十一.幸せの温度
自分たちが場を去ったら、
お互い無言で
昨日からの交流で、彼が権威を振りかざすひとではないとわかっている。
では、ハルとリュライオが去った後、この村は変わるだろうか。
絶望的だ、と、ティリーアは心の内で結論をくだす。村の者全員が人族に対し
アスラがいる限り、家族ぐるみで追い出されることはないだろうが、いずれ弟がここを出ることになれば……その時、ティリーアや両親の居場所はあるのだろうか。
胸の奥に冷たい水が満ちてゆくようだ。今、自分は、決して願ってはいけないことを願おうとした――そう自覚して、全身の血が引いた。口にするのはもちろんのこと、決して悟られてもならない想い。彼はとても優しいひとだから、知ればきっと思い悩むだろう。
それでも、久しぶりの外出と感情の動揺に疲れ果てた身体は、思うように動いてはくれなかった。さっきから足指の裏が痛くて、つま先に熱がこもっている。
村の境界を越えれば、そこはもう森の入り口だ。まだまだ生活圏ではあるので道は踏み固められており、樹木と下草は切り払われてひとが歩けるようになっているが、歩き疲れた足で踏み進めるには地面が悪かった。
徐々に歩みが遅くなる彼女の様子に気づいたのだろう、それまで黙って隣を歩いていたハルが、口を開く。
「少し休もうか」
長い指が示す先には、
ゆっくり息を吸い、心配そうに覗き込むハルを見あげる。大丈夫、もう、話しても声が震えたりはしないはず。
「ごめんなさい」
本当なら、感謝するべきだろう。彼は自分の
それでも彼がこれ以上この村の事情へ深入りするのは、お互いのためにならないと思うのだ。彼らは去りゆく者たちであり、その権威は世界のためにあるものなのだから。
しかし、ハルは予想していた以上にわかりやすく――動揺した。
「どうして、謝るんだい」
戸惑うような、確かめるような。こんな話し方もするのだ、と新鮮な驚きが胸に湧く。答えるべき言葉を見つけられず黙って見あげると、ハルはふいに身を屈め、地面に片膝をついた。一気に近づいた距離と間近に迫る
彼が心から自分を気遣い、助けようとしてくれていることはわかっている。彼の話は正論で、変わるべきなのはこの村の慣習だとも――以前はそうは思えなかったとしても――今なら理解できる。けれど、正論だけでひとは動かない。
ひとには、心があるから。胸に巣食う
人族であることをもう、恥じなくてもいい。自分が間違いなく両親の娘であると、証明されただけで十分だった。それ以上を望むのは身の程を過ぎたことであり、村で立場が低い両親をいたずらに苦しめるだけだ。
どちらにしても、人族は竜族ほど長くは生きられない。これまで耐えてこれたのだから、これから先、状況がこれ以上つらくなることなどないだろう。
感謝しているのは本当で。だからこそ、優しい彼を
「わたし、もう十分なの。お父さんとお母さんがわたしを見てくれるようになっただけで、いいの。村のひとや長老様が、わたしをどう思っていても」
あなたが、わたしが無価値ではないと証明してくれたから。
誰が何を言い、どんな目で見るとしても。わたしは光を
言葉にはできない想いを胸に巡らせれば、温かな想いが身体に満ちてゆく。重なる梢の間からこぼれ落ちる
強がりでもあきらめでもなく、本心から幸せなのだと伝えたつもりだ。それなのに、ハルは目を
(え、今のは……幻?)
驚いて瞬いてみれば、現実の彼は涙を流してなどいなかった。ただ、痛ましそうに眉を寄せ、何が言いたげに見ているだけだ。自分の発言が意図せず彼を傷つけてしまったことを悟り、ティリーアはひどく動揺した。
伝えたかったのは、感謝なのに。真実を知らせてくれたことも、守ろうとしてくれたことも。今までそんな好意を向けてくれるのは弟だけだったから、とても嬉しかったのだと。
「どうしてハルさまが、泣くの?」
言ってしまってから、後悔する。散々考えて言葉を選んだつもりが――どうして自分はこうも、上手く話せないのだろう。
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