第8話 トリプル・オー・セブン

 渡辺は姿をくらました。消息を完全に断ったのだ。大学にも研究室にも現れない。ジュリーにも居場所は知らせなかった。

 実は、ガレージに立て籠もり、そこで寝起きをしていた。何かが起こった時、すぐにでもスバルサンバーでワープして逃走できるようにしていのだ。この小心な男が考えそうなことである。三度の食事は、大学の女学生に「やくざに追われている」という嘘を言って持ってきてもらっていた。渡辺の教え子、山口淑江よしえは、今時珍しい、よく気の付く女の子で、顔は丸くて、目はクリクリ、からだポッチャリの絵にかいたような癒し系。ロリコン気味の渡辺は秘かに思いを寄せている。淑江の方もまんざらでもないそぶり。この機会を利用してより親密になっておこうという算段だ。渡辺は、恐怖のどん底に突き落とされながらも下心は決して忘れないという世のスケベ男の模範でもある。

 

 ちなみに、やくざに追われているのは、


《薬漬けにされ、やくざの女にされて風俗で働かされていた同郷の女を助け出したのだが、それを逆恨みしたやくざに追われることになった 》


 ということにしていた。もちろん、点数稼ぎの大ウソである。この男、あくまでも悲しいほどにセコイ! 

 だが、大国の攻撃は思わぬ方向から始まった。

 ジュリーの娘カレンが誘拐されたのだ。バレーの練習に連れてきていた時のことだった。てっきり監督の山岡の一人息子、平太へいたと遊んでいるとばかり思っていたが、ふと気づくと、体育館のどこを見てもいない。   

 平太に聞くと、

「トイレに行ったけど、まだ帰ってこないよ。長いからウンチかな?」

ということだった。

 ジュリーは心配になってトイレに探しに行ったのだが、そこにはカレンは居らず、

 

『子供は預かった、これからする指示に従わなければ、子供の命は保証しない。警察に知らせれば同じ事になる。Mi70007』

 

 と書かれたメモが壁に貼り付けてあった。

 ジュリーは、その場にへたり込んだ。腰が抜けてしまったのだ。


 ジュリーは憔悴しょうすいしきっていた。何も喉を通らず、別人のようにやつれた顔になっていた。そして、10日ほど経った日の早朝、犯人からの指示がジュリーの携帯にメールで届いた。カレンの写真と指示内容が書かれている。


《生きている!》


 写真を見たジュリーは、とりあえず胸をなでおろした。

指示内容は、ワープ装置を使ってロンドンにまで来ることだった。時間と場所が指定されている。 

《もしや?》

 とは思っていたが、やはりワープ装置をめぐるものだった。

「あの馬鹿野郎が、変テコナモン造るからじゃ、ぶっ殺してやる」

 ジュリーの怒りの矛先ほこさきは、渡辺へと向かった。

 だが、怒ってばかりもいられない、指定された時間は、イギリス時間で午後8時、あと30分もない。おそらく、こちらに考える時間を与えない算段なのだろう。


《ワープ装置と言ったって、あれはホワイトハウスに………、一台はあるが、あれは、また、倉庫に放り込んでるし、使えるかどうかル充電も間に合わないし、いや、待てよ、渡辺のあのポンコツがあったわ》


 そういえば、渡辺の姿がこのところ見られない。今まで全然気にならなかったが、さては、身の危険を察して姿をくらましたか? だとすれば、ますます許せない。自分だけが安全なところにいて、わたしとカレンはその囮にされていたということだ。

「どこに姿をくらましやがったか、あのクソ野郎」

 ジュリーの測り知れない超天才頭脳は、フル回転で渡辺の居場所を探知し始めた。そして、約七秒後、正解ははじき出された。

「ガレージに潜んでやがるな。風呂にも入らず、髪はぼさぼさ,髭はのび放題、想像しただけで吐き気がするわ」

 ジュリーは、ひとりつぶやくと、ガレージに向かって歩き始めた。


<ガラガラガラ>

 

 ガレージのシャッターが開く音がした。

 黒い人影が、あわてて車の運転席に飛び込んだ。

「あたしよ、ジュリーよ」

「なんだ、脅かすなよ」

 黒い人影が車から降りてきた。もちろん渡辺である。

 ジュリーは、渡辺の襟首えりくびを両手でみ上げ、

「何だじゃないわよ、このクソ野郎、あたしたちをおとりにしやがったな」

と叫ぶなり、股間に蹴りを入れた。

「どどどどーもすんなせせん、そげなつもりはーーー、おゆるひふだせーーー」

「こんなんじゃ気は済まないけど、こんなことしてる場合じゃないのよ。さぁ、早く車に乗って」

 スバルサンバーに乗り込むと、ジュリーは運転席の渡辺に一枚の紙片とメールを見せた。

「カレンが誘拐されたのか」

「そうよ、あんたがヘンテコなもん造るから、そのとばっちりを食ったわ。この落とし前は、後でちゃんと付けさせてもらうからね。さぁ早く、ここにセットして」

渡辺は、ジュリーの差し出した携帯メールに書いてある地点に座標軸をセットし始めた。だが、突然指が止まった。

「なにもたもたしてんのよ」

「待て、ヤバイ、相手はMi7か……しかも、トリプルオー・セブン、いきなり切り札出してきやがった」

「Mi7、トリプルオー・セブン、なによそれ?」

「だめだ、相手が悪すぎる。もうおれたちは袋の鼠だ。こうなったからには破れかぶれだ。行くしかない。ワーーープ!」

 スバルサンバーは緑のプラズマに包まれた。

渡辺の朝食、手づくりサンドイッチとコーヒーを届けに来た女子大生、山口淑江が呆然あぜんと立ち尽くしていた。


 その数時間前、ロンドンにあるバッキンガム宮殿の主、クイーン・エリザベスⅡ世は、執務を終え、席を立とうとしていた。その時、緊急のメールが入ったことを知らせる赤いランプが点滅した。

「あら何かしら?」

 

 イギリス諜報機関Mi7、コードナンバー、トリプルオー・セブン、ジェイムス・ポンド諜報ちょうほう員は、自らの秘密アジトに使っている古城の庭に立っていた。左手でジュリーの娘カレンの手を引き、右手にはおなじみのワルサーPPK。古城をアジトに使うなど,かえって目立ってしまうのだが、これがこの男の感性なのだ。別の言い方をすれば、単なる「間抜け」である。

「もうそろそろだな」

 そう言って、腕時計を見た時だった。庭に緑のプラズマが突然現れ、あたりを照らし始めた。そして、その緑のプラズマが消え去った時、そこには軽の箱バン、スバルサンバーの姿があった。

 ジェイムス・ポンドは驚いた。てっきり、ジュリー一人がそのまま現れるものだと思っていたからである。

 スバルサンバーから二人が降りてきた。

「ママ」

 カレンがジュリーに駆け寄ろうとしたが、ジェイムス・ポンドが引き戻した。

「一人で来いと言ったはずだ。その男は誰だ」

 ポンドの鋭い眼光に渡辺は鳥肌が立った。ワルサーPPKの銃口が怪しく光る。生きている心地がしない。 

「あっあっ、あっしでやんすか、あっしは見ての通り只の運転手でござんす。あっしの出番は終わったようでやんすので、お先に失礼させていただきやす。ではでは、どちらさんもまっぴら御免なすって」

 渡辺は、腰をかがめ、ペコペコ頭を下げながら立ち去ろうとした。

 ジュリーの声が響く。 

「この男は渡辺、ワープシステムの開発者よ。ワープシステムに関しては、私より詳しいわ。この車もこの男が造った物よ。この男と車を置いてゆくから煮るなり焼くなりご自由に使ってちょうだい。カレンは返してもらうわ」

「お前が渡辺か。今までどこに隠れてやがった。まあいい、ジュリー、その条件飲もうじゃないか」

 ジェイムス・ポンドは、ジュリーよりも渡辺の方がはるかに使いやすいとすばやく判断した。それに、幼いカレンを人質にして脅しながらジュリーを働かせるというのも、さすがに気が引ける。

「ちょっと待ってくれ、俺はどうなるんだ、なんか変な具合になってるような……」

「渡辺、あんたはね、これから奴隷、一生、地下の工場で鞭打たれながら働くのよ、ホホホホホ……」

「そそそんな殺生な」

「私たちを囮に使って逃げていた報いよ、観念しなさい」

 渡辺は、その場にへたり込んだ。

「どうか、お情けを……」

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