第一章 第三話 ウワサと陰キャと委員長

 翌朝になって眠りから目覚めてみれば、昨晩のちょっとした不安は拭い去られていた。

 重たい瞼を無理やり開いてスマホを確認する。


「……げつようび」


 月曜日。

 それは悪魔の別の呼び名。

 世間一般的に「最悪何もしなくても大丈夫」と銘打たれている日曜日君から一方的に別れを告げられ、呼んでもいないのにやって来る冥府の覇王、それが月曜日だ。


 昨晩、いつも通りに楽しく配信していた虹野ユウ———もとい、本名・永野裕大は、実のところ高校二年生であるのだ。

 月曜日となれば、祝日でもない限りは学校に登校し、地獄の一週間への片道切符を切りに行かなければならない。でなければ社会的に死ぬ。

 やはりリアルに価値なんてない。


 「だるい」、「めんどい」など毎週恒例ともなった呪詛吐き出しタイムを終えつつ、重たい腰をベッドから上げて制服に着替える。

 アカウントのフォロワーが50万人を越えたからといって、俺の私生活にはなんの影響も与えやしない。何か上げるにしても精々、昨日の投げ銭がいつもより多かったことぐらいだ。まぁありがたいことなんですけどね~。



 制服に着替え終わり、自室の扉を開けたのと同時刻——————玄関の鍵の開く音が。




「あぁ、裕大おはよう。今起きたの?」

「…………うん、おはよ」

「余り物のお惣菜パン貰って来たから、これ朝とお昼に食べて」

「……わかった」



 目の前に置かれたレジ袋には、消味期限が残り一時間あるいは二時間ほどの総菜パンが5、6個入っていた。

 ———いやいや、昼まで保つわけがないやんけ。消費期限じゃなくてよかったぜ。


 そんな賞味期限が世紀末なパンを持ってきたのは、見紛うことなき俺の実母だ。

 毎日のように夜勤に勤め、学生の俺とは見事に生活リズムの逆転したかのお方は、女手一つで今まで育ててくれた大恩人。そんでもって、配信者としての活動を尊重し、陰ながら応援をしてくれている良き理解者なのだ。



「…………じゃあコロッケとクリームで」


 袋の封を破って、ゆっくりと咀嚼する。

 余談だけど、なんでコロッケパン食べるとこんなに喉乾くんだろうね。

 数か月前に配信の企画で『コロッケパンって飲み物なしでいくつ食べれるんだろうね』つって検証してみたんだけど、一個目を食べ終わったタイミングで咳が止まらなくなっちった。てへへ。


 閑話休題。

 しっかりと飲み物も摂取しつつ、クリームパンも平らげる。朝の栄養補給完了。

 昼飯にはサンドイッチをもらっていきましょうかね~。




「…………んじゃ、行ってくる」

「あいよ~」


 あれ、気付きました?

 そうなんです、リアルの俺ってそこそこ不愛想なんですわよ。おほほ。

 俺ってばネット弁慶すぎるからね。仕方ないね。


 ……だからといって、この性格を直す気はない。

 俺の居場所はヘキサバースにしかないし、学校に通うのだって配信のネタ探しぐらいとしか捉えていない。

 永野裕大にとってのリアルなんてそんなものだ。

 だから、母親との会話が多少ぎこちなくとも、何ら問題はない。

 俺と母の関係性は、今ぐらいがちょうどいい。




 ◆◆◆




 それは自宅であろうと、学校であろうと変わらない。

 教室の扉を開けても、誰一人として挨拶してこないし、俺からも挨拶なんてしない。

 我ながら陰キャが極まってる。ちなみに全く気にしてなんていない。寂しくないもん。


 教室の窓際、その最奥———教室の電気スイッチの対角線上に俺の座席がある。

 一番後ろの席は気楽……そう思っていた時期が私にもありました。しかしながら、後ろの席の方が先生たちの視界には映りやすいそうですよ。お陰様で居眠りに対する注意が4割増しです。

 ちなみに隣の席がクラスで一番の美少女とかそういうこともない。座っているのは真面目そうな眼鏡男子くんです。



「んなぁ聞いたか、虹野ユウ50万人いったってよ」

「すげえなぁ【サブカル】の主。コメ欄の民度そこそこ良いもんな」

「俺のおすすめは萌葉原さんだぞ! おっぱいおっきいし!!」


 席へと向かう途中で、そんな会話が聞こえて来た。

 ったく人気者は辛いぜ。

 …………とは言ったものの、俺が虹野ユウの中の人であることは母親以外には伝えていない。そのせいかお小遣いをもらえなくなりました。まぁ俺が母に数割プレゼントしてるくらいなんですけどね。日頃の感謝ですわね。

 リアルでもこういう会話が聞こえてくるあたり、あんまり感じづらいけど、ヘキサバースの配信って人気コンテンツなんだよなぁ。




「ねぇ、永野君」

「…………ふぇ?」


 人間、不意を突かれると奇妙な鳴き声が出るんですね。

 凛と響く通りの良い声は、一定の冷たさを伴って、俺の鼓膜を突き刺した。



「……なんだよ、弦嶋」

「『なんだよ』じゃないでしょ、生徒会のアンケート持ってきた?」


 あ、やべ、忘れちまった。

 緊急クエスト:この状況をどうにかして切り抜けましょう。


「あんけぇとぉ??」

「それはわかってる人のとぼけ方じゃないかしら」

「あんでっとぉ??」

「それは不死身のことでしょ」

「くらりねっとぉ??」

「あなた吹けないでしょ」

「あんぜんねっとぉ??」

「私で遊んでるわよねそうなのよねぶっ飛ばすわよ」


 どうやら年貢の納め時みたいです。


「自白しますよ、忘れましたよ、だって興味ないですからねぇ」

「だとしても提出するものでしょ。生徒会の活動は全校生徒に関係あるんだから」

「ふぇぇぇ学級委員長様は真面目だにゃぁぁぁ」

「ずっと私のこと舐め腐ってるわよね」



 俺の在籍する2年A組の学級委員長、それがこの“弦嶋六花”である。

 黒髪をポニーテールでまとめ、起伏の控えめな体躯で制服をキッチリと着こなしている。

 1年の頃から連続で同じクラスである彼女は、何かと俺に突っかかって来るのだが……十中八九、俺の生活態度が悪いからですね。

 そんな品行方正と清廉潔白を地で行くようなご立派なお人なのだ。


 そこまでアンケート用紙が欲しいんだったら……欲しけりゃくれてやる! 探せ! この世の全てのアンケート(誇張表現)をそこ(自宅)に置いてきた!!



「……仕方ないわね、はい」


 ——————!!

 俺の机に現れたのは、生徒会のアンケート用紙だった。

 あれれれれ弦嶋さん用紙持ってるじゃないですか。


「どうせ忘れるだろうと思ってたから、生徒会からもらってきたのよ。今書いて今渡して……」

「…………ぁい」


 人間、不意を突かれると奇妙な鳴き声が(以下略)。

 なんだかんだ優しいのが弦嶋さんです。さすが委員長。




「……まったくもう」

「———あのぉ、そう言ってるくせして、結構面倒見、良いですよね……」


 唐突に増えた声色。しかし特徴的な暗い声を聞き間違える人間は、このクラスにはいないだろう。


「……どうもです、アンケート、書いてきたんで……」

「あぁ、ありがとう秋山さん」



 秋山伊奈帆———このクラスにおいては俺と並んで『2年A組のダブル陰キャヲタク』の異名をほしいままにする(してない、誰も言ってない、誰も言ってなくてちょっと安心)同級生の女子だ。

 長すぎる前髪と猫背、そんでもって声が小さめな上に会話がたどたどしいため、俺と同じくボッチ飯を囲んでいるタイプの人間だ。ちなみに隠れ巨乳との噂アリ。興味ないけどね。本当よ。おっぱいなんかに関心ゼロよ。おっぱい好き。

 陰キャはアンケートを忘れてくるジンクスでもあるのだろうか。



「……委員長さん」

「何かしら?」

「永野くんのこと……お気に入りだったりするんですか……?」

「———————————はへ?」


 人間、不意を突かれると(以下略)。

 ちなみに今の声の主は俺ではなく弦嶋だ。


「なっ、ななななななんでそんなことを!!」

「……ラブコメの波動がしました……ぐへへ……」

「凄い顔してるわよ」

「……自分、そういうの大好物なんで変な顔もしますよ……んで、ちなみに?」

「…………声が似てるのよ」

「……誰とです?」

「私の恩人と…………ってこの話はもういいでしょ!」



 色々と二人で会話していたようだったが、アンケートに集中していたために気に留めていなかった。

 しかしながら弦嶋委員長のお陰で助かった。もしかしたら教師が出張ることになっていたかと思うと、ゾッとしちまうぜ。


「ふい委員長、『いつもありがとうな~』」

「…………!!」

「……? どうしたの秋山さん?」


 俺がアンケートを弦嶋に渡した途端、秋山の目が大きく開かれた……ように見えた。

 まぁ気のせいでしょうに。


「……び、びっくりした……」

「だからどうしたのよ?」

「…………い、いやいや……あ、そういえば永野殿」


 ちなみに秋山は俺のことを『殿』を付けて呼ぶ。マジで古のヲタクかっつーの。

 陰キャヲタク仲間ということで、勝手に同士認定されているらしい。

 そういえば“アイツ”もコラボした時、虹野ユウのことを『虹野殿』って呼んでたな。



「……聞きましたか? ……ヘキサ内で変なマスコットが現れた、とかなんとか……」

「変なマスコット??」

「……ピンクのボールみたいな形状してるらしいです……手足も丸っこいとか」

「なんでも吸い込んでコピーするピンク色の人気キャラクターさんかよ」

「それなら私も聞いたわね。なんでも『我のことを見ろ!』とか『我は神様だぞ!』とかイタいこと言ってるとか」

「イベントのNPCか?」

「……その割には何の情報もくれないらしいです……みんな無視してるとか……」


 ヘキサバースのアバターは、原則として人型の枠を脱しない。

 デフォルメキャラみたく2頭身だったりはするのだが、某人気ゲームキャラクターみたいな1頭身ボディに手足が生えたアバターは作りたくても作れないのだ。

 そういう場合は原則として、ヘキサバース公式が設定したNPCであることがほとんどだ。

 ———しかし何の情報もくれないとか、運営は気が狂ったんだろうか。



「しかし、弦嶋がそんなオカルト話知ってるなんてな」

「え!? えっと……えっと……」


 唐突に陰キャみたいになったな。

 陰キャ二人に挟まれるとコミュ障が感染するのか? リバーシのシステムなのか?


「えっと、ファン……じゃなくて!! 友達から聞いたのよ……!! そりゃ、私だってヘキサ使うし、知っておいて損はないかと思って!!」

「どうどう……委員長さん、どうどう……」


 秋山が弦嶋をなだめている。なんだこの状況。




 ——————しかしながら、この時の俺には考えもしなかっただろう。

 そのマスコットもどきとの出会いが、俺の配信活動をあれほど大きく変えるだなんて。



「だっ、だから、ファンからじゃないから! 友達からだから!! わかってる!?」

「……わ、わかってますって……どうどう……どうどう……」


 秋山が弦嶋をなだめている。なんだこの状況。

 あと俺、自分が思ってるほど不愛想じゃねえな。




 ◆◆◆




 その日の晩のこと。

 俺は見事にフラグを回収しちゃいました。しかもネットショッピングの途中に。



「おい! 貴様!! 我のことを認知しろ!!」

「承認欲求の怪物かよ」

「何を言うとるのだ!! 我は神様だ!! 婦警であるぞ!!」

「それは婦人警官だ」

「府警であるぞ……?」

「ここは関西ではないぞ」

「…………父兄だぞ……??」

「これ文章じゃねぇと伝わらへんがな」


 不敬———敬いが足りないってことを言いたいんだろうな。

 にしても締まらない出会い方してるなぁ。

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