十二.星の未来図


 ハルは、ティリーアの言葉に驚いたようだ。大きく目を見開いて自分を見つめている。

 彫像のように綺麗なひとだと思っていたけれど、彼もアスラほどではないが表情豊かなのだと気づく。


「俺は、泣いているかな?」


 現実のハルは泣いているわけでも泣きそうでもないのだから、戸惑うのも当然だ。変なことを言う娘だと思われただろうか。声を潜めて問い返すハルの表情に、嫌悪は感じられないけれど。

 自分がものをその通り話すべきか、彼女はつかのま逡巡しゅんじゅんし、心を決めた。彼なら、自分と弟には理解できないこの能力について何か知っているかも、という淡い期待があったのはいなめない。


「ハルさま、心が泣いてるわ……わたしのせい?」


 とはいえ理解できない事象をきちんと説明できるわけもなく、口にした途端急に不安になって、つい弱気な言葉がこぼれた。それでもハルは気分を害することなく、一度かぶりを振ってから言い添える。


「君は、人の心がわかるのか」

「心なんてわからない。難しすぎて……。でも見えるの。説明できないけど、わたしにはえるの」


 彼と話しているうちに、不思議な安心感が胸に生まれて満ちていった。

 このひとは村長むらおさとは違う。人族だからと見下すことはなく、うまく話せないからと叱りつけたりもしない。今だって、真剣な表情でティリーアの話を理解しようとしている。

 ハルの宝石のような双眸そうぼうにいま映っているのは、涙ではなく好奇心だ。それが新しい発見を教えにくるアスラを彷彿ほうふつとさせたのか、つい可愛いと思ってしまった自分に戸惑う。これまで、弟以外から好意を向けられたことなどなかったから……というのは言い訳だろうか。

 動揺する彼女の心境を知ってか知らずか、ハルはいっそう身を乗り出してティリーアを覗き込み、言った。


「それは凄いことだ、ティリーア。その能力ちからは占術……一種の『時魔法』なんだよ」

「時の魔法って、アスラとおんなじの?」


 魔法と縁遠いティリーアには実感の持てない話だが、『時魔法』が弟アスラに属するものだということは理解している。なるほど仔細しさいはわからないが、自分は弟と同じ素養を持っているらしい。その事実に、嬉しくなる。

 ハルはなぜか一瞬だけ真顔になったが――見当違いの応答が返って困惑したのかもしれない――すぐに表情を取り直し、頷いて言葉を続けた。


「そうだよ。もっと早くに気づくべきだったな。君は、星からの未来図を受け取ることができるのか……」

「星、未来図?」

「もちろん君には説明する。でも先にアスラ君に、確かめたいことがあるんだ。そのあと改めて、ご両親や村の者たちにも説明しよう」


 彼は説明を重ねたつもりなのだろうけど、全く意味がわからない。いや、この表情は――悪戯いたずらを思いついた時のアスラに似ている。気づいた途端、一気に不安がつのった。


「わたし、本当にいいの。これ以上お父さんとお母さんに迷惑を、かけたくない」


 この能力がどんな由来であるとしても、かつて人族である自分に魔力がないと断じたのは村長むらおさなのだ。今さら彼がひるがえって、ティリーアを受け入れるとは思えない。

 すがる思いでハルを見返せば、紫色の双眸そうぼうが深みを増したのがわかった。


「大丈夫だよ。君も君の家族ももう、辛い思いなどしない」


 何をもってそう言い切れるのか。やわらかな笑みをき、ハルは微笑んでティリーアの肩に右手を添える。促されるままに立ちあがれば、自分に寄り添い立つ彼が左手を掲げたのが見えた。長く美しい指がうたを導くように光を描いてゆく。

 ひらかれた森の景色が溶けるように変容し、空と大地が見渡す限りに広がる。幻でありながら、その鮮やかさは現実のものと見まごうほどだった。ティリーアは言葉を失い、眼前に描かれてゆく景色に目を奪われていた。


 小さな村の片隅、貧しい家の部屋と庭でしか生きてこれなかった村娘の自分へ、ハルは世界を見せようとしている――と気づく。彼が伝えたいのは希望だろうか、それとも。

 きらめく大洋、幻想的な明けの空。緑満ちる平原に、静謐せいひつな森。そこには、彼が見てきた世界の姿が確かにあった。鳥に獣、人族と思われる者たちの営みすらも。

 この世界ほしにあるすべては竜族だけのものではない、人族にもいきものに等しく与えられているのだと。そんな想いが――願いが、言葉によらずとも流れ込んでくる。


「無限の世界みらいは、君の前にも広がっているんだ。だから、自由になりなさい」


 ハルの口調は甘やかだったが、その言葉はティリーアの胸に深く突き刺さった。縛られることに甘んじていたのは、自分も……だったかもしれない。真実を視る能力ちからを持ちながら、届くはずがないとあきらめていた。想うだけ、願うだけでは、伝わるはずないのに。

 両親の愛情を、自分自身の可能性を、――未来を。最初からあきらめていたのは、ティリーア自身もだったのだ。


 胸の奥に押し込め抑えつけていた感情が一気にあふれだす。拒絶されるくらいなら離れていればいい、闘うよりも耐えるほうが賢いと、そう思っていた。けれど、真実が明らかになってなお理不尽な扱いに甘んじることは、自分のみならず両親の未来をも閉ざしてしまうことに他ならない。

 ごめんなさい、という言葉は嗚咽おえつにまぎれて声にならず。両手で覆っても、何かが壊れたかのように涙は止まらない。膝が崩れそうになり、温かな腕に受け止められたのを感じる。

 こんな自分でも闘えるだろうか。自由に……なれるのだろうか。今よりもっと大きな幸せを願うことを、ゆるされていいのだろうか。


「俺が、君のすべてをまもるから」


 おびえる心をなだめるように、低く優しい声が耳の奥に届く。一人ではないと、今なら思うことができる。どうすればいいのかはわからないままだけれど。

 涙はとめどなくあふれ続けていたが、ハルの温かな腕の中でティリーアは頷いた。

 震える胸に、一つの決意をいだいて。


 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る