第20話 太陽をつかむ手 -4- 大きな小さい背中
「それと好奇心ね」
「好奇心?」
「そうよ。そこに行けば何があるんだろう?どんなことが待ってるんだろう?って思わない?考えただけでワクワクするでしょう?」
それはわかるけど。でも……
「でもイヤなこともあるかも知れないよ。リスクって言うのかな」
「リスク?そうね、危険はきっとあるわ。
わたしたちは地上に出ると、鳥に食べられたり、人間の子どもたちに捕まるかも知れないわね。そう教えられてきたわ。
だからなに?」
「え?だから……だから、心配でしょ?」
「心配だから地上に出ずにずっと土の中にいるってこと?そんなバカな。
わたしたちセミは、誰もそんな考え方しないわ。人間って随分臆病なのね。おっかしい」
臆病?そう言われると、ボクは臆病なのかもしれない。いや、多分臆病なんだ……
こんな小さな生き物にボクは負けた気分だった。
「じゃあ、わたし行くわ。もっと上の方まで登って安全そうな葉陰を探す。
羽化の最中が無防備で一番危険だから。フフ、そのリスク対策ってやつよ。
じゃあね、坊や」
セミの幼虫はそう言い残し、木を登り始めた。一歩一歩手足を動かし、少しずつだがその小さな体で上に登っていく。
その動きは決して早くはないが、力強くて、その丸みを帯びた背中に強い意思を感じた。
ボクは立ち上がってしばらくその姿を見上げていた。
ボクの手の平に収まるほど小さな体なのに、夢や希望がいっぱい詰まったその背中が、とても大きく輝いて見えた。
「どやった?セミの子おったか?」
ハルオがテルオの屋台でタコ焼きを食べていた。
「はい、いました」
「ほうか。話、できたか?」
「はい」
「どないな話やったん、おっちゃんにも聞かせてえな」
「えーと、十三年目で土の中から出てきたって。それと空を飛びたい、後は太陽をつかみたいって言ってました」
「太陽つかむてか?ほお、そらごっつい夢やなあ」
ハルオがその小さな眼を大きく見開いた。
テルオは黙々と次のタコ焼きを焼いている。
「にいちゃん、その話聞いて、どう思たん?」
ハルオはまた一個、タコ焼きを口に入れた。
「え?なんか、セミに負けた気分というか……」
「セミに負けた気分てかあ、そらえらいこっちゃなあ」
「ボクよりあのセミの方が将来に夢を持ってるというか……」
「そうか、セミは大人になってもせいぜい数週間しか生きんのやろ。せやのに大層立派な夢を持っとるもんやな。
ちいちゃいのに大したもんやで、ほんま」
「可能性を試したいって言ってました。
誰にでも可能性って、本当にあるんですかね?」
「あらいでかいな。若いもんは可能性だらけやないかい。
売るほどあるやろ、おっちゃんにちょっと分けて欲しいわ。ガハハハハ」
ハルオが豪快に笑い、また一個タコ焼きを口に放り込んだ。
「にいちゃん、大人になっていくっちゅうのはな、失敗の連続やで。それから逃げたらあかんわ。
ワイらはこっちの世界に居ついてもうたけど、にいちゃんは元の世界で頑張らな。
そのうちな、自分がやりたいこととか、自分におうたこととか見つかる思うで。
今は何やってええかわからんでもな、そのうち必ず見つかるから。
そない焦らんでええ。もっと自分を信用したらんとあかんがな」
ハルオはまた口にタコ焼きを放り込んで、ガハハと声をあげて笑った。
「ま、人生はタコ焼きみたいなもんやな」
テルオが鉄板から顔を上げた。
「なんじゃそれ?」
「タコ焼きはな、一個一個全部きれいに焼いたろ思うねんけどな、出来上がったら微妙にちゃうねん。
具がちょっと顔出してたり、紅生姜多なったり少ななったり、ちょっとコゲてたりな。
せやけど、それは個性やからな。それがええねん、それでええねん。一個一個ちごててええねん。
全部かわいいタコ焼きや」
「ほほお、なるほどな。ええこと言うやないかい、さすがワイの弟や」
「ワイの弟て、えらそうに。おかんの腹から出てきたのが後か先かだけの違いやないか。
ほんまいっつもタダで食べくさりやがって、銭払わんかい」
二人の掛け合いは漫才のようだ。口では悪く言い合える兄弟の仲の良さが、一人っ子のボクには羨ましく映った。
なぜボクは大人になりたくないと思うのだろう。セミの話、今の二人の話を聞いて、その理由を考えていた。
何か乗り越えないといけないものに、自分は背中を向けているのかなとそんな気がしていた。
「お前な、たいがいにせえよ。たまには銭払ろて食えっちゅうねん」
テルオが腰に手を当てる。
「まあ、ええがな。堅いこと言いないな」
ハルオは意に介さない。
「ほんま、いっつもいっつも。ワイが焼いて、お前が食うてばっかりやないか」
「うちの会社の賄いみたいなもんやから。福利厚生っちゅうやつや」
「いつから会社になってん。そんなん聞いとらんわ」
「大丈夫、キミにも重要ポストを用意しとるで」
ハルオが胸を叩いた。
「重要ポストてなんじゃい」
「キミは天下の副社長」
「ワイが副社長?ほな、お前は?」
「社長を務めさせてもらいます」
ハルオは笑顔満面だ。
「ほうほう、結構なこっちゃね。従業員は何人おんの?」
「ワイとキミの二人」
「二人だけ?」
「ワイが上司でキミは部下。副社長くん、せいぜい働きたまえ」
「何がたまえや。呆れてものも言えんわ」
テルオは両手を上に向けた。
「そんな心優しいキミにはきっとええことがあるて。神さんがちゃあんと見てくれてはる」
「神さん、いっつもただで食うとるこいつも見といてや」
テルオが天を見上げた。
「え?神さん、見てはるか?」
ハルオが焦った表情。
「そら見てはるやろ」
「まあ、兄弟仲良うしいて言うてはるわ」
「ほんま、めげんやっちゃな。またクロスケに怒られるぞ」
「クロスケな、あいつほんましっかりしとるからなあ」
クロスケ?
どこかで聞いた名前だった。
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