十.揺れ動く想い


「ここで何をしている」


 侮蔑ぶべつに満ちた声に打ち据えられ、ティリーアは震えて身を固くした。そもそも、耳を傾けるつもりなど初めからないのだろう。村長むらおさは高圧的で強い言葉を矢継ぎ早に言い放つ。


「おまえの家に今、司竜殿が泊まっているな。おまえはあの方々に一体なにを吹き込んだのだ。取るに足らぬ人族が竜族のおさたる方々と対等に会話しようなど、身の程知らずだと思わんのか」


 反駁はんばくする余地もなく――あったとして、ティリーアにできるはずもなかったが、一方的になじられて、心が冷たく萎縮いしゅくしてゆく。家を出るとき、なぜ自分はあんなに浮ついていたのだろう。母の無実が証明されたからといって、自分が悪いものではなかったとして、この村での扱いが変化するとでも思ったのだろうか。

 ここでの権威者は村長むらおさだ。司竜のふたりは高い立場にあるとはいえ、ここにずっといてくれるわけではない。ふたりが去り、アスラが村を出れば、自分や両親が従うべきなのは結局……彼なのだから。


「わかったならば、家から出ようなど思わないことだ。この村のどこにも、おまえのような者が踏み入って良い場所などない」


 辛辣しんらつな物言いが心に突き刺さり、胸が痛んで涙があふれそうになる。それでも追い出されないだけましなのだと自分に言い聞かせ、ティリーアは反論せずに頷いた。

 優しい父と気弱な母では、村長むらおさを説得することなどできないだろう。下手を打てば両親ごと村から追放されてしまうに違いない。そうなったら、母は今度こそ立ち直れないだろう。


 うつむいたまま何とか会釈だけを返し、身を引こうとした――そのとき。ふいに大きな影が自分の影に重なり、肩に誰かの手が触れた。そのまま長い腕にやんわりと抱き込まれる。

 え、と思う隙もなかった。視界の端に見覚えのある光色が見えて、心臓が跳ね上がる。見あげて確かめるまでもない、このひとは。


「長老殿、貴方は何か勘違いをされているようだ」

「光の司竜殿」


 堂々とした穏やかな声は記憶に新しい。ハルのことばに、苦さを含んだ村長むらおさの声が応じる。

 肩と背から伝わってくるぬくもりと、頭上に感じる息遣い。彼はどこから今の会話を聞いていたのだろう。なぜひとりでここにいるのだろう。もしかして……彼も自分を捜していたのだろうか。

 まさか、あり得ない、と内側の自分は囁くけれど。そんな甘いような切ないような想像が胸を満たしてゆくにつれ、先ほどの冷たい恐怖はゆっくり解けていった。だって、彼の腕は間違いなく――自分をかばってくれているのだから。


「ハルさま……?」


 確かめるように小さく呼び掛ければ、彼は腕をゆるめてくれた。おずおずと見あげるティリーアを覗き込むようにして、ハルは優しく微笑む。


「君も、あんなに言われて黙って聞いているなんて良くないな」


 思ってもみなかった苦言だった。彼の声に責めるような響きはないが、言われたことを受け止める以外にどうすれば良かったのだろう……と考えて、昨日のやり取りを思い出す。

 そういえば自分は、初対面の彼に言い返したのだ。その時の大人気おとなげなさを思い出し、今頃になって顔が熱くなってゆく。

 居たたまれずに腕から逃れようとしたら、ぎゅ、と抱きしめられた。密着した身体が小刻みに震えているのは、彼が笑っているからだろうか。恥ずかしくて、どこかに顔を埋めてしまいたい。


「私たちは彼女から聞いたのではありませんよ、長老殿。事情は、彼女の弟であり時の司竜であるアスラ君から聞きました。ひどい差別を誘導なさっていたようですね」


 確かに、居間に両親と自分を残して司竜ふたりもアスラも姿を消していたけれど。どこかでそういう話をしていたのだろうか。

 立場と肩書を重んじる村長むらおさとしては、こういう言い方をされれば黙るしかないだろう。実際、ハルの口調は丁寧だったが、反論を許すものではなかった。昨日から自分たちに見せていた穏やかさとは違う表情で話しているのがわかる。


「我々を、罰すると言うのですか」

「そうではない。私は貴方に、考えて欲しいだけだ。長老殿」


 村長むらおさひるむ声を、ティリーアははじめて聞いた。するりと腕が解かれ、両手を肩に添えられる。苦い表情で村長むらおさがこちらを睨みつけているのがわかったが、不思議ともう怖くはなかった。ハルが何か伝えようとしているのを、なんとなく察する。


「貴方や、同じように考えている大勢の竜族にも考えて欲しいと思っているのですよ、私は。竜族が人族より優れた種族であると、決めたのですか? 貴方の信じていることには、何の根拠もないのですよ」


 光の司竜であるハルは、世界の始まりよりる三柱竜のひとりだと聞く。創世を知る者が投げかける根源的な問いに、答えられる者がいるだろうか。

 村長むらおさが目を見開き、凍りついたのがわかった。彼は竜族の誇りと優位を心底から信じていたのかもしれない。信念の基盤を突き崩され、価値観を否定されたのだ。それが彼自身の世界の崩壊にも等しいのだと察して、ティリーアはほんの少し胸が痛むのを感じた。


「行こうか。君が構わなければ、少し森のほうを案内して欲しいな」


 耳の近くで囁かれ、我に返る。息を感じるほど近いのに、先程のような圧はない。案内できるほど森に通じているわけでもないが、この場を後にするにはちょうどいい理由づけだ。

 素直に頷くと、腕から解放された。森に続く道へ向かうティリーアの隣に並び、ハルも一緒に歩き出す。


 熱を帯びた鼓動はおさまるどころかますます高鳴り、涙はとうに止まっているのに感情が波立って心が苦しかった。

 今のこと、これからのこと、胸の奥に芽吹いたこの、想いの名前も。


 少し前までは簡単にできていたことなのに。今は、どうすれば自分の心を抑えることができるのか、見当もつかなかった。






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