八.取り替え子


 思えば母も、彼らふたりがアスラを迎えに来たと考えたのだろう。妻として母として、客をもてなすことに努めながらも、胸の内側は悲しみと不安でいっぱいだったに違いない。

 心を閉ざして会話を見守っていたところへの、聞き捨てならない一言。それが母の心中に生じさせたものを、ティリーアが推しはかることはできないが。

 母の声は震えてはいるものの、困惑の光が揺れる瞳はしっかりハルをとらえていた。


「珍しい、ということは……竜族から人族が産まれるというのは、起きうるのですか?」

「はい、起きうることですよ。一般的には、取り替え子チェンジリングと呼ばれています」


 疑問に答えたのはリュライオだ。深青の双眸そうぼうを細め、言い聞かせるように話した後で、ハルに目を向ける。


「人族と竜族は、生物学的にではなく魂の位置関係において非常に近い存在だと……言っていましたね。銀河の竜は」

「そうだね。なるほど、貴方がたは知らなかったのか……道理で何か、妙だと思ったよ」


 司竜ふたりの語りは専門的すぎて、ティリーアには何一つ理解できない。ハルの言葉をもう一度咀嚼そしゃくし、かろうじてニュアンスだけを理解した瞬間――全身があわだった。

 一般的に『取り替え子チェンジリング』という名称で話されるほどに知られている現象だということ、銀河の竜という権威者によって確証されているということ。自分がずっと信じ続けていた母の無実が、ついに証明されたのだ。


「では、ティリーアは本当に私たちの……私の、娘、なのですね」


 誰もが言葉を失う中、父の震える声が響いた。母が、両手で顔を覆う。ハルは双眸を瞬かせ、場の全員を一度見渡してから、穏やかに微笑んだ。


「当たり前じゃないか。こんなにいいはそういるものではない」


 三度目の肯定は、父と母へ向けたもの。胸の奥が騒ぎ立ち、心が揺らいで喉が詰まる。

 なぜ彼は、取るに足りないと見做され続けてきた自分に対し、こんなに良くしてくれるのだろう。ここにただ居るだけで、母を助けることもできず、特別な役目もなく、何の役にも立てない自分に、……だなんて。

 両親がハルの言葉をどう受け止めたのかわからず、ティリーアは気まずくなってうつむいた。その間も、ハルの話は続いている。


「奥さん、卵からかえった時にティリーアはもう目が開いていて、ある程度ことばを理解していたのではないかな?」

「え、ええ、そうですが」


 母にとって消してしまいたい過去、悲しみの源泉でもある記憶。今まで家族の誰も触れようとしなかった事実に、ハルはまっすぐ切り込んでゆく。驚いたことに母も、その問いに対し動揺こそすれど、真摯しんしに答えている。


「それは、ティリーアが竜族の子だからだ。そもそもの前提として、人族は卵では産まれない。人族の赤子は目も開かぬ、未熟な状態で産まれ落ちるんだ。だから」


 ハルの視線が揺れて、こちらを見る。深い色の双眸が濃さを増し、やわらかい笑みをたたえた口元がゆっくり言葉を紡いだ。


「竜族と変わらぬ誕生で、しかし竜ではなかった……というのであれば、取り替え子チェンジリングに間違いないよ」


 取り替え子チェンジリング――名称も意味も、初めて聞く言葉だ。それは両親も同じなのだろう、放心したように宙を見つめる父と両手で口元を覆う母。唐突に突きつけられた現実をどう受け止めればいいのかと、戸惑っている様子がわかる。

 ティリーアにとっては驚くことではない、ずっと前から気づいていた事実だけれど。自分がふたりの実子だったとしても、人族として産まれたという現実は変えようもなく、ふたりが自分を受け入れてくれるとは思えなかった。――の、だけれど。


「わたしたち、今まで……この子に酷いことをしてきました」


 震える涙声で告げられたことばにティリーアは驚いて、思わず母を見た。これまでほとんど視線が合ったことない母の目が自分を見ていることに気づき、心臓が戦慄わななく。

 アスラと良く似た若葉色の両目から涙をあふれさせ、声を詰まらせながらも、母の瞳は間違いなく自分をとらえていた。声を発していいのか、どうしたらいいかもわからず、ティリーアは戸惑いながら、母が涙を落としながら語る告白を黙って聞く。

 母の苦悩を知ったつもりになっていた。けれど、母自身の口から語られる葛藤と自責を聞き、母の中で自分がいかに大きな存在だったのかを知る。誕生時に村長むらおさが「この娘は村にわざわいを招く」と予言したことも、初めて聞かされる。


「今さらどうやって、つぐなえばよいのでしょう……」


 償うだなんて、と声をあげたかったが、どうしても喉から外へ出てくれなかった。誰よりもつらい思いをしてきたのは、母なのに。

 いわれない罪過を押し付けられて糾弾され、誰にも許されぬまま罪の証を養うことを強要され。誰にも無実を信じてもらえず、それでも両親は自分を捨てたりしなかった。孤独だったのは本当だけれど、断じて、母が、償うべきものではない。

 それをどう言い表せばよいか分からず、すがる思いでハルを見る。両親を断罪したりはしないで欲しいと訴えたかった。これ以上、ふたりに傷ついて欲しくなどなかった。

 ハルが、こちらを見て目を細めたのがわかる。一瞬合った視線はすぐに外され、立ちすくむ両親へと向けられた。口元に変わらぬ笑みをき、変わらぬ口調で答えを返す。


「今さら、なんてことはないさ。今から始めればいいと、俺は思うよ」


 ついに、母がその場に泣き崩れた。思わず立ち上がり駆け寄ろうとするも、長年拒まれ続けてきた心はそれを許してくれず、一歩を踏み出せないままティリーアは立ち竦む。

 許されるなら今すぐ抱きしめて、大丈夫と伝えたかった。――許される、ものならば。


「すまない、ティリーア」


 ふいに身体を引き寄せられる。驚いて顔を上げれば、苦しそうな表情の父と目が合った。自分に何が起きているのかすぐには理解できず、ティリーアは父の青い目と、母の小さな背中を見比べる。

 これまで頑ななほどティリーアに触れようとはしなかった父が、ぎこちない手つきで自分を抱き寄せていた。


 なぜ、父が謝るのだろう。父はきっと今までずっと、ティリーアが本当の娘ではないと信じていたのだ。仕方のないことだと思う、誰も、この現象にどんな名前が付いているかを知らなかったのだから。誰も、教えてくれなかったのだから。

 リュライオに支えられ立ち上がった母が、ふらつく足取りで近づいてきて、泣きながら自分と父に縋りついた。距離の近すぎる両親にどう応じたものか本気でわからず、助けを求めてさまよわせた視界の端で、司竜ふたりが部屋を出てゆくのが見えた。


 肩を濡らす母の涙と、背中に伝わる父の手のひらと。

 物心ついてから初めて与えられたぬくもりを不思議な気分で感じながら、ティリーアは目を閉じて、今はこの夢心地に身をゆだねることにしたのだった。



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