第12話 シルクハットの親分 -4- あるがまま

「他人の評価を気にし過ぎるって、ワクからはみ出さないようにしようとか、他人の物差しに自分を合わせようとしていないかい」

 ゴウが話を続ける。

 ワクからはみ出さないようにか。そうか、その感覚はあるかもしれない。


「他人の評価が気になるのは、自分の軸みたいなものが定まっていないっていうのも原因のひとつだね」

「自分の軸って?」

「価値観とか哲学とか、モットーや大切にするもの、指針とか方針とか。やさしく言い変えるならキャッチフレーズでもいい」

「キャッチフレーズ?」

「スーのキャッチフレーズは何だい?決まってるかい?」

「え?キャッチフレーズ?」

 そんなこと、考えたこともない。

「スーの年頃ならまだ定まっていなくてもおかしくないよ。自分が大切にするものを見つけていく真っ最中だから」

 その自分の軸って、どうやって見つけるんだろう?


「僕のキャッチフレーズを教えようか?」

「あ、はい、ぜひ」

「自由であれ、さ」

「自由であれ?」

「そう、自由であれ。それが僕にとって一番大切なこと。それが良いとか悪いとかじゃないし、他人と比べるものでもない。僕が一番自分らしくいられるのが〝自由〟であることなんだ。

 人間なら何かで一番になるとか、誰かを幸せにするとか、世の中の役に立つとか、いろいろあるんじゃないの」

 ボクもいつかそんなことが見つかるのかな。今は何も浮かばなかった。


「僕はこれまで何軒もの人間の家を渡り歩いてきたんだけどね。新しい家にお世話になってもしばらく経つと、なんか窮屈になってきちゃう。自分が自分らしくない気分になっちゃうんだ。

 そうなったら家出して自由気ままな野良生活に戻る。縁のある家が見つかったらまたお世話になるし、見つからなければそのまま野良でもいい。

 それが一番自分らしくって心地いいことなんだ。変な猫だと思うかい?だけど自分にとってそれが一番大切なことだから、他人にどう思われても全然気にはならないよ」

 そう言って微笑んだゴウの顔は、ボクとは違って迷いなどない毅然としたものに見えた。


「あと、親分の場合は承認欲求が強く出過ぎているんだよね」

「ショウニン、ヨッキュウ?」

 ゴウは難しい言葉を知っているなあ。なんか人間の言葉を猫に教えられて、恥ずかしくなってくる。

「誰もが持っている欲求のひとつなんだけどね、自分の価値を他人に認めて欲しいのさ」

「自分の価値を?認めて欲しい?」

「そう。でもよく考えてごらんよ。人だって動物だって生まれてきただけで価値があるんだよ。価値のない存在なんて一人もいないんだから」

 生まれてきただけで価値がある?

 その言葉はどこかで聞いた気もするけど、なんだか今のボクには響いてこないや。


「多分、親分は育ってきた過程であまり愛情をもらえなかったか、何か挫折をして大きなコンプレックスを今も抱えているのか、とにかく自分でも気づいていない何か足りないものがいつも自分の中にあって、それを必死に埋めようとしているんだろうな」

 なんでそんなにいろいろわかるんだろう。

 ゴウは猫なのに、ボクには立派な大人の人に見えてきた。


 今ゴウが言ったこと、ボクは一体どうだろうな。

 両親の愛情が足りないと思ったことはない。ボクのことを理解してくれるのに時間はかかったけど、ボクの味方になろうとしてくれている、それはちゃんとわかっている。感謝している。

 それと、挫折か……これまで挫折と呼べるほど何かに真剣にチャレンジしたことが無いかもしれない。


「じゃあ、そのショ、ショウニンヨッキュウを持たないようにすればいいんですね?」

「それはできないよ。無理だよ。承認欲求が悪いわけじゃないんだ。その欲求は誰にだってあるさ」

「だったらどうすればいいんですか?」

「そうだな、自分で自分の価値を認めてあげることに早く気づくことだな」

 自分で自分の価値を認めてあげる、か。なんか新鮮な言い方。

 でもその自分の価値が今のボクにはわからないよ。


「ありのまま、あるがまま、でいいんだよ」

「ありのまま、あるがまま、ですか?」

「そう、ありのまま、あるがままの自分にOKを出してあげる。いいところもあるし、そうじゃないところもあるし、誰だって両方あるんだから。自分を否定しちゃいけないよ」

 ゴウが言ったことは、わかるようでわからない。

 ありのまま、あるがままでいいって言われても、その勇気がない。

 口では簡単に言えるけど、ありのままって実際はそんなに簡単じゃないと思う。


 ポップコーンを作りながら、ゴウが長いヒゲを手の甲でなぞった。

 ゴウは時々その仕草をする。なぞられた白いヒゲはピンと立ち、黒い毛並みに一際よく目立つ。

 田舎のばあちゃんはよくミーコの抜け落ちたヒゲを見つけると、「猫のヒゲは御守りになるのよ」と大切そうに裁縫箱のメガネケースに拾い集めていた。


 ばあちゃんだけはこんなボクのことを、幼い頃から自然に受け入れてくれた。

「そうか、じゃあ今日からスーちゃんと呼べばいいんだね。可愛い名前だね」

「スーちゃんがいるだけで、わたしは幸せなの」

「スーちゃんはスーちゃんのままでいいのよ」

 ボクはボクのままでいい……ばあちゃんもゴウと似たようなことを言っていたことを思い出した。

 昨年ばあちゃんが介護施設に入ってから、一度しか会いに行っていない。

 この半年間は自分のことしか考えていなかったことに気づき、来週にでもばあちゃんに会いに行こうと思った。


「あ、そうそう。ゴウあのね、こっちで使えるお金ってどこで両替できる?」

「ウーン、両替ってのはないんだよ……」

 夜市のお金は手に入らないのか、じゃあ仕方ないか。

 まあ、それでも明日も絶対来よう。


 しかし、ここではやけに時間の進むのが速い。時計がどこにもないので正確な時刻がわからないが、普段の倍ぐらいのスピードに感じる。これも不思議だった。

 気づけばもう東の空が白み始めていた。

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