、化粧道具を持っていない場合は?」
「……私が貸すから、後でこっちに来なさい」
「すみません……」
なんて手触りのいい服だろう。ほつれも破れもない。
玲娜が上衣をまじまじと見つめていると、水漣が「まさか、あんた」と呟く。
「最初に支給された服以外、替えを持ってないとか言わないでしょうね?」
「替え……があるんですか?」
玲娜がきょとんとすると、水漣が愕然する。
「やっぱり! なんかいつも小汚いなって思ってたのよ!」
「いつも」
そう思われていたことは、少なからず心に刺さる。
水漣はぐわしと玲娜の肩を掴む。
「あるに決まってるでしょ!? なに、洗濯もせずに毎日同じもん着てんの!?」
「前日の晩に洗って干していたら翌日には乾くので、数日に一度は洗うようにしていますが」
「呆れた。あんた、わざと替えを渡されてないのよ。普通は数着くらい仕事着を持ってるものよ」
「そうなんですか!?」
知らなかった。道理で周りはいつも皺のない服を着ているわけだ。
玲娜は自身の服装を見下ろす。まだ一月しか経っていないのに、もうヨレヨレである。
「せっかくもとがいいんだから、そんな
「襤褸雑巾……」
酷い言われようだが、襤褸着であることは間違ってはいない。園遊会が終わったら、上に相談に行こう。
玲娜は水漣と分かれ、皆と同じように空いた
周りはほとんど見知らぬ顔ばかり。玲娜を物珍しそうな目で見てくる女達に居心地の悪さを覚える。
游国の人間は、皆黒髪に黒い目をしている。玲娜は髪色こそ濃茶で悪目立ちしないが、目の色は琥珀色。どこへ行っても人目を引く。西方から来ている人間は妃嬪には数名いるようだが、宮女ともなると見たことがない。
少なくとも玲娜は、イルカンドの人間以外会ったことがなかった。
目の前にいた宮女と視線が絡む。
ハッとして玲娜は頭を下げる。
「こ、こんにちは」
下っ端は誰に会ってもまず挨拶をしろと言われている。言いつけ通り礼をしたのだが、返事は返ってこなかった。
厳しいというか、八方塞がりというか。
扉をくぐり、中へ入ってすれ違う宮女に挨拶をしても、一瞥されるだけで見なかったことにされる。見えていないのかなと大きめの声で挨拶をすれば、
いやもうこれ、どうしろというのです?
玲娜は吹っ切れて、やけくそ気味にどでかい声で挨拶をしながら歩いて回るという手法で房室を横断することに決めたのだった。
*
園遊会は始まってしまえばなんてことない、ただの宴会だった。
初めこそ大勢の侍従を従えてやってきた皇帝陛下を遠目に拝見出来たが、玲娜の位置からでは最早顔なぞ豆粒の大きさ。この距離ではどんな人なのかわかりやしない。わかったのは、背が高そうだということくらいか。
陛下が腰を下ろせば、彼はあれよあれよと複数の寵妃らに囲まれてしまう。下っ端は瞬く間にそのご尊顔を拝謁する機会を失った。
まあいいか、こんなものだろう。
玲娜は諦めて園林の様子を観察することに集中した。
紅葉に彩られた大園林では池の周りを囲うように妃嬪の席が用意されている。その数およそ五十ほどか。いやはや、艶のある美女が居並ぶ様子はまさに天上界とも言うべきか。壮観という言葉がぴったりである。
妃嬪も位によって着飾り方が変わるようで、当たり前だが下位の妃ほど質素に、寵愛厚い高位の妃ほど豪奢になる。
使える色も位によって暗黙の了解があるらしく、
「あなた、綺麗ねぇ」
物思いに耽っていた玲娜は、突然横から声を掛けられたことで肩を揺らした。慌てで横を向く。
「は、え? 私ですか?」
「あら、言葉もわかるのね」
ふんわりと微笑む女は、服装からして女官だろう。女官は帯紐の色で所属がわかるはずなのだが、彼女は見たことのない色の紐を身に着けていた。
一体どこの人だろうか。
玲娜が帯紐を見ていることに気づいたのか、女は上衣で紐を隠すような動作をした。
「綺麗な人がいると思って、思わず声を掛けてしまったわ」
そんな、女を引っ掛ける常套句のような言葉を言われましても。
玲娜は戸惑いがちに自身の髪を触った。
玲娜の髪は未だかつてないほどカッチリと結い上げられている。
重いし、あとちょっとだけ痛い。
所詮下っ端宮女、ほとんど何もしないだろうと思っていたのだが、水漣があれこれと気を回してくれた。装飾品は
鏡越しに初めて仕上がりを見た際の感想は、頭を振り乱しても絶対に崩れなさそうだ、などと思ったことは、ここだけの秘密である。
「あなたはどこから来たの?」
彼女はロウリンと名乗った。字がわからないので、聞いたままで発音してみるが、果たして合っているのか不安である。
「尚儀局から参りました」
「ふふ、そうじゃなくて。出身の話」
玲娜は頬に朱がのぼるのを感じた。
「あっ、申し訳ありません。イルカンド王国より参りました」
「やっぱり外の方だったのね。イルカンドはここから遠いの?」
「ここまで馬車で一月かかりました」
「長旅だったわねぇ」
ロウリンはすらりとした長い手を胸の前で合わせる。
真っ直ぐな黒髪にきゅっと上がった目尻、薄い唇。柔らかな口調が彼女の清廉な容姿を引き立てている。
後宮のなよやかな空気にロウリンはとても馴染んでいた。細く白い手はどう見ても下級の女官のそれではなく、どんな立場の人間なのだろうと疑問が募る。
「ねえ、あなたも食べる?」
ロウリンがそっと菓子の包みを差し出してきた。ぎょっとして玲娜が固まると、ロウリンが笑い声を上げる。
「園遊会のおこぼれよ。毎回恒例なの。上も公認だから、食べても大丈夫よ」
見渡すと、確かに他の宮女もこそこそと口に菓子を運んでいた。余った菓子が下に回ってきているのだろう。
ロウリンが包みを差し出してきたので、玲娜は例を言って中身を摘む。ころりとした丸みのある花の形をしたそれは、食べるのが勿体ないくらいに可愛らしい。
菓子を頬張る玲娜をロウリンがじっと見つめる。
「ね、あなたってかなり良いところの生まれじゃないからしら」
「へ?」
「食べる時って一番生まれが出るものよ」
玲娜は菓子を食べかけていた手を止め、ロウリンと自身の手元を交互に見る。自国ではそこまで不自由のない生活をしていたと思うが、游国の裕福という基準に当て嵌めて見れば、そこまでではないと思う。
「……私、もしかして何か変でした?」
「そんなことないわ。食べ方が綺麗だと思っただけよ」
観察されているような気がして、非常に食べづらい。
玲娜が迷って桂花糕を手元に戻すとロウリンは高らかに笑った。
「あなた可愛い人ね!」
「か、からかってます?」
「いいえ。褒めてるのよ」
背を軽く叩かれ、菓子に
口元を拭っていると、遠くで言い争うような声が聞こえた。方角的に――陛下の御座あたりか。陛下が一時退席したのが遠目に確認できた直後だった。怒声は双方女性のものだ。遠くにいる玲娜達のもとにも届くなんて、かなり白熱しているのだろう。
「喧嘩でしょうか」
「でしょうねぇ。よくあることよ」
ここまで派手な喧嘩がよくあるで済まされていいものなのか。玲娜がそろりとロウリンを見やると、彼女の口端が持ち上がった。
「見に行きたい?」
「えっ?」
「声から察するに、相手は
「え、ええ? いえ、私は――」
ロウリンに腕を取られ、玲娜は引っ張られる。
「この後宮がどんな場所か知る良い機会よ。見て損はないわ」
野次馬が過ぎるのではと思ったが、よく見ると周りの反応も似たようなもので、興味半分といった顔をして遠巻きに眺めたり、耳をそばだてている者が大半だった。
玲娜はロウリンに無理やり連れられる形で園林の隅から離れていく。
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