十四.変化の兆し


 予想はしていたつもりだが、ティリーアの決意を聞いた母の動揺は想像以上だった。一方、父は思っていたほど驚かず、娘の言葉を受け止めつつも結論は保留にしよう、と提案してくれた。今すぐにという話ではなく二年間の猶予ゆうよがあることを言い聞かされて、母も少し落ち着いたので、賢明な対応だったのだろう。

 今の自分はあまりに無知で、自立に程遠い自覚もある。学ぶべきことは多く、頼れる縁は何一つない。それでも負の気持ちから村を出るのではないと家族にはわかって欲しいし、わかってもらえると信じている。

 具体的な計画などまったくなかったが、心は晴々としていた。


 父の話した通り、ハルとリュライオは滞在期間の宿泊場所をティリーアたちの家と決めたようだった。

 彼らの来訪を聞いたティリーアが想像したように、ふたりの目的はやはりアスラに会うことだったらしい。司竜、それも『時の権能』を持つ司竜であれば、幼くともその身に抱える魔法力は計り知れない。必要があれば教え導くつもりで、彼らは弟に会いにきたのだ。

 そういう事情であれば彼らがここに泊まるのも自然なことだろう。事実、ふたりはアスラと一緒に時間を過ごすことが多かった。素直で優しいが、短気で不遜なところもある弟なので、歳上の司竜たちから良い学びを得てくれればよいのだが。


 司竜たちの滞在を聞いた村の者たちが食事を差し入れてくれたり、必要なものを届けてくれたりもしたので、父はその間は働きに出ず畑仕事や母の世話をしていた。ティリーアも食事の準備や家事を手伝いながら、両親と一緒に時間を過ごす。司竜たちが早めに戻ってくれば、居間でお茶を飲みながら話をすることもあった。

 最初のときのようにハルとふたりきりになる機会はなかったが、彼が自分に関心を向けていることはティリーアにもわかっていた。それが境遇へ向ける同情心なのか、特殊な産まれや夢見の力への興味なのか、それ以外なのか――まではわからなかったが。

 ティリーア自身、気づけばついハルの姿を目で追っている。話しかけられれば胸が高鳴り、微笑みかけられれば直視できずに俯いてしまうのに、それでも視界のどこかで姿を捜してしまうのだ。滞在の残り日数が少なくなるにつれて焦燥感のようなものが湧きあがり、そんな自分にますます戸惑う。


 孤独の闇から光あふれる世界へ連れ出してくれたひと。未来の広さを教えてくれたひと。

 憧れを感じるのも当然だろうし、優しい言葉や眼差しを期待してしまう自分もいる。彼らならきっと、世間知らずな自分でも生きてゆける地を知っているのではないかとも考えてしまう。

 心の奥底に、一緒に連れて行って欲しいという願いが芽吹きつつあるのに気づき、ティリーアはその想いにそっと蓋をかぶせた。それぞ計画性もなく、叶うはずもない願望だ。迷惑になるのはわかりきっている。

 そもそもなぜそんな願いを抱いたのか――自分が本当は何を望んでいるのか。彼女自身も、よくわかっていないのだろう。


 目まぐるしい日々は、村全体にもわずかずつの変化をもたらしながらあっという間に過ぎて行った。

 そうして七日が過ぎ、司竜たちとの別れも近づいた頃。アスラが、新たな来訪者を家へ連れてきたのだった。





 穏やかな風が陽射しを含んで庭の芝生を撫でてゆく。そんな、過ごしやすい昼だった。明日は司竜たちが滞在する最後の日で、村の者たちを集めて大切な会合を開くのだという。全員参加を義務付けられたわけではないが、ハルはティリーアが同席することを望んだ。きっと取り替え子チェンジリングについてか、夢見の能力に関わる話なのだろう。

 父や村の幾人かはそれに備え、会堂の掃除に行っている。母は畑仕事に出ていて、司竜たちは朝から出掛けていた。アスラは今日は一人で出掛けたらしく、姿が見えない。


 全員が出掛けた間に家の中を片付け、庭に洗濯物を干してから、ティリーアは本を携えて裏庭へ向かおうとした。そこで聞こえてきた話し声に足を止め、耳をそばだてる。低く穏やかな聞き覚えある声に心がざわめくが、一緒に聞こえる相手の声は覚えのないものだ。

 裏庭へ行くのを取りやめ、本を置いてから様子を見に行くと、庭にハルと誰かが立ち話をしているのが見えた。

 ハルも背が高いが、相手も同じかそれ以上に大柄だ。見た目の年齢もハルに近いかもしれない。癖のない漆黒の髪を首の後ろで一括りにした比較的軽装の男性は、姿格好からして村の住民ではなさそうだった。


 司竜ふたりと比べて幾分粗野な印象の彼に近づくのは少し不安もあったが、ハルの親しげな笑顔を見るに怖い相手でもないのだろう。意を決して迎えに出れば、気づいたふたりが同時にこちらを見た。

 黒髪の青年と目が合い、ティリーアは思わず息を呑む。ハルの宝石のような目とも違う、別の意味で不思議な色合いの双眸そうぼうは、彼が非常に大きな権能を持つ竜族であることをあかししていたからだ。


 ぱっと見は黒目がちに思えるが、よくよく見れば光を飲み込む真黒くらやみの色。まるで夜空を切りだしてめ込んだかのように銀光ほしが散っている。精悍せいかんさをかもす顔立ちにやわらかさはないが、口角を上げて微笑むと印象が和らいだ。闇の竜、星の竜……そんなイメージが脳裏に浮かぶ。

 彼の雰囲気にすっかり気圧され、ティリーアが立ち尽くしていると、隣にいたハルがこちらへ近づいて来て言った。


「驚かせてしまってすまない。彼はシエラという名で、俺の親友なんだよ。シエラ、彼女がティリーアだ」

「へえ、なるほどな。お嬢さん、おれはあんた方の家に泊まるわけじゃねえから、何も気を使わなくっていいぜ。ハル、では明日また」

「ああ、よろしく頼む」


 彼女が答える隙もなく、シエラという竜族の青年は片手を挙げて挨拶してから去ってゆく。それを軽く見送ってから、ハルはティリーアに微笑みかけた。


「少々口が悪いが、根はいい奴なんだ。ただ、リュライオとは反りが合わなくてね……君は気にしなくていいよ」

「シエラ様も、竜族?」

「そうだよ。彼は銀河の竜と呼ばれる、特別な役割を持つ者でね。明日の会合に立ち会ってもらうため俺が呼んだんだよ」

「そう、なの」


 やはりハルは明日の会合で、変革を起こすつもりかもしれない。彼を信じようと決めたものの、それが家族や弟、村の者たちにどんな影響を及ぼすかが予測できない以上、不安を完全に払拭ふっしょくするのも難しかった。

 思考に沈みかけたティリーアの表情が深刻そうに見えたのだろうか。そばまで来ていたハルが、手を伸ばして彼女の手をそっとすくい上げる。


「彼の権能は、君の能力ちからにも関わるものなんだよ。俺も今なら時間があるから……君さえ良ければ、『銀河ほしの権能』と魔法について少し話してあげようか」


 思わぬ申し出に、心臓がうるさく騒ぎ出した。つられるように顔が熱くなってゆくのを自覚しつつも、ティリーアはその誘いを断ることなどできなかった。自分の能力に関わる話だからというより、ハルと過ごせる時間に惹かれた、というほうが正しいだろう。

 おずおずと見上げ、頷く。

 だってもしかしたらこの時間が、彼とゆっくり過ごせる最後の機会になるかもしれないのだから。



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