十八.永遠を誓うことば


 あの会合はティリーアの人生を大きく変えたが、村にとっても変化の時となった。村長むらおさをはじめとして指導的立場にあった幾人かが村を出てゆき、新たなおさを立てる必要が生じたからだ。

 これまで数百年ずっと従うことに慣れてきた村だ。状況の変化に順応できる者はそれほど多くない。結局ハルとリュライオ、そしてシエラはその後数日村に留まり、新たな方針が固まるまで皆の相談に乗ることにした。

 自分が切っ掛けをもたらしただけに、見ぬ振りもできなかったのだろう。連日話し合いを重ねたのち、このまま村へ留まろうかと提案したハルに、しかし父ははっきり答えた。


「私たちが、この村を支えていきます。貴方は私たちを、何より娘を解放してくださった。そのご恩に報いるためにも、今度は私たちが貴方に教えられたことを伝えていきます。ここにとらわれず、どうか成すべきことをなさってください」


 ハルが以前、古い価値観に凝り固まった世界を変えたいと話していたことをティリーアは思い出していた。世界にはまだ、自分のようにつらい思いをしながら生きているひとが沢山いるのだろう。

 変化をもたらすのも、受け入れるのも、楽なことではない。それでも、父や残った村のひとたちはハルの指針を受け入れて、村を変えようとしている。一年後、十年後、百年後――ここは大きく変わっているだろう。きっと、良い方向へ。


 家族と過ごす最後の夜には、ささやかな祝宴が開かれた。結婚式や出産などの慶事は村長むらおさ采配さいはいするのだが、今はまだそういう状況ではない。特に親しい友もいないティリーアにとっては、家族とハルの友たちが準備してくれたささやかな祝いの食事で十分だった。

 別れは寂しいが、ハルは空間転移テレポートの魔法が使えるので、予定さえ合わせればいつでも会える。何なら村が落ち着いた頃合いに改めて披露宴を開いてもいい。両親とハルはそのつもりだったようだが――。


「僕も、姉さんと一緒にいくから!」


 何の脈絡もなく弟が宣言をしたので、父とハルは酔いも覚めたような顔になり、母は青ざめた。その後、両親とリュライオが懸命に説得するも弟は聞き分けず――弟も転移魔法が使えるので両親では止められないのだ――押し切られる形で同行が決まったのだった。

 母はもう以前のように、息子へ依存してはいない。どちらかというと今は父が、母にとっての支えになっているようだから大丈夫だろう。

 新婚の姉の元へ弟が押しかけるのもどうかとは思うが、ティリーアとしては困惑もなかった。きっと、そうなろうだろうと予想していたからだ。




 

 きらめく木漏れ日が、森のひらけた場所に立つふたりをいろどる。両親と別れを済ませ、手荷物を仮の住まいに置いてから、ハルはティリーアをどこかの森へと連れ出した。村の風習に則った式ではないが、どうしても誓いの儀式を行ないたいのだという。

 光をべる竜のおさとはいえ、ハルにはどの国にも属さない。すべてを魔法でまかなえるということは、金銭を必要としないということだ。ほぼ身ひとつで各地を巡っている彼は誰かに与えられる物品がないのだと、ティリーアはこの数日で実感していた。


 世の乙女たちは、美しい花嫁衣装や誓いの指輪に憧れるのかもしれない。飾り立てられた会場で多くの親族や友に祝福され、花吹雪を浴びながら誓いの儀式を行なうこと、それが幸せだと思うのかもしれない。

 今のティリーアは質素なワンピース、ハルは普段と変わらぬ衣装だ。それでも、季節の花が咲き乱れた森の広場は十分美しく、場に集う三にん――アスラ、リュライオ、シエラは自分たちを心から祝福してくれている。

 何より、手を伸ばせば届く場所に自分を愛してくれるひとがいて、優しい微笑みを向けていること。もはや忌み子ではなく、わざわいの源でもない、未来を祝福されたひとりの女性として式に臨めるということ。これ以上、何を望むというのだろう。


 アスラが編んでくれた花冠を被り、ティリーアもハルへ笑いかけた。上手に笑顔をつくれているかは自信がないが、今は以前とは違ってとても自然に微笑むことができる。あたたかで幸せなこころ陽光ひかりのように心を満たしているからかもしれない。

 少し前までは想像もできなかった現実が眩しく思えて、ティリーアはそっと俯いた。ややあって、歩み寄ったハルがその長い指で頰に触れ、彼女を導くように上向かせる。


「指輪は用意できなかったけれど、俺は君に永遠の愛をあげよう」


 吐息を感じるほど近く囁かれ、ティリーアは目を閉じた。触れるだけのくちづけに、互いの息が混じり合う。遠慮がちな拍手が響き、おそらくシエラだろう――揶揄からかうような口笛が聞こえた。誓いのくちづけだとはいえふたりきりではない現実を実感して、頰と耳が熱くなってゆく。

 これは、儀式なのだ。照れている場合ではない……自分もことばを返さなくては。


「わたしも、……ずっと一緒に、生きている限り一緒にいます」


 聞き届けたハルは本当に幸せそうに笑い、腕を伸ばして優しく彼女を抱きしめた。胸がいっぱいになって、今にも泣き出してしまいそうな気分だ。

 自分の中にこれほど深くやわらかな感情が眠っていたなんて、彼に出逢うまで思いもしなかった。派手なものも、高価なものも、そんなものなくても、きっとこの先には幸せに満ちた日々が待ち受けていると信じられる。


 愛おしいひとの腕の中で夢心地になっていたティリーアだが、ふいにハルが頭上でこぼした呟きに、我に返った。よく聞き取れなかったが、今のは名前……だろうか。

 どちらからともなく身を離し、シエラの視線を辿たどって木立のほうへ目を向ける。皆の視線に促されるようにして木陰から出てきたのは、すらりと背の高い姿だった。

 地に着くほど長くて、ゆるい波を描く純銀の髪。少年とも少女とも見分けのゆかぬ、あでやかな美貌。猫のような印象の目と眉を怒ったようにつりあげて、そのひとが口を開く。


「どーしてだよっ」


 明るい調子の男声、麗しい顔立ちに似合わぬ雑な口調から、ティリーアは察する。彼こそがもうひとりの司竜――ハルたちが銀竜と呼ぶひとなのだろう。

 しかしハルやシエラの反応を見るに、誰かがここへ招いたというわけでもなさそうだ。


「どうして、ハルの結婚式なのに……誰もきてないんだよっ」

「俺が呼ばなかっただけだ。おまえこそどうやって嗅ぎつけたんだ? 俺は、教えた覚えがないぞ」


 遠慮ない物言いで突っかかる彼に苦笑しつつ、ハルが答える。その気やすさはリュライオやシエラとの間にある空気感と似ていて、このひともハルにとって大切な友なのだろうとティリーアは察した。きっとこれから、長い付き合いになってゆくのだろう。


「ふふん、オレの情報網ナメるなよなー」


 神妙な気持ちで見守っていたティリーアの目の前で銀竜の少年は得意げに鼻を鳴らし、ふいにふわりと宙へ浮かび上がった。

 両親や弟はじめ竜族の中で暮らしてきたティリーアも、これほど自然に空を飛ぶ姿など見たことがない。驚いて声も出ないでいる間に、彼はやや上空からハルを見下ろすような位置取りをして、腰に手を当て子供みたいに笑う。


「しょうがねーな。いつもいじめられてしゃくだけどさ、オレってば寛大かんだいだから。祝福してやるよ、オレが」

「頼んでない」


 この関係性は、どういうものなのだろう。どう応じていいか判断できずハルを見れば、彼は苦笑しながらティリーアを抱き寄せてくれた。

 出逢ってから今まで欠点らしい所も見当たらない彼だが、もしかしたら知られたくない過去の一つや二つ、あるのかもしれない。これから一緒に過ごしていく間にどれだけの新しい彼を発見できるのだろう、と思えば、彼女の心もクォームのようにふわふわと浮き立ってくるようだ。


「クォーム、き回すのはやめてくださいね。ティリーアさんがびっくりしているじゃないですか」

「わーってるって。竜、引っ張るなよっ」


 リュライオがやんわりと彼をたしなめ、宙から引き降ろす。クォームと呼ばれた銀竜のひとがわりと素直に地面へ降り、彼の隣に落ち着いたところをみると、リュライオは冷静な舵取り役……なのかもしれない。

 改めて地に足をつけて向き合った彼を、ハルは苦笑まじりの笑顔で紹介してくれた。


「驚かせて悪かったね、ティリーア。クォームこいつは俺にとっては弟みたいなものというか何というか……、一応は竜と同じ昔馴染みで、これでも竜族の中では最年長の司竜、世界の始まりを見たという銀竜だよ」




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