十七.あなたと、一緒に


 皆が去った会堂に残るのは、ふたりの司竜、ティリーアと家族、そしてシエラの七にんのみだった。

 余韻のような静けさの中で、ハルはティリーアに微笑みかける。


「だから君はもう、傷つかなくていいんだ」


 いつくしむように囁かれ、顔が熱くなってゆく。念願ということは、人族へ『星の魔力』を贈るという計画は元々あったのだろう。けれど、夢見竜という名付けや祝福の読み換えは、そうではないはずだ。

 差別は、無知から始まるという。村長むらおさ取り替え子チェンジリングについての知識を持っていたか今となっては知るすべもないが、ここまで明確に差別の根拠を否定された以上、村長むらおさのやり方に追従する者は多くはいないだろう。彼の判断が間違いであったと、ハルもリュライオも明言したからだ。

 ずっと静かだったアスラが、ここでようやく呼吸を取り戻したとでもいうように、大きなため息をついた。


「姉さん、疲れちゃったでしょ。僕らも家に帰ろうよ」

「わたしは大丈夫だけど……」


 そうね、と続けようとしたティリーアは、ふと、場の妙な空気に気がついた。シエラがにやりと笑って、目配せしてくる。父と母はなぜか動こうとせず心配そうにこちらを見ているし、リュライオには無言のまま目を逸らされた。つられてハルを見上げれば、彼の深みを増した紫色の双眸そうぼうと視線が絡んだ。

 言いようのない緊張感が心臓を締めつけ、ティリーアは背筋を伸ばして彼に向き合う。彼との付き合いが浅いのは確かだが、こんなにも深刻な表情は初めてだった。広場で村長むらおさを糾弾した時さえ、穏やかで自信に満ちた態度は揺らがなかったというのに――。


「俺は、君に一緒に来てほしい。ティリーア、俺の妻になってくれないか」


 告げられた言葉に何一つ分かりにくいものなどなかった。それなのに、咄嗟とっさには意味を理解できずティリーアは固まる。身体も、思考も、呼吸さえも。

 視界の端でアスラが目を見開き凍りついたのが見えた。何も言わない両親は、もしかしたら察していたのだろうか。突然すぎて、心が現実に追いつかない。


 いや、もしかして――突然ではなかった……かもしれない?


 招くように差し出されたハルの手をどうしていいかわからぬまま、ぼんやりと昨日の会話を想起する。

 ハルは約束通り会合でも、これからのことも含めて自分を守ってくれたと思っていた。しかし、彼女自身は彼の助けになっただろうか。そもそも、会合でティリーアにできることが何かあっただろうか。

 自分が大きな思い違いをしていた、と気づいた途端、羞恥しゅうちと驚きに全身の血液が逆流した。思わず両手で顔を覆い、何とか声を押し出す。


「わたしが、ハルさまと?」


 求婚のような、ではない。あの言葉は本当にだったのだ。

 よく考えもせず、恥じらうこともせず、喜んで、などと答えた自分が今さらながらはしたなく思えて、できることなら部屋へ逃げ込んで隠れてしまいたかった。この会堂では、潜り込める場所などなかったが。


「ハル様、本気……なのですか? 娘は、人間なのですよ」


 消え入るようなティリーアの声に被せるようにして発言したのは、父だった。動揺する娘を見て、抱えていた心配があふれ出たのかもしれない。

 差別的な意味ではなく、父の懸念けねんはティリーアの胸にもあるものだった。


「この子は貴方よりずっと早くに、命を終えるでしょう。それでも良いと思われるのですか?」

「俺は、構わない。最後まで彼女と共に過ごしたいと思っているよ。……もちろん、返事を今すぐに、とは言わないさ。彼女が答えを出すまで、待つつもりだ」


 人族は、長く生きて八十年ほど。一方、竜族の寿命は数百年にも及ぶという。父がその事実を気にかけてくれていたを嬉しく思い、ハルの返答に心が波立つ。

 永遠に美しい姿を保つ彼の隣で日々老いてゆく自身を、果たして自分は受け入れられるのだろうか。ハルは、本当に――最期まで受け入れてくれるだろうか。

 かれる気持ちと、不安な想い。自分自身の心がわからずうずくまりそうになる身体を、ふいに抱きしめられた。ほっそりした腕とぎこちない指、体温の低い――、驚いて巡らせた目に映ったのは、自分を抱きしめている母だった。


「お母さん……」

「あなたが決めていいのよ、ティリーア。わたしは、あなたをちゃんと守れなかったけど、それでもわたしは、あなたに幸せになって欲しいの」


 幼い頃は、見上げるばかりだった。ようやく触れ合えるようになった今、母の身体がティリーアよりせていて、冷えきっているのに気がついた。

 これまで娘として何もできなかったけれど、母にだって幸せになって欲しいと思う。


「大丈夫、わたし、幸せになります」


 頷いて、囁く。悲しいことなど何一つないはずなのに、なぜか涙があふれてくる。

 母の腕から解かれ、ティリーアはぼやける視界にハルを探した。彼もきっと今、困惑しているに違いないのだ。あんなにもはっきり申し出を受け入れておきながら動揺して泣き出すなんて、彼もどうしていいかわからなくもなるだろう。

 涙は止まりそうになかったが、今度こそ目を逸らすまいと心に決めて、ティリーアはハルを見上げる。こんな時でさえ彼の目からは自分を気遣うこころが伝わってきて、その優しさを愛おしいと思った。少しの沈黙を経て、彼が確かめるようにもう一度、囁く。


「ティリーア。俺と一緒に、生きてくれないか」


 きっと彼はたくさん悩んで考え抜いて、覚悟を決めたのだろう。人族の文化をよく知っており、その生き様にも詳しい彼が、父の言う懸念を思わなかったはずがないのだ。彼の覚悟に、自分はこたえられるだろうか。


(ううん、そういうことじゃないわ)


 願っていたのは、ティリーアも同じだったはずだ。心の奥に押し込めた、一緒に行きたいという想い。それが叶う機会が本当に差し伸べられたというのに、後込みするなんてどうかしている。

 求められたから、ではない。母が言うように、ティリーア自身が望んで選ばねばならない。彼女の持つ先読みの力は不安定で、選んだ先に何があるかを知ることはできないが、ハルが自分を本当に想ってくれていること、言葉だけの偽りではないことは、もうわかっているのだから。

 頼りない自分が、彼の助けになれる自信はない。愛されかたも愛しかたも、きっと上手ではない。これが恋なのか、一時の憧れなのかも――今はまだ、つかめていないけれど。

 芽吹いたばかりの想いを、願いを、大切に育てていこうと決意する。


「はい。わたしも、あなたと行きたい、です」


 声は震えてしまったが、目を逸らさずにはっきりと言えた。途端、ハルが嬉しそうな泣きそうな何とも言えない顔で微笑み、ティリーアを抱きしめる。

 温かな腕に包まれれば張り詰めていた心も解けて、彼女は彼の広い胸に頭を預けた。規則正しい心音を感じながら、司竜である彼も緊張で鼓動が早まるのだな、とぼんやり考える。


 母が啜り泣き、父に慰められているのが聞こえる。肩越しに、たのしげなシエラと微笑むリュライオが見えた。

 こんな場面で大騒ぎしそうな弟が終始無言なことに少しの心配がよぎったものの、頭を撫でる手のひらの優しさによって、その不安も溶かされていった。




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