第一部 邂逅編

一.忌み子の少女


 東の空があざやかな深紅を帯び、黄昏たそがれ時の訪れをしらせている。

 そわそわと落ち着かない様子で家の中と外を行き来している母に声を掛けるべきか迷い、ティリーアは足を止めた。しばらく様子を見守るも母と目が合うことはなく、彼女は黙って二階の自室へと向かう。

 大丈夫よ、と、声に乗せ損ねたことばを胸に巡らす。

 村の大人たちは口を揃えて、のない時間に外へ出てはならぬと語る。村長むらおさのことばを借りれば、闇の時間はようなるものがうごめくからだという。

 彼女の両親も他と同じく、日没後の闇を恐れていた。夜の時間が迫りくる今、母はまだ戻らぬ弟の身を案じて不安に駆られているのだ。


 弟のこれは反抗期かもしれない、と姉心に思う。

 人族の少年というものは好奇心が強く、活発で、恐れしらずらしい。村には弟の他に子供がいないため、竜族の少年も同じだとは言いきれないが。

 森に入ってはならない、夜に外へ出てはならない、他にもあれこれと――。この村には掟が多い。そのほとんどが先達から受け継がれ、あるいは年嵩としかさの者らに取り決められたものであり、理由を告げられることはまずなかった。

 小さな村で目新しいものもなく、周りは大人ばかりで遊び相手もいないのでは、鬱憤うっぷんも溜まるだろう。


 足音を潜めて部屋へ入り、そっと扉を閉めた。窓際に近づいて壁に手を触れ、目を閉じる。眼裏を巡るいろに不穏は見当たらない。大丈夫、弟はまもなく帰ってくるだろう。

 本当はそれを母に告げて安心させたかったが、今日も変わらずとして扱われたのでは仕方がなかった。

 この様子では夕餉ゆうげも遅れるだろう。読みかけの本を読んでしまおうか、それとも刺繍ししゅうを終えてしまおうか。半端な時間の使いみちに迷いつつ部屋を見回せば、花瓶の花が散っていることに気づいた。


 しおれた茎を抜いて水を替え、別の花を飾ろうとしたところで、階下がにわかに騒がしくなる。弟と母が言い合いしている様子を察し、ティリーアは無意識に息を詰めた。

 息子を溺愛できあいする母と、素直で人懐っこい弟。ふたりの間にみぞをもたらしているのは他ならぬ自分だと、自覚しているからだった。




 伝承によれば、この世界はひとりの竜族により創られたという。

 この村は、始まりの時代に創世竜により招かれた者たちが異界から移住し、ひらいたとされている。真偽はともかくも、ここは確かに誇り高き竜族の村だった。両親も弟も村の者たちも、ここで暮らしているのは生粋の竜族なのだ。ただひとり、ティリーア自身を除いて。


 竜族は、その姿かたちにおいて人族とほとんど変わらない。異なるのは、各自の属性を反映した髪色、そして目の色くらいだろうか。しかしその内側の造りは大いに異なっており、竜族はあふれるほどの魔法力をその身に宿す。魔法を行使し、外観を変じ、巨大な竜の姿になることもできるのだという。

 竜族の母から産まれていながら、ティリーアは人族だった。魔法力を全く持たず、竜に変じることもできず、髪色は漆黒しっこく。目は淡い水珠玉色アクアブルーだったが、かといって水竜というわけでもない。

 その有様は人族に似ていた。しかし、両親とも竜族でありながら、人族の子供が産まれることなどあるだろうか。誰もが理解できず説明のつかない現象に理由を付すとしたら、一つしかない。


 竜族にとって人族は、取るに足りない存在だ。魔法力を持たず、わずか百年足らずしか生きられぬ、脆弱ぜいじゃくな種族である。憐れむことはあれど、愛を交わすなど考えられない。

 彼女を産み落とした母親は、はじめは好奇の、やがては嫌悪の目にさらされ、徐々に心を病んでいった。父親としても、妻を信じることも、自分の子は思えぬ娘を愛することもできなかったのだろう。

 当然ながらティリーアの誕生を祝福する者はなく、両親が幼い娘へ愛情を傾けることもなかった。彼女の名前すらも両親ではなく村長むらおさによってつけられたもので、竜族の古い言葉で『涙の泉ティル・イリーア』を意味するのだという。

 まるで存在そのものが罪であるかのように扱われ、それでも彼女がここまで生き延びてこれたのは、村長むらおさの温情によるのだと――言い聞かされてきた。


 しかしティリーアは物心がつく前からすでに、村長むらおさが人族をひどく嫌っていることに気づいていた。上辺ばかりの温情や同情が何の慰めになるというのだろう。そもそも母を断罪し、呪うような名を押しつけ、排他はいたあおり立てているのは、村長むらおさ自身だというのに。

 他の誰が信じないとしても、ティリーアは母の無実を確信している。信じたい、希望したいなどという曖昧あいまいなものではなく、確信があった。だが、幼少時から両親と心を通わせる機会を奪われ続けた彼女は、それをどう言い表して伝えれば良いのかずっとわからなかったのだ。


 そんな、彼女にとっても両親にとってもつらい状況に終わりをもたらしたのが、歳の離れた弟――アスラの誕生だった。




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