四.風と光の訪れ


 あれだけの来訪を楽しみにしておきながら、弟は朝食後すぐに家を抜け出しいなくなってしまった。見苦しく思われないよう家の周囲や庭を一生懸命に掃除している両親の姿を見て、手伝いを言い渡されない内に逃亡したのだろう。

 せわしなく動き回る母の代わりに朝食の片付けを終えてから、ティリーアも両親を手伝うつもりだったが、珍しく近づいてきた父にとどめられた。神妙な顔でこんなことを言う。


「おまえは目立たぬよう、裏庭にいなさい。人間の娘を養っていることを司竜たる方々に見とがめられて、村を追い出されることになってはいけないから」


 それもそうだ、と彼女は納得する。今は村長むらおさの温情で住むことを許されているとはいえ、ここは誇り高き竜族の村なのだ。本来なら人族が住めるはずもなく、追放するよう上から言い渡されれば逆らうことはできないだろう。

 自分が村を出て済むならまだ良いが、そうなった場合に弟が黙っているとは思えない。昨夜のやり取りを思い出し、ティリーアは心に氷が落ちたような気分になった。万が一にも創世主の怒りを買うことになれば、家族や村を危険にさらしてしまう。


「はい、わかりました」


 素直ないらえに父は安堵したように頷き、作業の続きへと戻っていった。ティリーアは一度部屋へ戻って肩掛けとお気に入りの本を取り、靴をいて裏庭へ向かう。今日は天気が良くて風も穏やかだ。日中であれば外で過ごすのも悪くない。

 客を迎えるため整えられた表庭と違い、裏庭にあるのは背の低い庭木と小さな倉庫だけだ。芝生が敷き詰められているので腰を下ろすことはできるが、長時間となるとつらいかもしれない。大きめのクッションも持ってくれば良かった、とちらり思ったが、父の安堵した顔が浮かんでティリーアはすぐあきらめた。


 木陰に肩掛けを敷き、長いスカートをさばいてその上に座る。涼しい風が頬を撫で、髪をもてあそんで過ぎてゆく。重なり合う葉の間を縫って落ちかかる陽光ひかりの温かさに、ティリーアは段々と気分が浮き立ってきた。

 こんな良い日和に、部屋に引きこもって悲しい想像に暮れているなんてつまらない。来訪者たちが弟を引き取る目的でくるのだとしても、今日すぐにとはならないだろう。かれらが村に滞在するとしても、迎え入れるのは村長むらおさの役目だ。夕方になれば弟も帰ってくるだろうし、そうすればきっといつもの――……。


 読むつもりだった本が指の間からすり抜け、膝に落ちる。なんだかひどく眠たくて、頭の中がふわふわしている。子竜が眠るように背中を丸めてティリーアは芝生の中にうずくまった。全身を包むやわらかなぬくもりと、頬に触れる芝生のひんやり感が心地よくて、意識が遠のいてゆく。

 ちらちらと、眼裏に光の欠片が踊っていた。

 この感覚はわかる。自分は今、真昼の夢へといざなわれているのだ。慣れた感覚にあらがうつもりもなく、ティリーアはその誘いに意識をゆだねたのだった。




 幼少期から、彼女はをよくた。

 とても具体的な場合もあれば、おぼろでつかめないイメージであったりもする。いずれにせよ、それが指し示すのはただの夢ではなかった。誰かあるいはどこかの過去、または現実に起きている何か、もしくは未来の片鱗なのである。

 両親に伝えたことはない。どう説明すれば理解してもらえるかわからなかったからだ。弟のアスラには伝えている。『時』の権能を持つ弟はまれに予知夢を見ることもあるらしく、すんなり理解して両親にも伝えてくれた。

 だが、ティリーアの身体に魔法力が宿っていない事実は変わらない。父も母も信じてはくれなかった――単に理解できなかっただけかもしれないが。そして両親も弟も、当然ティリーア自身も、この不思議な現象を村長むらおさには告げていない。


 夢が告げるイメージは良いことばかりではなかったが、長寿で魔法力にあふれた竜族が住む村では、不幸な出来事など滅多に起きるものではない。ましてティリーアの生きてきた狭い世界の中で降りかかる不幸など、せいぜいが天候の悪化や野生動物による作物被害、程度のものだった。

 原理が理解できないとしても、幼少時から共にあるその夢はティリーアにとって怖いものではなく、安心して眠りをゆだねられるものだ。けれど、これは何か――いつもの夢とは違っているように思う。

 閉ざした視界に残っていた光が、まるで真昼のように強く輝いている。確かに今は日中で、太陽は朝より強くなっているはずではあるが。


 空は高く、ひたすらにあおい。あざやかな蒼穹そうきゅうにも呑み込まれることなく、強く輝く真昼の恒星。

 夜に輝く幾千の星を集め寄せても、太陽が放つ輝きを超えることはできないのだ。ただ一つの恒星ほしでありながら、なんとしたたかな光だろうか。


「……、……さん?」


 聞き慣れた声が呼んでいる。微睡まどろみにたゆたう思考がかろうじて、弟の声だと認識した。でもそうだとしたら、太陽を背に覗き込んでくる背の高い影は誰なのだろう――?


「ねえさん、起きてよ」


 途端に、ふわっと意識が浮上する。重いまぶたをゆっくり開き、ティリーアは夢うつつのままでのろのろと上体を起こした。

 どうやら眠っている内にの位置が変わり、影が自分の上から移動してしまったようだ。眩しさに目を細め、何度か瞬きをする。心配そうに自分を覗き込むアスラの姿を見て、安堵感が胸に満ちてゆく。


「大丈夫? こんな日当たりのいいところで寝ていたら、頭、痛くなっちゃうよ?」


 弟が心配そうなのは、自分が胡乱うろんな表情でいるからかもしれない、と思う。

 実のところティリーアはまだ現実をうまく認識できていなかった。弟の背後うしろに立つ二つの、背の高いひとの影。村での付き合いが極端に少ない彼女にもわかるほど、異質なふたり連れだ。

 光がこごったかのような金髪のひとと、蒼穹そうきゅうを思わせる深い青色の――まるでさっきまでの夢が現実化したように。


 ふいにそれが意味するところを理解し、ティリーアの胸に凍りつくような恐怖が差した。

 このふたりこそ、噂の来訪者ではないのか、――と。




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