三.予感


「この世界をつくったひとらしいよ、そのひと」


 続けて告げられた言葉の意味を、ティリーアはすぐにはつかめなかった。世界をつくったひと、とは――創世主ということだろうか。

 何と答えたものか考えあぐねている間にも、アスラはひとりで喋り続けている。


「みんな『風の長ラ・ウィーズ』って呼んでたっけ。きっとすっごく長く生きてるんだろうし……頭の固いおじーちゃんかもね」


 来訪するのが本当に創世主であるなら、あまりに不敬な言い草である。ティリーアは一瞬呆気に取られ、それから可笑しさが込み上げた。

 弟は村長むらおさのしかめつらを想像しているのか、ひとりで面白がって笑っている。自身の立場が特別だからというのではなく、この子は権力におもねるつもりが全くないのだ。その自由さが、愛おしい。

 とはいえ権威をないがしろにするのが良いことだとは思わない。創世主自身が訪ねてくるのだとしても代理の者が来るのだとしても、アスラに会いに来るのは確実だ。目上の者に対するこの態度は改めるべきだろう。


「アスラ……高貴な方にそういう言い方は失礼よ?」

「いいじゃん、別に」


 苦言を程してみたものの反省の色なく流されてしまい、ティリーアは苦笑した。弟は普段から村長むらおさ敵愾てきがい心を向けているので、年長者への敬意が育たなかったのかもしれない。

 言い諭すべく言葉を探すも、アスラはもうその話を続けるつもりはなさそうだった。身軽く窓辺へ駆け寄り、勢いよく押し開ける。途端に冷涼な夜気が部屋の中へ流れ込んできて、思わずティリーアは身を震わせた。


「見て! そらがきれいだよ、姉さん」


 うながされ、瞳を向ける。全開にされた窓の向こうに広がるのは、黒々と連なる山と残光たなびく宵闇の空。迫りつつある夜闇と夕染の名残をとどめた雲が混じり合い、藍とも紫ともつかぬ色合いをつくりだしているのが美しい。

 肌寒さも忘れてティリーアは、窓で切り抜かれた絵画のような夜景に見入っていた。


「みんな、夜は魔の時刻って言うけど、そんなことないよ。どうして、誰もわからないんだろう」


 窓枠から身を乗り出すようにして見あげながら、アスラが呟く。弟の目に映っているのは現実の光景だろうか、あるいはその向こう側に別の光景をているのだろうか。

 幼いながらも司竜である彼は、時々こんなふうにつかみどころのないことを言う。銀の髪を夜風に遊ばせて物思いにふける少年を眺めながら、ティリーアは先ほど胸を圧迫していた想いをそっと抑え込んだ。


(今でさえ、あなたの目にはずっと広い世界が見えているのね)


 ずっとそばにいて支えてほしい、なんていうのは、身に過ぎた願いなのだと、本当はわかっていた。

 竜族と比べ、人族はずっと短い時間しか生きられない。司竜として永遠すら生きるであろう弟のこれからに比べれば、自分が姉でいられる期間などほんのわずかだ。


(わたしはもう……十分すぎるくらいに、良くしてもらったわ)


 産まれてから十二年の間、弟はずっと自分を愛し、支えてくれた。他愛のないお喋りをし、一緒に眠り、お菓子を作って食べたりした。両親だけでなく村の大人たちにも、あの村長むらおさにさえ敢然かんぜんと立ち向かって、自分を守ろうとしてくれた。

 思い返せば思い返すだけ、温かで楽しい思い出はあふれてくる。本来なら分不相応だったはずの幸せを、弟はこれまで目一杯与えてくれたのだ。

 これ以上を望むのは、贅沢というものだろう。


 明日、訪れるという誰かが、本当にアスラを迎えに来るのだとしても。明日が、弟と別れの日になるのだとしても。精一杯の笑顔で気持ちよく送り出そう――と。

 光りはじめた夜の星へ誓うように目を向け、ティリーアは密かに決意したのだった。





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