第19話
第十八章
マーは弟のミンヤンを捜し始めた。羅に聞いてみても、弟の入所した貴州省の施設名あるいは連絡先すら覚えていなかった。もう二度と子供に会うつもりはないとでも思っていたのであろう。マーは無責任な父親だと心の中で羅を非難した。
そこで貴州省にある施設を一軒ずつしらみ潰しに当たってみることにした。少しでも親の責任を果たしてもらおうと、羅にも分担してもらうことにして、作業を開始した。
何しろ十五年近く経っているので、施設自体がなくなったり、職員も代わったりで作業は困難を極めた。それでも、何十件当たるうちに一件該当があった。
受け入れた子の名前・羅明陽。保護者名・羅承基。
入所後五年目に養父母に引き取られて台湾の基隆(キールン)に移住。
施設にはたったこれだけのメモ書きだけが存在していた。
施設の関係者に尋ねてみたが、他の情報はなく、糸はプツンと切れたかに思われた。
「キールンなら古い友人がいる。可能性はあるな」
羅が陳のことをマーに話した。
「キールンと言っても何も取っ掛かりがないから、とにかく父さんの言う友人でも訪ねてみようか」
マーが提案した。
キールンに向かうバスの中で羅は台湾に逃亡して来て、久しぶりに陳に出会った日のことを思い出していた。
あの時確か陳は養子をもらったことがあると言った。ひょっとすれば、それがミンヤンなのか。
バスが陳の家の近くのバス停に着き、二人は早速陳の家を訪ねたが応答がない。
泊めてもらったことのある離れに行くと、陳が布団で寝込んでいた。
羅を認めると、陳は好きな論語のフレーズを口にした。
「朋あり。再び遠方より来る。また楽しからずや、だなあ」
羅は咳き込んだ陳の背中を擦った。
「どうした? 風邪でも引いたか」
「ああ、冬の漁は応えるぜ」
陳は苦しそうに体の向きを変えると、離れの入り口に立っている少年が目に入った。陳はドキッとした。あいつが生き返ったようだ。まさか、そんなこと……。陳は立ち上がりかけて叫んだ。
「ミンヤン! いつ帰ったんだ?」
羅は驚いて陳の顔を見た。
「ミンヤンだって? やはりお前が引き取った養子というのはミンヤンだったのか! こいつは俺の息子マーだ」
「ミンヤンにそっくりだぜ!」
「そら双子だからな」
羅は陳を寝床に寝かせて背中を擦りながら言った。マーも驚いている。
「ボクは双子の兄なのか! てっきり年の離れた弟がいると思っていた」
「そのミンヤンだが、行方知れずになったんだよな?」
羅の確認に、陳は下を向いて頷いた。
「嫁さんが病で亡くなって、ちょうど俺も漁がかき入れ時で忙しかったんだ。それでミンヤンの奴、気を使って姿を消しちまった。そういう優しい子なんだよ、あいつはな」
そう言って陳は激しく咳き込んだ。
「おい、薬はあるのか?」
羅が問いかけた。
「いや、人間には自然治癒という有難いものがあるからな」
言った途端に陳はまた激しく咳き込んだ。
羅は陳に体温を計らせた。
「凄い熱だ。医者に診てもらった方がいいぞ。俺が連絡してやろう。連絡先を教えてくれ」
羅は陳から聞いた電話番号で往診を頼んだ。
診察が終わり、薬を飲んだ陳はよく眠っている。
「父さん、ミンヤンをどうして捜そうか」
マーの問いに、羅も首を傾げた。
翌日、陳の高熱も下がり、羅は陳にミンヤンの立ち寄り先として可能性のあるところはないかどうか尋ねた。
「あいつはタイペイの中心街にある何軒かの居酒屋によく友達と出かけていたことはある。俺も暇な時にミンヤンを捜しに足を運んで店の人間に尋ねたりしたが、結局会えなかった。だから自信はないが、捜すならその辺くらいだなあ」
陳が肺炎に罹っていないか調べてもらうため中心街の病院に出かけるついでがあったので、陳に案内を頼み、みんなで中心街に出かけた。私服の諜報部隊に出くわす恐れもあるので、まだタイペイに居る李新念にも声を掛けた。手強いという部隊長の楊応州をよく知る李が居てくれれば、何かと心強い。
李は喜んで「ミンヤン捜索隊」に参加してくれた。
陳は李を見た途端、何故羅を逮捕しに来た男が羅と一緒にいるのか訝(いぶか)ったが事情を聴いて納得した。
陳から聞いた何軒かの店が二階の常連客になっている飲み屋・大同に近かったので羅はみんなと大同に寄り、仕込み中の主人にミンヤンの顔写真を見せて尋ねたが、客筋には居ないという。
「この写真、こっちのお兄さんのじゃないのか? そっくりだよ」
主人はマーを指差した。
「双子なんだ」
「道理で……」
そこから何軒か居酒屋を回ってみたが、確たる情報はないまま時が過ぎて行った。
病院に検査に行っていた陳とも合流し、街中をミンヤンの顔写真を持ってあちこち捜して回るうち、ひとつの情報が舞い込んだ。
蒋介石総統を記念して建てられた中正紀念堂の近くにある小籠包の店でよく見かける少年に似ているというのがそれだった。
行ってみたらまだ閉まっていたので日暮れまで時間を潰し、夜の帳が降りた頃、店に出かけた。
店は小籠包の専門店で美味しいと評判が高く、店内は混んでいた。
店の周りを見渡してみたが、ミンヤンはいない。食事をしながら待ち、相当時間も経ったので諦めて帰ろうとした時だった。ミンヤンが店に現れた。
陳がミンヤンに近付き、声を掛けた。ミンヤンは見るなり陳に抱きつき、二人は涙を拭っているようだった。
陳は直ぐみんなに紹介した。
マーは顔写真よりも本人の方が自分とそっくりなのに改めて驚いた。
羅は二人目の息子と出会い、父親を名乗り、抱き合って涙を流した。
店から店内が混んでいるので食事が終わったのなら帰ってくれと言われたので、もう一度テーブルに座り直してミンヤンのために新たな注文をした。
みんなは食事をしながら、ミンヤンにこれまでの経緯を話し、この店で再会するまでの話で盛り上がった。
マーは引っかかりのある父の事柄については別の機会に譲り、専らミンヤンに注目した。一体全体、弟はこれまでどんな人生を歩んできたのだろう。
ミンヤンは中国に連行されたことを熱っぽく話した。
「街を歩いていたら、突然知らない男に羽交い絞めにされて車に押し込まれた。一体何が起こったのかわからないまま飛行機に乗せられ、着いたところが何と北京だった。警察の取調室のようなところに連れ込まれて、『日本人の女と何をしようとしていた?』とか、『赤間は何処に居る?』とか訳の分からないことを矢継ぎ早に聞かれた。ボクが白を切っていると思われたせいか取り調べはどんどん厳しくなり、拷問を受けた。これを見てくれ」
ミンヤンは服を脱いで背中を見せた。鞭で打たれ皮膚がめくれた痕が生々しく、みんな顔を背けた。
「ボクはあんたらが追っている少年とは別人だと言い張っても全然信じてくれない。牢屋に閉じ込められて、来る日も来る日も拷問されたが、知らないものは知らないんだ。これはひょっとしたら間違えられたまま殺されるかも知れないと恐怖で震えていた。そうこうするうちに、ある日突然釈放されることになり、台湾に戻ることになった。一体これは何なのだと思ったが、帰してくれるというのだからそれに従った。それもこれもボクが双子の兄貴と間違われたせいだよ」
そう言ってミンヤンはマーを見つめて苦笑いをした。
「エライとばっちりを受けたもんだな」
マーがミンヤンの顔を見つめた。
ミンヤンがタイペイ市内で中国公安部の諜報部隊に連行された時、マーは美人窟に向かうため空港にいた。
李が口を開く。
「よく帰って来られましたね。大体誤認逮捕なんかされれば、公安は失敗を隠すために逮捕された人間の存在をあやふやにしてわからなくする。生きて帰れたのが不思議なくらいですよ」
羅がその話を受けた。
「きっとその公安部長は経験がまだ浅いので、あとで問題にされるようなことは絶対ないように、それなりにきちんと対応したお陰で息子は帰って来られたのだろうな」
マーとは施設の話になった。
「残念ながら兄貴の記憶は殆どない。今聞いていたら別々の施設に預けられたんだから仕方ないよね」
ミンヤンは苦笑いを返した。
「ボクは記憶が回復してから、相当幼い頃の記憶まで鮮明になったから、父さんと別れる時に大泣きしたのは覚えている。それと対照的にミンヤンは泣かなかったと聞いたぞ」
「いや、全くその辺の記憶もない。いずれにしても陳さん夫婦が俺を大事に預かってくれてよかった。それなのに心配かけてご免」
そう言ってミンヤンは隣に座っていた陳の肩を抱いた。
陳はミンヤンを優しく抱き寄せて感涙に浸っていた。
「もう離さないぞ! 俺とまた一緒に暮らそう! お父さん、いいですね?」
陳は冗談っぽく羅に微笑んだ。
マーはミンヤンと二人きりで話をしたかった。散歩に出かけると言って、二人は港の船溜まりの辺りを歩いた。
係留した漁船が白波に揺れている。兄弟は足を止めて岸壁に腰を下ろした。
マーはジャンパーのポケットからへその緒と手紙の入ったビニール袋を出して、ミンヤンに見せた。
「何だい、それ」
「母さんが残しておいた俺たちのへその緒だ。お前の分も預かっているから見せようと思って」
桐箱の中身を弟に見せた。
「何だか乾燥したミミズみたいで気味が悪いな」
ミンヤンは目を船溜まりの方に転じた。
「母さんが日本人のへその緒の考え方に理解を示して、記念に残していたのを父さんが長い間持っていた。それを渡されたんだ」
ミンヤンは興味なさそうに船溜まりに打ち寄せる波を数えていた。
「へその緒は母さんとボクらを繋いでいたものだから、それを残した母さんの気持ちを考えると、母さんのボクらにどう接してくれたのかが少しはわかると思って、父さんから受け取った」
マーは、母は父に依頼を受けた男に殺されたことなどを話した。
ミンヤンは一瞬驚いた様子だったが、全て聞き終わったあとで言った。
「ボクには母さんの記憶は殆どない。だって、亡くなったのはまだボクらが幼児だった頃の話だろ? こんな言い方は母さんだった人には悪いけど、顔もロクに覚えていない人だから俺にはピンと来ないよ。そういう目に遭ったのだったら気の毒とは思うけどね」
弟に母親への拘りはなさそうだ。
か、と言ってボクと同じように拘りを持てと言っても始まらない。
母親のことは自分の胸の内にしまっておくしかないと感じた。
「兄貴はこれからどうするつもりなんだ?」、
「日本に行って働くよ」
マーは詳細を話した。
「ふうん、色々と考えているんだな」
「お前は陳さんと暮らすんだろ?」
「うん。だが船に乗るつもりはない。居酒屋ででも働こうと思う」
「父さんが通っている飲み屋のご主人は真面目な人で、面倒見も良さそうだ。何なら紹介するぜ」
「ありがとう。でも店は俺が自分で探す。さ、そろそろ帰ろうか」
そう言ってミンヤンは立ち上がり、尻についたホコリを手で払った。
マーはへその緒をジャンパーのポケットに戻した。
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