第3話 あやしの市 -3- 言葉を話す黒猫

 入り口のアーチをくぐると、ポップコーンを売っている一台の屋台があった。

 そこに人間の言葉を話す黒猫がいた。


「いらっしゃい」

 猫がはっきりとしゃべった。びっくりした。

 二本足ですっくと立ち、艶のある黒い毛並みに黄色い革のベストを羽織っている。

 黒猫はボクの足元に目をやってから言葉を続けた。


「ふふん、猫がしゃべっているから驚いたかい?」

「あ、はい」

「僕も最初は驚いたよ。ここに来たらいきなり人間の言葉がしゃべれるようになったんだから。ふふん」


 猫が口を動かして本当にしゃべっている。


「ま、人間のことは長い間観察してきたからね。言葉はだいたい理解していたんだけどさ」

 猫って人間には全く関心がないように見えるけど、実はああ見えて人間のことを観察しているのか。

 そう言えば確かに人間の言葉がわかっているのかなって思う時がある。

 ばあちゃん家にいたミーコも、まるでばあちゃんと会話しているみたいだった。


「あのう、ここは何ですか?」

 言葉をしゃべれるんだったら答えられるかなと質問してみた。

「ここかい?ここは〝あやしの市〟だよ」


 あやしの市?

 ほら、と言って黒猫が指さした方を振り返ると、さっきくぐり抜けたアーチの入り口に、大きな提灯が八つぶら下げられている。

 提灯には一文字づつ、あ、や、め、ば、し、夏、の、市、と書かれていたが、め、ば、夏、の提灯の明かりが消えている。

 点灯された提灯の文字だけを読むと、確かに「あやしの市」だ。


「えっ、どういうことですか?」

「ふふん、だから、あやしの市だって。詳しいことは僕も知らない。夜の住人だけが集まる夜市だよ」

「夜の住人?」

「キミも来たってことは、キミも夜の住人だってことさ。だから招かれたんだ」


 夜の住人?招かれた?

 なんのことかさっぱりわからない。


「まあ僕の場合は体の色が黒いから夜っぽいだろ。それに猫って本来夜行性だから」

 夜に関連していればここに招かれるってことなのかな。

 だとしたらボクはなぜだろう。完全な夜型人間の生活を送っているからかな。


「招かれたって、誰かが決めているんですか?そのう、夜の住人かどうかを」

「さあ、それも知らないな。だけどそんな者たちばかりがここには集まっているんだよ」


 誰かがボクを招いたってこと?一体誰に? 

 ボクは急に不安になってきた。


「まあ、そんなに怖がることはないよ。ひどい目にあうようなことはないから」

 ひどい目にあうようなことはないって?本当かな?

「君はなんでここに来たんだよ?」

 え?なんで?って……なんでだろう。

「こんな真夜中に何してるんだい?」

「えーと、それは……」


 それはやっぱり元はといえば、学校に行かず部屋の中に閉じこもっていたから、昼間寝て夜起きる生活になってしまった。

 それで、えーと昨日、いや一昨日の夜か、窓の外から聞こえてきた声に気づいた。

 学校に行かなくなった理由はなかなか一言では説明できない。


「なんか、しぼんだ風船みたいな顔をしてるねえ」


 しぼんだ風船?ボクはどんな顔をしているんだろう。そんな冴えない顔をしているのかな。言葉が出なかった。


「まあ、人それぞれ理由はあるからね。ここの連中も皆、様々な事情を抱えているよ」

 ここの連中って、そんな訳ありの人たちばかりが集まってるってこと?


「その、あやしの?あやしの市って、何をやってるんですか?」

「だから、夜市だって。いろんな屋台が出てるよ。いろんなモノがいるしね、ふふん」


 黒猫がまた意味ありげに笑った。鼻を鳴らすように笑うのはクセらしい。


「時間は午前零時から夜明けまで。一週間毎に場所は移っていく。この場所では、えーと今日が三日目か」


 三日目って、確かに一昨日の夜に気づいたんだっけ。

 いろんな店にいろんな人?怪しいからあやしの市ってこと?わからないことだらけだ。

 この黒猫も一体何者なんだろう。人の言葉を流暢にしゃべっているのがそもそも普通じゃない。怪しいと言えば怪しい。


「あのー、あなたは」

 勇気を出して聞いてみた。

「僕かい。僕はご覧の通り、ただのポップコーン売りさ。星くずのポップコーンを売ってるんだ」

「星くずのポップコーン?」

「流れ星が落ちた場所には星のかけらが落ちている。それを拾い集めてこの機械にかけると星くずポップコーンの出来上がりさ」


 機械というほど大した仕組みではなさそうだが、黒猫は屋台の大きな鍋のようなものをポンと叩いた。

 星のかけらって?そんなものが食べられるのかな。


「味見してみるかい?」

 並べてあったポップコーンをひとつまみしてボクにくれた。

 見た目は普通のポップコーンと変わらない。よく見ると、所々ライトに反射してキラキラと光っている。

 ボクは指先でつまんだ一粒を恐る恐る口の中に入れてみた。

 ポップコーンは口の中でパチパチと弾けるような感触がして、すぐに溶けてなくなった。爽やかな甘い味が口に残った。


「すぐに消えちゃっただろ。星っていつかは消えてなくなるものだからね。まあその感触を楽しむものだから、お腹はいっぱいにはならないよ。今のは一番人気のソーダ味さ」

 黒猫は自慢気にその金色の瞳をキラリと輝かせた。


「もうかれこれ一年前になるかなあ。夜の町を散歩してたら、ここにたどり着いて、この屋台をやっていたモモンガに頼まれちゃったんだ。代わりにやってくれって。そいつアイスクリーム屋も掛け持ちしていて、そっちが忙しくなったからってさ」

 この黒猫もボクと同じように、たまたまここへやって来たわけか。


「まあ楽しんでるよ。いろんな者と言葉を使ってしゃべるのも悪くない。それはそれで面白いしね。当分の間はまだやろうかなって思ってる」

 ライトに浮かんだ白く長いヒゲを片手でなぞり、じっとボクを見た。

「僕の名前はゴウ。ここじゃそう呼ばれている。ほらこれ」


 ゴウが屋台の看板を指差した。

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