十九.世界がつむぐ、祝福のうた
やはり、予想は当たっていた。ハルの紹介が不満だったのか、クォームと呼ばれた彼は細い眉をつりあげて口を
「
「ま、おまえ威光も威厳もねぇし」
「は? なんだとシエラっ!」
黙っていれば
止めたほうがいいのだろうか。
「うるさい奴ですまないね。でも、楽しいだろう?」
村に留まれば、静かで穏やかな日々を送れただろう。孤独だったときとは違い、温かい幸せに包まれて生きられたのかもしれない。でも彼女は故郷と家族を離れ、ハルと一緒に生きることを選んだ。ならばこの先は自身にも予想のつかない、波乱に満ちた生となるだろう。
楽しいだけではないはずだ。不安も、心配も、心乱される出来事だってたくさん起きるに違いない。今は助けられるばかりの自分もいつかはハルの助けになれるだろうか。誓いの通り、生涯ずっと寄り添えるだろうか。
「ええ、……楽しい」
心にあふれた想いが笑顔となって、唇からこぼれた。ほんの数週間前は自分がこんなふうに笑える日が来るなど予想もしていなかった、のに。明日が、未来が、こんなに待ち遠しく思えるなんて。
愛おしげに目を細めて、ハルが見つめ返してくれる。この日々が永遠には続かなくても、生きている限り彼を愛そうと心に決めた――その時だった。儀式の始まりからずっと黙って見守っていた弟のアスラが、ふいに駆け寄ってきたのだ。
「姉さん」
「どうしたの、アスラ」
ひどく思い詰めたような声に、胸騒ぎを覚える。会堂で婚約が決まったときから今日まで弟は様子がおかしかった。村のことと自分の準備で慌ただしかったとはいえ、もっと寄り添ってやるべきだったかもしれない。
揺らぐ姉心を抑え、努めて笑顔をつくると、ティリーアは一旦ハルから離れ、立ち尽くす弟と向き合った。硬い表情ではあるものの、怒っているとか悲しんでいるというわけではなさそうだが――。
「姉さんへ、ぼくからの贈り物」
ぐ、と目の前に合わせた両手を差し出され、心配が戸惑いへ変わる。それでも、ティリーアは笑顔のまま両てのひらを差し出した。アスラはなぜか意を決したように眉を寄せ、姉の掌上にふわりとそれを解放した。
「……え?」
思わず口からこぼれたのは、困惑。弟がてのひらに落としたものは一握の砂だった。きらきらと銀光を放ち、溶けるように手の上から消えてゆく。
驚いたのは、ハルや他の司竜たちもだったのだろう、ティリーアの耳に聞こえてきたのは銀竜クォームの驚いたような声だった。
「『
「これはぼくから、姉さんへの贈り物です。姉さん、どうか、永遠に生きて、永遠に幸せになって。ハルさん、姉さんを幸せにしてください。ぼくは、姉さんに永遠の時をあげる」
疑問に思う間も与えずアスラは一気にまくし立て、真剣な目で見上げてくる。思いの
幼い『時の司竜』より贈られた破格の祝福。これを、素直に喜んでいいのだろうか。理性は疑問を呈しつつも、悲しみゆえではない涙があふれてきて止まらない。幸せに、そう願われたということが、ただ嬉しかった。銀砂の余韻が残る手のひらを胸に押し当て、声にならない声で「ありがとう」と返すのが精一杯だった。
ハルがアスラの前に身を屈め、視線を合わせる。覚悟を決めたような弟と何か言いたげな様子のハル、しばし無言で見合ってから、彼はその大きな手をアスラの頭に置いた。
「ありがとう、約束する」
「おい、ハルいいのかよ……うぁっ」
クォームはまだ言いたいことがあるようだが、シエラは阻止したいらしい。一抹の不穏を感じさせる彼らのやり取りにティリーアが口を挟むことはできないが、心に留めておこうと考える。
魔法に疎いティリーアは、永遠の時が自分にどんな変化をもたらすのか想像できなかった。弟の口振りからすれば、竜族と変わらぬ寿命を与えられたのかもしれない。歳とともに老いることも寿命が尽きて先立つこともなく、ハルと一緒に文字通り永遠に、幸せな時間を過ごすことができるのだろう。
ふいになぜか彼を見送る可能性が脳裏をよぎり、ティリーアは心中で
それでも――今は。
想いを込めて目を向ければ、ハルは頷いて立ち上がった。彼の手が指に絡み、少年のように輝く瞳が笑みを含んだ声で誘いかける。
「踊ろう、ティリーア。音楽も何もないが、構わない。樹々の葉ずれと風の渡る音で十分だ。さあ!」
「でも、わたし、ダンスなんて」
弱い抗議は聞き入れてもらえず、ハルに優しく手を引かれて、ティリーアは危なっかしい足取りながらも一歩、もう一歩と足を踏み出した。
想像していたよりもゆったりとした、それでいて自由なリズム。そよぐ風と草葉のざわめきを伴奏の代わりに、手を取るハルの動きに合わせてティリーアも踊る。
最初はついてゆくのに必死でも慣れてくればどんどん楽しくなって、ハルを見つめ夢中で踊っていた彼女は、周りに起きていた変化に気づかずにいた。
「大丈夫。姉さんとハルさんを祝福しているのは、ぼくたちだけじゃない」
「当たり前じゃん、ハルなんだからさっ」
涙声の弟と、被せるように声を張り上げるクォーム。つられ見て、ティリーアはその光景に言葉を失う。いつも間にか――木陰に、葉の陰に、木立の間に、森に住むあらゆる種類の獣や鳥たちが、輪を描くふたりを見守るかのように集まっていたのだ。
さすがのハルにも予想外だったのだろう。
ひとり訳知り顔で笑っていたシエラが表情を取り直し、すっと手を掲げた。運命を導く銀河の竜である彼は、みずからこの場を仕切ることにしたのだろう。厳かな口調で歌うように語り出す。
「銀河にある、数えきれない幾千、幾万、幾億の星たち。そのすべてがおまえたちの味方だ。何があっても、どんな時でも、おれとここにいるおまえたちの仲間が、
これまでずっと――自分の生は、運命に見放されたと思っていた。弟だけが、味方でいてくれれば、と。最低限の活動を営み、両親に迷惑を掛けぬようひっそり生きて、孤独に生を終えるのだろうと。誰かが味方になってくれるとか、ましてや祝福されることがあるだなんて、期待などせず想像すらしなかった。
胸が熱くなり、涙があふれる。
滲んだ視界でハルを見上げれば、彼の目にも涙が浮かんでいるのがわかった。強く、賢く、いつも穏やかで……実はとても感情豊かなひと。感極まったように「ありがとう」と繰り返す姿に、彼も自分とそう違わないのかもしれない――と思う。
妻として、一人の女性として、これからこのひとを支えてゆくのだと、
「踊りましょう? ハルさま」
「……ああ」
思い切って誘いかければ、彼も笑顔で応じてくれる。ハルが導くダンスに少し慣れてきた今、もうこの一歩を怖がることはしない。
よろけても、彼が支えてくれると知ったから。
家族と、友と、世界が、ふたりを祝福してくれているとわかっているから。
あたたかな木漏れ日が彩る森の中、風と葉ずれと小鳥たちのさえずりを音楽の代わりにして、ささやかな祝儀は日が暮れるまで続いたのだった。
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