第19話 太陽をつかむ手 -3- 土の中の十三年

 市の裏手へと行ってみた。

 市全体はうっそうとした森に周りを囲まれている。中でも一際目立つ大きなクスの木があった。

 ハルオが教えたその木は枝ぶりが立派で、太い幹を天に向かって伸ばしている。

 見上げると、漏れた屋台の照明に芽吹いたばかりの新緑の若葉が浮かび上がって見えた。


 ボクは虫を触ることができない。

 虫は足がいっぱいあるのと、どこを見ているかわからない目が怖かった。正直、虫は苦手だ。

 元々苦手なことに加えて、ボクの心に強烈に焼き付いているひとつの光景がある。


 小学三年の春。下校途中、クラスの男子グループと近くの河原に立ち寄った。

 春の草花が芽を出したりタンポポが早くも咲き始めていた土手を、拾った木の棒で突っついたりしながら歩いていた時、後ろで声があがった。

「うっわ、きっしょ」

 振り返ると、ポンプ小屋のフェンスに立て掛けてあった木の板を、一人の男子がひっくり返していた。

「テントウ虫じゃん」

「いっぱいいる」

「すげー」

 ひっくり返した板の裏に、二十匹ほどのテントウ虫の群れが肩を寄せ合うように密集していた。後で知ったがテントウ虫は成虫で越冬するらしい。

 駆け寄った皆が興味津々にのぞき込む。


「こいつだけ変なの」

 誰かが声をあげた。

 赤いテントウ虫たちに混じって一匹だけ黄色いのがいた。

「なんだ、こいつ」

「本当だ。変なやつ」

「お前は仲間じゃないや。どっか行け」

 最初に見つけた男子は「えーい」と言うと、持っていた棒の先で黄色いテントウ虫を弾き飛ばそうとし、「あっ」と声をあげた。

「あーあ、潰しちゃった」

 黄色いテントウ虫が体から汁を出して転がり落ちた。


 男子たちは木の板を放り出し、「児童公園行こうぜー」と一斉に駆け出していった。

 ボクは放り出された板から目が離せず、全身の血が引いていくのを感じた。

 皆と違うって理由で、あんなことされちゃうんだ。

 ボクは自分のことを皆に隠したいと思ったし、この先どうやって大人になっていくんだろうと、目の前が真っ暗になった。

 その時の光景が今もボクの脳裏に強烈に焼き付いている


 少しへっぴり腰で幹の辺りを探してみると、腰の高さぐらいのところにしがみついているセミの幼虫を見つけた。

 茶色い小さな体が照明の光を受けて光っている。

「やめてね」

 いきなりそいつがしゃべった。


 やめてねって、何を?ボクはしゃがみ込んで、そっと顔を近づけてみた。

「やめてね」

 もう一度同じことを言い、ボクから逃げるように少し横に動いた。

「何もしないよ」

 ボクはできるだけ優しく声をかけた。

「ホント?捕まえたりしない?」

「しないよ。ボクは君たちを触れないもん」

「そう、よかった。安心した」

 しばらく観察したが、セミはじっとして動かない。


「土の中から出てきたんだよね?」

「そうよ。ついさっきね」

「今から羽化するんだ」

「そう、やっとよ」

「セミは確か、幼虫の時間が長いんだよね」

「うん」

「どれぐらい?」

「十三年」

 じゅ、十三年も?

 驚いた。長いとは知っていたがそんなに長いとは思わなかった。

「十三年よ。わたしたち十三年ゼミは十三年毎に一斉に羽化するの。今年がその年よ」

 へー変わった種類なんだな。セミが出てくる季節としてはまだ早いし、それも十三年ゼミの特性なのかな。


「十三年ってボクと同い年だよ」

「あらそう」

 軽く言われた。

 生まれてからずっと土の中で過ごしてきたことを、想像しようとしたがとても想像できない。あまりにも長い時間だ。

 どんだけ長かったことだろう。

「今、初めて地上に出てきたんだよね?」

「そうよ。たった今、生まれて初めて地上に出たのよ。

 本当はね、卵からかえった時は木の上なんだけど、すぐに地中にもぐるの。わたしたちの本能がそうさせるから、その時のことは覚えていないわ。

 今まぶしくって目を慣らすのにじっとしていたの。もう大丈夫かな、うん大丈夫そうだわ」

 屋台の照明がまぶしいよね。真っ暗闇の土の中から出てきたんだもんな。


「生まれて初めて見た地上の世界ってどう?」

「びっくりよ!本当にびっくり。想像していた以上に大きいし、いろんなものが見えて、びっくりしてワクワクしてるわ」

「そうだよね。土の中とは全然違うよね」

「全然違うわよ。土の中は暗くてじめじめしているし、誰かと出会うことも少ないし。今日のこの日をどんだけ待ちわびたか。

 本当に大人になるのが待ち遠しかったわ。だから一番乗りで出てきたの」

 待ち遠しかった、か。ふーん。


「大人になるのが待ち遠しかったって、どういうこと?もう少し話を聞かせてくれない?」

「どういうことって、ずっと十三年も土の中にいたのよ。想像してみてよ、十三年もよ。

 地上に早く出ちゃうとわたしたちは死んじゃうから、十三年は絶対守らないといけないの。だから一年一年指折り数えて待ちわびていたわ」

「そんなに長い時間、何をやってたの?その、土の中で」

「何をやってたって?十三年かかっちゃうのよ、体の準備が整うのに。

 わたしたちが口にできるのは樹液だけ。それも木の根っこからしか吸えないから、体の成長に時間がかかってしまうのよ。

 一生懸命に体を大きくしてきたわ、十三年かかってね」

「そうなんだ」

「土の中でただじっとしていたわけでもないけどね。意外と土の中を動き回っているのよ。アリさんやミミズさんとお話ししたりね。

 それでも行動範囲は狭いし、早くもっとこの広い世界に出たかったわよ」

 セミの話している表情がよくわからない。ボクはもう一歩近づいた。


「この後、わたしの背中に羽根が生えてくるのよ。信じられる?空を飛べるのよ、太陽に向かって飛べるのよ。

 話には聞いてるの。空はとても大きくて、太陽はとてもまぶしくて暖かいんでしょ。

 どこまで飛べば、どこからが空なの?

 空からどれぐらい飛べば太陽に手が届く?

 太陽って遠い?

 わたし、その太陽に触れてみたい。この手でつかんでみたいの。

 それをずっと想像してきたのよ。もうワクワクが止まらないわ」

 話しぶりからセミの興奮が伝わってきた。

 あと数時間もすれば念願通り木から飛び立てるだろう。セミのそんな純粋な思いを羨ましく思った。


「なぜ大人になりたかったの?」

「うん?理由なんか考えたことがないけど……自分の可能性を試せるじゃない」

「自分の可能性?」

「上手く言えないけど、子どもの時にできなかったことでも、いろんなことができるようになるでしょう。

 だったらその力を使ってみたいじゃない。

 わたしの場合は自分の力で空を飛んで、この手で太陽をつかむことよ」

「太陽はつかめないと思うけど……」

「そんなのやってみないとわからないじゃない。誰かに言われて、やらずに諦めるんじゃなくて、わたしは自分でやってみてダメだったら諦めるわ」

 発想が違うというか、言葉を返せなくなっている自分を、ボクはとても小さく感じた。

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