七.来訪者たち


 村での生活は基本的に自給自足だ。植えられている果樹は自由にってよく、井戸と畑は各自の家にあり、家禽かきんや家畜を所持している者もいる。自家でまかなえぬものは交換で手に入れることもできる。

 ティリーアの家では母が畑で野菜を育て、父は他家よその手伝いをし物品をもらって帰る、という生活だった。畑は小さく家禽もいない。アスラが産まれるまでは苦しい生活をいられていたらしい。

 村全体で見れば貧しいほうであるのは、世間にうといティリーアにもわかっていた。客用の寝具は二つもあっただろうか。今さら言っても仕方ないが、気の弱い母に大きな負担がかかるのではないかと心配も募る。


 それでも、居間のほうから届く談笑の声を聞いていると、心はふわふわと浮き立ってきた。薬缶で湯を沸かしている間に客用のティーカップを出し、干した葡萄ぶどう無花果いちじくを木皿に乗せる。都会で飲まれているお洒落なお茶はないが、父がもらってくる豆のお茶がティリーアは好きだった。彼らも、気に入ってくれるといいのだけど。

 四にん分のカップと木皿を盆に乗せて居間へ入ると、ソファに座っていたハルが席を立ち、こちらへやってきた。


「ありがとう、受け取るよ」

「え、あ……はい」


 元よりそれほど重いものではないが、客人に盆を取り上げられてしまいティリーアは戸惑った。ハルは片手に盆を乗せ、もう片方の手を彼女の背に添えて、にこりと笑う。


「さあ、お席へどうぞ。お嬢さん」


 日常ではまず耳にすることのない芝居じみた台詞も、彼には良く似合っていた。促されるままに弟の隣までゆき、腰を下ろすと、テーブルにお茶が置かれる。立場のあるひととは思えないほど、慣れた動きだ。

 全員分のお茶を配り終えると、ハルは盆をテーブルの端に置いて自分もリュライオの隣に席に腰を下ろした。ソファに座っているのにまっすぐ姿勢を正している青いひとと、長い脚を組んでティーカップを傾けている金色のひと。ティリーア自身が普段ほとんど居間に出てこないこともあって、自分の家ではないように錯覚してしまう。


「これは、変わったお茶だな。穀類……いや、豆か」

「本当ですね。甘くて美味しい」

「え、これ、変わってるんですか? おふたりは普段どんなお茶飲んでるんですか?」


 ぼうっと見惚みとれている間にも、三にんは楽しげに盛り上がっている。意気投合したと言うだけあって、互いに緊張している様子もない。温かなお茶で喉を潤しながら、ティリーアは無言のままぼんやりとその光景を眺めていた。

 向かい側に座るふたりの視線はアスラへ向いている。目が合わないことに安心して、改めてふたりを観察してみる。


 青いひと――リュライオが、噂の創世主だろうか。綺麗な顔立ちと優しそうな表情、まっすぐ流れ落ちる青い長髪と。厳格そうではなく、物静かで控えめなひとに見える。ティリーアよりはずっと背が高そうだが、ハルの隣にいるせいか小柄で線の細い印象だ。

 竜族の年齢は外見だけで断じることはできないが、ハルはリュライオよりも年長に見える。堂々とした立ち居振る舞いと、大抵彼が先んじて行動するからかもしれない。改めて見れば、とても端正な顔立ちだと気づいた。雰囲気も、おそらく性格も真逆だろうに、ふたりの気安い空気感は見てるだけでも伝わってくる。


 弟はまだ子供で、短気で反抗期なので、意気投合したといっても彼らがアスラに合わせてくれたのだろう。

 好きな食べ物について楽しげに語る弟は愛らしく、その流れでティリーアの作る木の実クッキーの話題が出たのは気恥ずかしい。これまで誰かの会話で肯定的に言及されることなどなかったので、聞いているだけでも胸が温かく満たされるようだった。


 和やかなお茶の時間は思った以上に時間を溶かしてゆく。

 そうして日差しが傾き始めた頃、畑から帰ってきた母が想定もしない事態に混乱して気を失いかけたのは、当然のことだろう。




 父もそれからすぐ帰宅したので、ティリーアは母の心労が限界を超える前にと、そっと自室へ戻った。出来ることなら食事の支度を手伝いたかったが、自分が側にいると余計に負担を掛けそうだったからだ。


 階下でしばらく話し声がしていたが、やがて父が外へ出て、どこかへ向かっていった。おそらく、村長むらおさへ事情を説明するのだろう。階下へ足音を潜めて様子を見に行き、弟が母の手伝いをしているのを確認してから、部屋へ戻る。

 夕食をひとり自室でとるよう言いつけられるのでは、という不安は、杞憂きゆうだった。しばらくしてから、ティリーアを呼びにきたのは父だった。


「降りてきなさい。……大丈夫だから」

「はい」


 多くを説明しない父の言葉では、何が大丈夫なのかわからない。それでも、自覚以上に自分は彼らとの時間を楽しみにしていたのだろう。全身に張り詰めていた不安がゆっくり解けていった。

 部屋を出る前に鏡を見て、見苦しくないことを確認する。芝生に埋もれた姿も、寝顔すらも見られて今さらではあるが。


 そっと階段を降りて、居間へ入る。テーブルの上には質素ながらもたくさんの料理が並んでいて、この短時間で母がどれほど頑張ったかが見て取れた。せめて、後片付けは代わりにしようと心に決めて席へ着く。

 母が今は落ち着いた様子であることに安心する。普段から会話の少ない時間ではあるが、客ふたりに気を遣っているのか父は普段よりもよく喋っていた。料理の紹介、村での生活について、アスラの持つ権能ちからへの心配――。大人たちの会話を聞くともなく聞き流していると、ふいにハルの目がティリーアを見た。


「心中お察しするよ。司竜は一般の竜族とは違う感覚だというから、悩みは尽きないだろう。しかも、珍しいね。ティリーアは人間なのか」


 和やかだった場の空気が一瞬で凍りつく。そもそもここまで話題に上らなかったことが不自然なのだが、両親――特に母にとってそれは、直視したくない禁忌なのだ。ゆえに誰も返答できず、気まずい沈黙が食事の席に張り詰める。

 奇妙だと思ったのだろうか、ハルは視線を上げ場を見渡して、不思議そうに首を傾げた。


「どうしたんだ、……言ってはいけなかったのか?」

「あの」


 司竜の問いにすがりつく勢いで声を上げたのは、それまでずっと沈黙を貫いていた母だった。



 

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