第2話-1 後宮という場所






 それから一月ひとつきの旅路の後、イルカンド朝貢使ちょうこうしはようやくゆう国首都閑陽かんようへ到着した。

 賊に襲われた荷は荒れてはいたが、車と中身は無事であった。荷の立て直しに時間は掛かったが、ほぼ予定通りに入城できたので上々であろう。

 

 礼節をもって王城へ迎え入れられ、游国は貢物を入貢にゅうこうした。荷車の台数が倍になるほどの宝物を下賜され、朝貢使は数日の滞在の後、帰国の途についた。

 皇城の門からその後ろ姿を見送り――後宮へ献上されたリーナ達は、その日よりまさしく游国の女となった。


 異国の地に残された女達は、早速後宮へと足を踏み入れた。

 ゆう国後宮は現在百名余りの妃嬪ひひんを抱え、うち藩属国はんぞくこくから献上された妃は十余名だという。

 後宮を支え妃嬪の世話を勤める人間は、およそ千人。それだけの人数を抱える場所となると、とてつもなく広い。流石と言わざるを得ない、豪華絢爛の殿舎がのきを連ねていた。

 

 しかしリーナ達が連れてこられたのは宮城きゅうじょうの正門たる午門ごもんを抜けた先の古ぼけた小さな殿舎だった。

 真っ裸にされ、持ち込む荷を確認され――一通りの検問を抜けて、ようやくお仕着せを渡された。


「私達、女官じゃないっぽい……?」


 アイシャが横で着替えながら聞いてくるのでリーナも小声で答える。周囲では女官と思しき女達が眼光鋭くリーナ達を監視している。


宮女きゅうじょっていう下働きになるらしいわ」


 渡された衣類はあっちにこっちに紐がついており、被るだけのイルカンドの服とは構造が全く違う。仲間同士でなんとか着付けていると、後からやってきた女官数名に怒鳴られる。


「遅い! 早くなさい!」


 理不尽極まりない。

 しかしこの扱われ様、リーナ達の立場というのが見えてきた。


 ほぼ奴隷と変わりがない――いや、こちらでは奴隷とは呼ばず奴婢ぬひ家人けにんというのだったか。


 良い待遇は受けられないことを悟り、リーナはこれからの生活に気が重くなった。




 ◇◇◇




 しかし、絶望するばかりではなかった。

 

玲娜リーナ、片付けが終わったら庁堂ひろまへ来なさい。長官から皆に通達がある」 

「はい、かしこまりました。司賓司しひんしさま」


 後宮へ入っておよそ半月。

 各部署へと回されたイルカンドの女達は、配属された場所で精一杯励んでいた。その大半が水仕事や掃除中心の下働きであったのだが、玲娜は多少の優遇があった。

  

 やはり言葉がわかるというのは強みなのだ。

 

 おかげで玲娜は尚儀局しょうぎきょくという部署の司賓しひんに連なる宮女として身を置かせてもらっている。

 尚儀局は礼楽を司る部署、司賓は賓客に対応する部署である。宮中行事や式典で動く後宮内の部署で、外の人間とのやり取りも多い。玲娜の語学力を尚儀長が高く買ってくれたらしく、後宮へ入って間もなく今の場所へ引き立てられた。

 

 ちなみに呼ばれた名の通り、リーナは玲娜という呼び名に変わった。

 游国の文字をあてた名なのだが、イルカンドの発音と違うため音の聞こえも少し違う。どちらからと言えば『リナ』という音に近かった。


「はあ……私は幸運な方だわ」

  

 右も左もわからず困惑しきりの同僚達を見て、玲娜は吐息する。

 艾莎アイシャ尚功局しこうきょくという衣類の仕立てを受け持つ部署に回されたらしい。一日中染色の水洗いをしているらしく、いつか手が水に溶けてなくなりそう、とは本人談である。

 玲娜はあちこちに散らばる書類をまとめ、手早く掃除を済ませる。


「庁堂ってどこだっけ?」


 殿舎と殿舎を繋ぐ走廊ろうかをできる限り早足で抜ける。誰かとすれ違う度に足を止めて頭を下げねばならないため、急がねば遅刻する。角を曲がりかけたところで、玲娜は何かにつまづいて前へ転ぶ。 

 

「あらあら可哀想」


 振り返ると、玲娜よりいくつか年上の游国女官数名が忍び笑いをしながら通り過ぎていく。侮蔑も露わなその視線に、わざと足を引っ掛けられたのだと悟る。

 

「異人の奴婢なんて出世も望めないのに、何のために頑張るんだか」

「使い潰しの駒だものねぇ」


 玲娜は裾を払うと女官が通り過ぎるまで頭を下げてやり過ごす。

 陰口なんてここへ来てから毎日のように聞いている。言葉がわかる分、恵まれていることもあるが辛いこともある。内容がわからなければこうして心を傷つけられることもないのに。

 俯いていても仕方がない。生きていくためには何事も飲み込んで頑張らなくては。

 玲娜が立ち上がると、走廊の端から司賓の宮女が出入りしているのが見えた。見つけた、あそこが庁堂だ。


 中へ入ると、既に他の宮女は揃っていた。玲娜が最後尾へ並ぶと、ちょうど前へ出てきた女官が秋の園遊会について説明を始めた。

 恒例の宮中行事らしく周りは心得顔で聞いているが、玲娜にはほとんど理解できない。首を傾げていると、玲娜の肩を隣の宮女がつついてくる。


「あんた、わかる?」

「あんまり……園遊会って何をする場なんでしょうか?」


 宮女は目だけでこちらを向く。

 こちらの様子を伺うような顔をしており、馬鹿にしたような雰囲気はない。親切心から教えてくれるようだ。

 

「皇帝陛下や妃嬪ひひんの方々が園林にわを散策なさったり菓子を食べたり、お話されたりなさる場よ」

「会食ってことでしょうか?」

「間違ってはないけど、外で催されるのよ」

「なるほど……?」

 

 玲娜が首を傾けると、宮女が口早に説明してくれる。

 年四度、後宮の大園林だいていえんで園遊会は催され、今回は秋の園遊会となるそうだ。

 妃嬪の位は、四夫人たる貴妃きひ淑妃しゅくひ徳妃とくひ賢妃けんぴを筆頭に、九嬪きゅうひん、二十七世婦せいふ、八十一御妻ぎょさいの並びで位を得る。

 世婦以下の位の妃嬪は位の中で四半分に分けられ、それぞれ春夏秋冬に一度列席を求められるそうな。

  

「じゃあ妃嬪の方がたくさんご参加されるんですね」

「そうよ。私達は当日その世話をしないといけないの」

「わあ! 妃嬪の皆様を近くで見れるんですか!」


 普段雑用をしている自分が後宮の奥方達を一度に見ることができる貴重な機会だ。きっと華やかな場になるに違いない。

 目を輝かす玲娜に宮女は呆れたように肩をすくめる。


「そうだけど。能天気ねぇ、粗相をすれば文字通り首が飛ぶわよ」


 前に立つ女官が当日の割り振りを話し始めた。玲娜は当日の様子を思い浮かべ、胸を高鳴らせた。


 

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