第15話

第十四章

 離婚はまだしも、当局に不倫行為で告発されてしまったら公安部長と言えども首が飛んでしまう。

 羅はメイファンの告発を是が非でも阻止する必要に迫られていた。

 彼女は離婚を求めたが、放っておいても離婚はそのうち現実となるだろう。

 離婚すれば告発をやめるのか問いただすと、今度は何と莫大な慰謝料を要求して来た。こいつは俺の財産まで奪う気だ。もし要求に応じないなら、即刻告発すると。

 離婚、慰謝料、そして次は財産全てか?

これでは告発を人質に取った脅しである。

 応じて行けば、何処までも食い物にされる。

 この悪循環を断つには、彼女に死んでもらうしかない。

 しかし、あの福建省の一目惚れの出会いから、誰がこんな結末を予想出来ただろうか。人間なんていつどう変わってしまうかなんてわからないものだ。羅はつくづくそう思っていたが、そんな感傷に浸っている時間の余裕はなかった。

 とにかく事は急を要する。羅は公安関連の業務で使う殺し屋のひとりに連絡を入れた。

 あいつなら口が堅い。腕もいい。話をしたら直ぐに飛んで来た。金をたんまり弾むと約束したからだ。

 羅はその男と二人だけの会話が出来る場所で打ち合わせた。テーブルにはウィスキーと炭酸のボトルが置かれている。羅は二人分のハイボールを作り、男と向き合った。

「ターゲットはメイファンという女だ。ここに女のプロフィールを作って来た。それを見て、何か質問でもあればしてくれ」

 羅は男に写真と資料を手渡した。男は受け取るとパラパラとページを繰って目を通し、羅に尋ねた。

「殺る方法は?」

「殺し方という意味か? それは任せるが、その女には子供がいる。だから女のアパートでは殺すな。子供には女の死に顔を見せたくないからな。とにかく時間がない。殺人犯はこちらででっち上げる。だから、あんたには一切迷惑をかけない。報酬はあんたの口座に今日中に半分前金を振り込む。残り半分は女を処分してからだ。いいな?」

「よし、それじゃ今日中に片付ける。それでいいな?」

 羅が頷くと、男はハイボールのグラスにちょっと口をつけて羅と乾杯し、その場を後にした。


 その日の夕方、アパートの近くにある林道でメイファンの遺体が発見された。

駆け付けた警察は腹など数か所を鋭利な刃物で刺され、出血多量で絶命したと断定した。その後の調べで殺された女は街の金融業者を恐喝したグループの一員で、金融業者の息がかかったヤクザに消されたことになっていた。

メイファンの遺体は司法解剖のあと、八宝山人民公墓の一角にある無縁墓地に埋葬された。

人民公墓には羅家先祖代々の墓がある。まさかその墓にメイファンの遺骨を入れることは出来ないが、自分の子供を二人産んだ陰の妻として遺骨は出来るだけ羅家の墓の傍に葬りたいという羅の屈折した願いの為せる業だった。

 母親がいなくなれば、次は二人の子供の処置である。羅はこれまで取れなかった休みをまとめて取り、親の代わりに育ててもらう施設を探した。近くだと、何かあった時に施設から呼び出される恐れもあると考え、地方の施設を選んだ。

 結果、長男のヨンフーは甘粛省・天祝(てんしゅく)、次男のミンヤンは貴州省・貴陽(きよう)の施設にそれぞれ入所が決まった。

 羅はまず天祝の施設まで二人を連れて出かけ、施設の代表らにヨンフーを紹介し入所の挨拶をした。

 ヨンフーは見知らぬ施設を不思議そうに眺め、不安気な表情を見せていた。

「……お母さんは死んだ。お父さんは仕事だ。お前は家族からは独りぼっちになるが、ここには優しい施設の人々がいて、お前の世話をしてくれるから安心おし」

 そう言って羅はヨンフーの頭を撫でた。天祝の人口は漢族が六割を占め、羅は同じ漢族の息子を施設に預けるにはいいと判断したのだった。

別れの時ヨンフーは去ろうとする父親に抱きつき、泣きじゃくったが、施設の職員がなだめ、最後には職員と一緒に手を大きく振って弟のミンヤンを施設に送るため出発する父親を見送った。

 ミンヤンの施設がある貴州省は中国でも有数のカルスト地帯で漢族が六割、残りの四割がミャオ族などの少数民族が暮らす省である。

 ミンヤンは施設に行った途端、遊戯施設を目指して走り、ちょうど遊んでいた施設の子らと一緒に遊び始めた。

 羅は職員に挨拶し、遊びに夢中になっているミンヤンをしばし眺めてから施設をあとにした。


 メイファンの殺人事件は金融業者の知り合いのヤクザ男が容疑者として逮捕され、一件落着かと思われたが、金融業者が男のために敏腕の弁護士を立ててやり、男にはアリバイがあったことなどから釈放された。そこで殺された女の身元を含めて捜査本部が立ち上げられ、捜査が続くことになった。

 メイファンを刺殺した殺し屋は話が違うと羅にねじ込んで来た。

「あんたは俺に迷惑をかけないと言ったな。何とかしてくれないと、あんたに頼まれたことをバラすぞ!」

 殺し屋は羅に凄(すご)んだ。

 羅は殺人報酬の残りを現金で支払うと、とある工事現場に呼び出し、殺し屋がバッグに入った現金を数えている隙に背後から縄で思い切り首を絞めて殺した。

 羅は男の遺体を工事現場に掘られた深い穴に放り込み、車のトランクに用意して来たシャベルで辺りの土を穴に投げ入れて遺体を隠し、走り去った。


 殺された女はどうも羅公安部長の妾らしい。

何処からかそんな噂が公安部辺りにも流れ始めていた。立ち始めた煙の火元はどうも公安部と捜査の主導権を毎回争っている国家安全部周辺らしい。

 国家安全部はどうも本気で公安部長の追い落としに掛かっているようだ。

 そんな噂を聞き込んだ門衛が単なる正義感からいつぞや公安部長のあとを追って来た女のことを思い出し、保存された過去の帳面を調べてみた。

 あの日公安部長の後を追って来た美帆(メイファン)という女の名前と現住所が記されていた。

「これだ! この女が羅部長の妾じゃないのか?」

想像をたくましくした門衛は早速国家安全部にご注進に及んだ。

 国家安全部は現地のアパートの部屋に急行したが、既に空き部屋になっていた。

 国家安全部長・張学志の厳命で、調べは急速に進み、報告書がまとめられた。

『現公安部長・羅承基は妻子がありながら、殺害された愛人であるメイファンとの間に長男・ヨンフーとミンヤンを儲け、妻のいる本宅と愛人のいるアパートという二重生活を送っていた。これは国家主席の腐敗撲滅キャンペーンの撲滅すべき内容の一つである「不倫行為」に該当し、公安部長の職を解任するに相当する反革命行為である。さらにその二重生活の重みに耐え切れず、国家予算たる公安部予算を頻繁に横領していたことが発見された裏帳簿から判明している。さらには、愛人宅から押収されたメモ類によれば、メイファンは羅の告発を準備しており、それを阻止せんと羅が殺し屋を雇い、愛人を殺害した上、口封じのために殺し屋も殺害した容疑が浮上している。以上のようなことから、当局としては羅の身柄を早急に拘束した上で、公安部長を解任し、本人の反革命行為をはじめ、殺人容疑及び国家予算横領容疑に対する事情聴取に踏み切り、引き続き事実関係を詳しく調べる事とする』

 自分の身に何が迫っているのかは、公安部長の羅自身が一番良く承知していた。

 訴追の臭いを嗅いだ途端、動きは素早かった。

 羅逮捕に急行する追手が公安部長室のドアを叩いた時に、羅は既にタイペイに向かう航空機の機上に居た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る