弁論

 昼下がりのファミレス。

 閑散とした店内で、俺と山祇は向かい合う。窓側の席だ。容赦なく日が差し込んでくる。まだ春と呼んで差し支えない季節だと言うのに、少し汗ばむくらいに暑い。

 俺が遮光カーテンを下ろし、年配の店員が冷水を運んできたところで、山祇が口火を切った。


「一年ぶりだな。五日。何か変わったことはあったか」


「い、いや、特には、何も」


 「出版詐欺に遭って数百万騙し取られました」とはとても言えない。俺の肥えきった自意識がそれを拒んでいる。さっきあれほどの醜態を見せたと言うのになお、窮地から救ってもらったと言うのになお、俺は親友と正面から向き合うことすら出来ないのだ。

 幸いにも彼は「そうか。それはよかった」と答えただけで、それ以上追求してくることはしなかった。


「俺の方はなかなか大変だよ。教職がブラックだってのは聞いてたが、ここまでとは思わなかった。授業以外の雑務が多すぎる。不登校の生徒の説得。それに伴う親への対応。バドミントン部の顧問になったんだが、これまた大変でな。審判やなんかをするために免許を取らなきゃならない。1日講義を受けてそのあと試験があるから気も抜けないしな。部活動は外部委託も検討されてるらしいが、なかなか進まんだろう。何せどこも人手が足りない。既存の組織に任せっきりってのは生徒の管理を行う以上不安要素もある。正直この状況が改善されないなら転職も考えてるところだ」


「そんなにか」


「そんなにだ。実際学部の同期も半分は教職以外の仕事に就職してた。今はあいつらの判断は賢いと思えるよ。あの時の俺は視野狭窄だったとも。……なんか悪いな。愚痴ばっかりで。本題は別にあるんだが」


 そういって彼が浮かべた微笑には、確かに翳りがあった。本当に気をつけて見ていなければ分からないくらいの本の小さな欠落。でもだからと言ってそれは、無視できるほどの些事でもないように思える。

 彼は一息に冷水を飲み干した後で言った。


「五日。中学校の同窓会、出る気はないか?」


「ない」


 即答した。


「おいおいそんな寂しいこと言わないでくれよ。一緒に行こうぜ? な?」


「絶対行かない。ってか中学時代の俺の友達のいなさ加減はお前も知ってるだろ」


「ほう。高校時代はいたような口振りだな」


「帰る」


「す、ストップストップ! ストップだ五日。え、ちょ、マジ? ほんとに帰らないで五日ー!」


 そう言って縋り付いてくる山祇。

 そこまでして俺なんかを誘ってくれること自体はありがたいのだが、こればっかりは了承できない。中学生の時の俺がどんなふうだったかなんて思い出しただけで寒気がする。それをわざわざ掘り返しに行くなんて自殺にも等しい行為だ。断らざるを得ない。逆にそれ以外だったら何でもする覚悟はある。靴を舐めろと言われれば端から端まで舐め尽くすし、裸で町内一周しろと言われれば一周どころか一日中あられもない姿で走るくらいにはある。

 だがしかしやっぱり同窓会だけは無理だ。

 帰ろう。幸いまだ何も注文していないことだし。………と。


「現川は来るのか?」


 そう言えばそうだ。同窓会なら彼女も顔を出すはず。そこで安否の確認もできるだろう。


「いや、どうだろうな。まだ連絡は来てないみたいだが。少なくとも俺は来ないと思う。お前も知ってるだろ。彼女の家庭のことは。今どうなってるかは知らんが、一緒に卒業も出来なかったんだ。どっちにしろ肩身は狭いだろう」


「遊馬はあいつに来てほしいと思うか?」


「………来る来ないはあいつが決めることだ。俺がどう望んだところで変わらんだろう。にしても現川が来るなら行くのか?

 ……なあ、五日、お前まさかまだ」


 山祇はそこで一旦言葉を切って。それから一言「すまん」と言った。俺は何も言わなかった。

 気まずい空気が流れる。

 やはりここで現川の名前を出すべきでは無かったと、今更ながら後悔する。

 耐えきれなくなった俺は、無責任にも席を立った。「夕食の支度がある」と即席の不出来な言い訳でこの場を切り抜けようと試みた。

 山祇は止めなかった。

 ただ同窓会は1ヶ月後、地元の飲み屋で行うという事務的な連絡だけを伝えてきた。俺は返事ともため息ともつかないような声を返した。

 ガラス張りのドアに手をかける。

 俯いたままゆっくり扉を押す。自分の姿を見るのが怖かった。山祇がどんな顔をしているのか見るのが怖かった。

 俺は半ば逃げ出すように店を出た。

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