十五.人と竜


 一週間も過ごせば、他所の家でも使い勝手を覚えるものなのだろうか。準備を手伝いたがるハルをティリーアはなんとか居間に押し留めたが、お茶とお菓子を用意して居間へ入った途端、ハルは素早く席を立って最初のときと同じようにティリーアの手から盆を取り上げてしまった。そのまま自宅のソファへとエスコートされる。

 促されて座ると、ハルがテーブルにお茶とお菓子を並べてから、ティリーアの隣に腰を下ろした。握り拳二つほどの間隔があるとはいえ、すぐ側に存在を感じていれば、段々と心臓に緊張が這い上ってくる。向かい側でも目のやり場に困っただろうとは思うが。


 思えば、森で号泣して以来のふたりきりだった。あのときは勢いのままにすがりついてしまったが、今はそういう状況でもない。朝に鏡は見たけれど、さっきまで家事をしていたので髪が乱れたかもしれないし、埃や汚れがついたかもしれない。

 今さらながら余計な心配まで湧き上がり、ティリーアは揺らめくお茶の水面を鏡の替わりにしようと凝視した。

 隣で、ハルが動く気配がする。ここまで距離が近いと見なくても彼の一挙一動が伝わってくる。つまり、向こうにとってもそういうことではないだろうか。

 すっかり固まってしまったティリーアをハルが不思議そうに見た、気がした。水面に映る自分は輪郭りんかくがぶれており、どんな顔になっているのかよくわからない。


「ティリーアは、偉いな。今までも、母君をよく手伝っていたんだね」


 思った以上に近くから聞こえた声に心臓が飛び跳ねた。同時に、全身を硬直させていた緊張はゆるゆると溶けてゆく。震えた拍子に水面が鏡の役をなさなくなって、呪縛が解けたのかもしれない。

 ほうと息をついてから、ティリーアはゆっくりかぶりを振った。


「そうでもないわ。母は寝込むことも多かったから、父が仕事のときは、わたしがしなくちゃって」

「なるほどね。君は良くやってきたと思うよ」


 められるのは、こんなに嬉しいものなのか。手のひらを温めるお茶をぐいと飲み込んで、顔の熱さはそのせいだと心に言い訳する。こういう場合の正解がわからず、小声で「ありがとう」と返すのが精一杯だった。

 ハルが息だけで笑い、空になったカップをテーブルに置く。揺れる空気がくすぐったくて、ティリーアはそっと彼をうかがい見た。その動きを察したのか、同じタイミングでハルも彼女を見る。


「ティリーアは、魔法について教わったことはあるかい?」


 好奇心を映した紫色の双眸そうぼうを向けられ、ティリーアは思わず背筋を伸ばした。ふわふわと浮ついていた頭がすっとクリアになり、心が平静になってゆく。

 彼が村に滞在するのは明日までなのだ。人族で、大きな強みなどない自分が持つという、魔法の能力。今聞いておかねば、この先教えてもらえる機会はないかもしれない。


「教わったことは、ないの。竜族にとっての魔法は当たり前のものすぎて、教えようがないとアスラは言ってた。でも、本でなら……人族が語り継いできた御伽噺おとぎばなしで、読んだことならあるわ」


 幼少時から、ティリーアにとっては書物が友だった。竜族は長命種であるためか、物語を書き残す慣習がないという。彼女に本を買い与えてくれたのは父で、仕事で別の地域へ行った際に本というものを知ったらしい。

 人族が語り継いだ物語を記述したというそれは、長い間ずっと買い手がつかず棚の隅に眠っていたものだった。父は安価で譲り受け、興味をもったティリーアに快く貸し与えてくれた。その後も時々どこかから書物を入手しては、持ち帰るようになったのだ。

 今になって思えば、父も人族というものを理解しようと手探りしていたのかもしれない。


 人族は竜族と良く似た外見の種族だが、魔法は使えず、寿命は八十年足らずで、外部――環境や食物の多寡たか、傷病や気候――の影響を受けやすい。彼らにとって竜族は畏怖いふを感じる憧れの存在であり、中には上位者として崇めている地域もあるのだという。

 村長むらおさしいたげられてきたティリーアには理解できない関係性だったが、ハルやリュライオを直接知る機会を得た今、人族が竜族へ抱く憧憬も理解できるように思えるのだ。

 ハルはティリーアが話し終えるまでじっと耳を傾け、全て聴き終えると、彼にしては珍しく曖昧あいまいに笑んだ。


「奇跡に優劣をつけるのが正しいかは……まあ、これは君に話しても仕方ないな。この世界ほしは竜族により始動したから、なおさらそういう通念がまかり通ってしまったのだろう。でもね、ティリーア。俺個人としては、竜族と人族の間に明確なはないと理解している」

「……え? でも、竜族のひとは人にはできないことができる、って」

「もちろん、魔法に関して竜族以上の適性を持つ者はいないさ。でも、たとえば君が読んでいた物語や、それを記す文字言語は、人族が考案したものだ。貨幣や建築など、他にも人族が発展させた文化は多い……と、いけない。つい、悪い癖が」


 ティリーアとしては、目を輝かせて熱く語るハルの姿をもっと眺めていても良かったのだが、彼はみずから我に返ったようだ。言いかけていた言葉を飲み込み、深く息を吐く。その仕草が妙に可愛らしく見えて、笑みが自然と口元に上った。


「ハルさまは、人間の文化が好きなのね」


 竜族の中で文化が発展しなかった背景には、不要だとか、関心を持たれないという理由もあるのだろう。熱く語れるほど物事に通じているのは、それが好きだからに違いない。ずっと高みにあると思っていた相手に弟と似た部分を発見して、胸の奥が温かくなる。

 ハルは驚いたようにティリーアを見ると、困惑したかのように瞳の光を揺らし、目を逸らした。独り言のように「参ったな」と呟いて、もう一度深く息を吐く。

 

「……そうだね、確かに。はじめは、好奇心だったんだけれどね。話を戻すが、魔法というのは世界に満ちた奇跡、森羅万象しんらばんしょうもととなる元素を操る能力だ。竜族はそもそも森羅万象が姿かたちを得たような種族であり、そのゆえに魔法にけている。変化を望まず、発展をいとい、自然に馴染んで暮らすのを好むのは、そういう種族的な特性を持っているからだ」


 一方、と言い添えてから、ハルの視線がどこか遠くに投げられる。黙って何かを思い巡らせてから、彼は頭を一振りし、ティリーアに目を向けた。


「人族は寿命が短く、その魂は魔法と相性が良くない。個人としても種族としても成長が目覚ましく、変化を恐れぬ者たちだ。創造性に富み、物語を愛し、目的を持って突き進む力を持つ。一部の保守的な竜族がその力を恐れるほどに――ね。人族と竜族とは真逆の特性を持ちながらも、不思議なことに魂のつくりは非常に近い。君が人族でありながら竜の両親から産まれたように、人族の両親から竜の子が産まれることもあるんだよ」

「そんなこと……」


 思わず、息を飲んでいた。人の中に竜の子が産まれた場合には、自分が経験したような迫害をまぬかれられるだろうか。

 おそらくいなだろうとティリーアは想像する。魔法にうとい人族の場合、この取り替え子チェンジリングという現象を正しく理解できる者はさらに少ない、と推測できるからだ。

 無意識に身体が震えていたらしい。冷え切った指先に手を重ねられ、それに気づく。無言のまま見上げれば、ハルが優しく微笑むのがわかった。


「君は、星からの未来図……運命の先読みができる者だ。考え深く聡明そうめいで、心も優しい。君ならきっと、古き価値観にり固まった世界を変えられるはずだ。変化を導くのには勇気が必要だが、君は俺が必ず守ると約束しよう。どうか、俺の助けになってくれないか」


 まるで御伽噺おとぎばなしの王子様がささやくような台詞だと、ティリーアは頭の隅でぼんやり考える。彼が話しているのは明日の会合についての話に違いないのに、まるで求婚でもされているかのようだ。すっかり浮かれている自分に気づき、彼女はそんな自身を可笑しく思う。

 自分でも扱いきれない夢で真実の断片を見るだけの能力が、本当に彼らの助けとなるのか自信なかったが、それでも何かができるのなら答えは一つしかない。


「わたしで良ければ、喜んで」


 ティリーアの答えを聞いて、なぜかハルは安堵あんどしたように笑ったのだった。




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