第18話 太陽をつかむ手 -2- 名前と生きる

「あほ言うたらあかんわ。ワイらな、こう見えてええとこのボンやってんで」

 ええとこのボン?ってなんだろう?

「ハルオ、ちょっと話したり」

「おう。ワイらな生まれた時からな、将来は医者になれ言われて育てられてん。

 親父は中学を出て商売で一発当てて一代で財を成した男やからな、まあ自分が苦労したぶん、子供には違う道行かせたかったみたいやな」

「ワイら城みたいな屋敷に住んどってんで」

「小学校から家庭教師つけられて無理やり勉強させられたり、習い事ばっかりや。自由なんか全然あらへん」

「友達ともっといっぱい遊びたかったわ」

「ほんまにな。ほんでワイら双子やろ。せやからいっつも比べられて競争させられんねん」

「せや、テストの点数とかバイオリンとか英会話教室とかな」

「そやって比べられんのが一番いややったわ」

「そやったそやった」

 手を休めないテルオが、鉄板のタコ焼きを千枚通しで器用に回し始めた。一つ一つきれいにクルッと丸まっていく。


「ほんでな、なんと言うてもワイら自身は医者なんかなりとうなかってん。第一、二人とも勉強が大嫌いやから、どもならんわ。

 ほな何になりたいねんて、それはまだわからんかってんけどな、とにかく親に勝手に決められるんがいややったんよ。わかるか?」

「はあ、勝手に決められるのは……」

 うちの親はそんなことはしない。何かを強制されたことはない。ボクはその点恵まれてるのかな。


「ほやろ、せやから二人で企んで家出したんや。それが十八の秋、日曜の夜やった。サザエさんに勝ったら行くぞいうてな」

「ほうや、ワイがじゃんけん勝ったから家出を決行したんや」

「そやけどあちこち行ったり来たりで苦労したでえ。ここでは言えんような目にもいっぱいおうたわ。ほんまおとろしかった。

 ほんでなんやかんやでここに逃げこんできて、ラムネ屋を始めたっちゅうわけや。

 どや、人生山あり谷あり、波乱万丈の感動巨編やろ」

 感動巨編か……どんな怖い目にあったのかわからないけど、人には様々な過去や事情があるんだなあ。

 でも今こうして話している二人は、とてもいい顔をしているようにボクには見えた。


「もうすっかりこっちに慣れてもたからな、元の世界に戻る気はないわ、なあ」

「ああ、そやな。サラサラないわ。こっちがええ」

 テルオがタコ焼きを回す千枚通しのカチカチという音がリズミカルに続く。

「ワイら子供の頃な、ほとんど自由がなかったやろ。せやから今は好き勝手できんのがめっちゃ嬉しいねん、幸せやねん。なあ」

「ほや。ほんでなワイらには妹が一人おんねん。妹はワイらと違うて小さい頃から勉強もようできたからな、頑張って医者になりよってん。えらいやろ、ワイら自慢の妹や。

 ほんで今は親の面倒もちゃんと見てくれとる。せやから親の心配せんでええ。ワイらも安心や」

「ほんまや、ビオラに感謝やな」

「ビオラ?」

 思わず聞き返した。

「ビオラは妹の名前や。変わっとるか?まあ、親父のセンスは独特やからな。

 子供の名前は全部親父一人で決めたらしいわ。ワイらの本名教えたろか?」

 ハルオがいたずらっぽく笑った。


「苗字はシラトリ、ハクチョウと書いてシラトリ。白鳥ルキヤにジュキヤっちゅうねん。ワイがルキヤで、こっちがジュキヤ。あ、今名前聞いて笑ろたやろ」

 笑いそうになったのを飲み込んだ。あまりにも見た目とのギャップがあり過ぎる本名だ。

「嘘ちゃうで。苗字はさすがに親父が決めたわけやないけどな。

 せやけどこの顔のどこがルキヤにジュキヤやっちゅうねん。

 自分らで笑ろてまうわ、ほんま。ガハハハハ」

「ほんまやで。役所も出生届よう受け取ったもんや。

 ワイが役所の役人なら〝あかん、考え直せ〟っちゅうて追い返すわ。ガハハハハ」

 二人は自分たちのことをネタにして笑い飛ばしている。

 全然気取ったり、カッコつけようなんてしていない。なんか、すごいな。


「せやから、ハルオとテルオの方がなんか落ち着くねん、しっくりくんねん」

「ほや、気に入ってもうたんや」

「新しい名前で新しい人生を生きよう思たんや。子供の頃、いろんなこと我慢してきたさかいな、いま自由にやれてんのが嬉しいねん」

「ほうやでえ、一生懸命働いて、一生懸命楽しまな。大人の時間の方が長いんやからな。

 と言うてる間にタコ焼きの出来上がりや。はい、お待っとうさん」

 テルオが焼き上がったタコ焼きを手渡してくれた。ボクは銅貨三枚を払った。

「おおきに。熱いさかいな、気つけや。フーフーして食べや。火傷しいなや」


 ソースの匂いが鼻をくすぐる。受け取った舟皿が熱々だ。

 ボクはひとつ目を口で冷ましてから半分かじった。外側がカリッと焼け、中がトロっとしてタコの切り身が顔を出した。

「ふほふほふほ、っつぅ、はっふぅ、ほいひいれす」

 生地にダシを入れているのか、口の中においしさが広がった。


「にいちゃんは若いんやから人生これからやで。せいぜい楽しまんとなあ」

 ハルオがガハハハハと大きく笑った。

 ボクは手元のタコ焼きに目をやって、「はあ」と小さくため息をついてしまった。

「しんきくさい顔して、ため息ついて、どないしたんや?タコ焼きうまないんか?」

「あ、いえ。タコ焼きはすごくおいしいです」

「ほな、なんや?」

「ふーん……」

「言うてみいな」

 二人がじっとボクを見た。

「ボク、大人になりたくないんです」

「大人になりとうない?なんでや」

 理由はわからない。でもなんかいやだ。大人になんかなりたくない。

なりたくない理由を答えられずにいた。


「にいちゃん、歳いくつやった?」

「十三、今年十四になります」

「そうか、十三、十四か。ほやな、その時期はそんなことも考えるかな」

 そう言ったきり腕を組んで黙り込んだハルオが、思いついたように口を開いた。

「そや、にいちゃん、あっこに大きなクスの木あるやろ。あの根元にな、セミの幼虫が出て来とったわ、こんな、ちっこいの。ワイさっき見つけてん。

 その子と話してきてみ。ここでは動物も虫も人間の言葉しゃべりよるからな、なんか話聞けるんちゃうかな」

 ハルオが指さした屋台の裏手に大きな木が立っていた。


 セミの幼虫と話せって?……虫……かあ。

 ボクの頭の中にある日の光景が浮かんでいた。

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