二.姉と弟


 賑やかな足音が木造りの階段を駆け登ってきて、部屋の扉が勢いよく開けられる。予測はしていたものの、予想以上の大きな音に驚いて身体がびくりと跳ねた。どうやら弟は、怒っているらしい。

 竜族の髪と目は身に宿す魔力を反映した色となる。実の弟ではあるが、アスラの髪は姉と対照的な銀色で、虹彩こうさいは若草色だ。つり上がった眉がわかりやすく今の気分を表している。大方、母の小言を跳ねつけてきたのだろう。

 両手で抱えられた大きめなかごには、さまざまな果物と木の実が入っていた。村の畑地や果樹園ではなく、わざわざ森の奥まで行ってきたらしい。確かに、村の作物は種類に乏しく、育ち盛りのアスラには物足りないのかもしれないが。

 それにしても最近はますます行動範囲が広がって、母が心配するのも当然だろう。



「どうしたの? アスラ」


 やっぱり反抗期なのかもしれない。とがめるつもりはなかったが、穏やかに聞き返せば弟は罰が悪そうな顔になって一瞬視線をさまよわせた。

 姉相手とはいえ、ノック無しで飛び込んできた失礼を自覚したのだろう。


「なんでもないよ、姉さん。それよりこれ、見てよ。姉さんにお菓子作ってもらおうと思って、いっぱいってきたんだから」


 気まずそうな表情から一転しての、得意顔。少し短気なところはあるが、弟は感情がわかりやすい。その素直さを愛らしく思い、ティリーアの口元は無意識にほころんでいた。


「ありがとう、アスラ。こんなにたくさん、大変だったでしょ」

空間転移テレポートの魔法が使えるようになったもん、どこからだってすぐ帰ってこれるよ」


 えへん、と今にも口に出しそうな笑顔で語られた事実に、ティリーアはなるほどと納得した。空間転移テレポートは、空間を歪めてつなげ、離れた場所へ一瞬で移動できるという便利な魔法だが、誰にでも使えるわけではない。

 新しい魔法、それも空間転移テレポートという特殊魔法を覚えて帰還が容易になったため、行動範囲が加速的に広がったのだ。これはいずれ、村の境界外にも行ってしまうかもしれない。


 不意に寂しさが胸に差す。

 誰にとっても価値のない自分と違い、弟は、村の皆が――そして世界が待ちびた特別な存在だ。そもそもこんな小さな村に収まるような立場ではないのだ。

 いずれ竜族のおさとして立ち、竜族を導くよう定められた役割。偉大なる権能を持って産まれた、司竜しりゅうと呼ばれる存在なのだから。




 司竜とは、世界の構成元素エレメントをつかさどる権能を持つ特別な竜だ。竜族自体が長い寿命を持つ種族だが、司竜にはそもそも寿命という概念がいねんがない。自身の属性に連なる事象を自在に操ることができ、その魔力いのちそのものが世界を支える柱となる。

 世界には今、四柱の司竜が存在しているという。

 光、風、水、に加えて、記憶をつかさどる司竜もいるらしい。弟アスラは新たに産まれた司竜、それも記憶の司竜に並び立つほどの特殊な権能を持つ『時の司竜』なのだ。


 アスラが産まれたのはティリーアが六歳になろうとしていた頃だったので、よく覚えている。それまで母をさげすんでいた村長むらおさが鮮やかに手のひらを返し、偉大な存在を産んだといって母を誉めそやしたことも、村の者たちが態度を一変させたことも。

 両親にとっては、救いだっただろうと思う。

 ティリーア自身も、弟の存在にどれほど救われたかわからない。両親も村の者たちも相変わらず彼女には冷たかったが、弟アスラは違っていたからだ。


 竜族は卵からかえってしばらくは子竜の姿で、やがて人の姿かたちを取れるようになる。弟が産まれた時ティリーアはその場にいなかったので、自室に飛び込んできた銀色の小さないきものが弟だと思わず、大いに困惑した。

 竜は人と違い、孵化ふかしてすぐ歩いたり飛んだりできるのだという。直後、慌てた父が追いかけてきて子竜を連れ戻したので、ティリーアには何が起きたかわからなかったが、のちにそれが弟だと聞かされ胸に温かい感情が芽生えたのを覚えている。

 アスラはこんなふうに幼少時から好奇心が強く活発で、しかもなぜか両親よりも姉に懐いていた。言葉も話さぬ子竜のときから反抗期の今に至るまで、親や村の者らの小言をものともせず、変わらぬ態度で慕ってくれる。

 ティリーアが孤独な日々を耐え抜いてこれたのも、弟がいてくれたからこそだった。


 司竜の役割がどういうものなのか、ティリーアはもちろん両親も知らないらしい。数多あまたの異界も含めた世界全部にたったの五柱しかいない存在であれば、いずれこの小さな村にはいられなくなると予測すべきなのだろう。

 その日が来ることを考えると心がうずく。弟がいなくなったあと、自分はどうやって生きればいいのか。思考に沈んでつい表情が硬くなっていたのだろう。


「そういえばね、村のみんなが言っていたんだ。近いうちに、なんか偉いひとが村に来るらしいよ? どんなひとなんだろうね」


 慌てたような早口でアスラが言ったのは沈みかけた空気を察したからだろうが、逆効果だった。思わぬ報告にティリーアは息を飲む。

 今しがた想像していた未来がついに訪れてしまうのでは、と。


「ふぅん、そうなの」


 好奇心の強い弟が新たな出会いに浮かれているのがわかる。きっとこの子はこうやって、どんな場所にも出て行けるだろう。新たな場所で新たな縁を得、世界を広げてゆくのだ。

 寂しい想像に胸がつぶれそうになる。

 ティリーアとしては、早くこの話を終わらせてしまいたかった。しかし弟はそんな姉心は気づかないようで、声を弾ませ話を続ける。




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