第21話

「しかし、何なんだろうな?あの粉は」

「今、レイラさんが調べてくれていますよ」

 俺とグズグズは谷から帰った夜、汗を流す意味で水浴びをしていた。

 この川は昨日俺がレイラの裸を見てしまった場所だが、今は男が使っている。

「そう言えばグズグズはあの時、どんな幻を見ていたんだ?」

「僕ですか?僕は家族が呼んでる幻を見ていました」

 グズグズも粉を吸って、幻覚を見せられていた。

 あの時のグズグズは高山に居るはずの家族に会っていたのだろう。

「辺り一面に広い麦畑があってそこに皆が幸せそうにして居ました」

「麦畑?何で?麦、好きなのか?」

 俺にはなぜグズグズが麦畑を見なくてはいけないのかが分からなかった。

 グズグズは麦に何か強い思い入れがあるのだろうか?

「僕の住む高山では麦なんて育たないんです。ヒエかアワくらいしか採れません」

「つまりグズグズは家族に麦を食べさせてあげたいのか?」

 俺には麦もヒエもアワもそう変わらないように思えた。

 でも、厳しい環境で育ったグズグズには特別な食べ物に見えるのだろう。

「はい。初めて麦を手にした時、感動したのを今でも覚えてます」

「麦ってそんなにおいしいのか?」

 俺は前世でもこの世界でも麦を口にする機会が何度もある。

 だが、そんなに感動する程おいしい物だと思った事が一度も無い。

「麦はヒエやアワに比べてたくさん採れて粒も大きいんです」

「あ~、なるほど。何となく分かった」

 俺は社会科で習った『田んぼを作ろうと奮闘した人たち』の話しを思い出した。

 あの人たちもヒエやアワや芋で生活していたが米を作ろうと努力した。

 その人たちと同じように、グズグズにとって麦は憧れの作物なのだ。

「カカポさんはどんな幻を見ていたんですか?」

「俺は前世で関わりのあった人たちが現れる幻覚を見せられた」

 俺の幻覚は堀井や俺を振った人が現れて、俺を谷底に落とそうとしてきた。

「どうやって幻覚を解除したんですか?」

「簡単だったよ。だって、あの人が絶対に言わない事を言ったからな」

 あの人は俺に対して『イケメンが好き』だとハッキリ言った。

 そんな人が俺と一緒に居たいなんて死んだって言うもんか。

「だからコイツらは偽物だってすぐに分かったんだ」

「……カカポさん、顔が怖いですよ?」


「あんな嘘の塊を見せられたら誰だって気分悪いだろ?」

「僕はちょっとだけ幸せな気分でした」

 グズグズの言葉を聞いてレイラの事が頭をよぎった。

 彼女は両親が居ない現実よりも幻覚の世界の方が良いと言っていた。

 俺はもしかしたら自分の都合のためにレイラを現実に引き留めたのかも知れない。

「……どうかしたんですか?カカポさん」

「え?あ、いや。何でも無いんだ。早くレイラのところへ行こう」

 俺は誤魔化すようにして水から揚がった。

 そんな時、俺の目に水面に浮かぶ黄色い粉が止まった。

「グズグズ。これ見ろよ」

「これは谷から持って帰った粉ですね。水に溶けない?」

 それが何を意味しているかは分からないが、これは一つの発見だ。

 俺たちは急いでレイラにこの事実を伝えるべく身体を拭いて服を着た。

 水に溶けないなら、これは麻薬の類いでは無いかも知れない。

「レイラ!聞いてくれ、あの粉は水には溶けないんだ!!」

 俺はレイラのテントまで走って行くとテントの外からレイラに話し掛けた。

 グズグズは速く走れないから、俺が肩車して連れてきた。

「その事なら私の方でも確認した。そして、これの正体も分かった」

「本当か!?これは何なんだ?」

 俺はレイラに俺たちを苦しめた粉の正体を訊いた。

 これは誰が何の為にばらまいている粉なのだろうか?

「これは『花粉』だ」

「花粉だって?って事はあの辺りに生えてる木とか草から出てるのか?」

 あまりにも意外な正体だったので俺は驚いて間抜けな声を出してしまった。

 まさか俺たちは花粉症で集団幻覚を見てしまったと言うのか?

「そうだ。おそらくこれはあの谷に自生する木が放っている花粉だろう」

「確かにあの谷には見たことが無い木が何本も生えてました」

 俺にはこの世界の草木の事は全然分からないが、グズグズには分かるようだ。

 やはり俺たちは花粉症のせいであんな幻を見たらしい。

「じゃあ、どうすれば良いんだ?まさか木を全部切って回るわけにも行かないだろ?」

「そんな必要は無いだろうな。明日になれば花粉は落ち着くだろう」

「どうしてだ?」

「明日は雨になるからだ」

 レイラにそう言われて俺が空を見上げると、月には厚い雲がかかっていた。


 翌日は本当に雨が降り、太陽が雲に覆われていた。

 土砂降りとまでは言わないが結構強い雨で、地面がぬかるんでいた。

「カカポさん、谷を見て下さい」

「どうしたんだ?グズグズ」

 グズグズに言われてのぞき込むと、昨日まで立ちこめていた花粉が無くなっている。

 今なら、谷の様子が一望できるくらいに視界がクリアになっている。

「レイラ!昨日言ってたとおり花粉が無くなってるぞ!?」

「雨が降ると草木は花粉を飛ばすのをやめるんだ。今日が最後のチャンスだと思え」

 レイラは今、最後のチャンスと言ったがそれはなぜだろう?

 今日を逃すともうダメになってしまうのだろうか?

「どうして今日が最後のチャンスなんだ?」

「雨があがったら、花粉の量が増える。そうなれば捜索は困難だ」

 レイラにそう説明されて納得がいった。

 もし花粉の量が増えたら、マスクだけでは防ぎきれないだろう。

 そうなれば、もう谷に入る事は当分の間は出来なくなってしまう。

 だから今日が最後のチャンスだと思うくらいの心構えが必要なのだ。

「……はぁ、なんだかなぁ」

「ため息なんて吐いてどうかしたんですか?カカポさん」

「いや、何だかやるせない気持ちだなと思ったんだ」

「やるせない気持ち?何か納得が行かない事でもあるんですか?」

「俺はレイラやグズグズの気持ちをもてあそんだヤツを見つけるつもりだったんだ」

 昨日、俺は必ず粉をまき散らして皆に幻覚を見せてる犯人を見つけると誓った。

 そして絶対にレイラの苦しみを思い知らせてやると決心していた。

「それなのに粉をまいてる犯人はただの草や木で何の仕返しも出来ない」

「そんな事を昨日からずっと考えていたのか?貴様は」

「レイラだって昨日は泣いてたじゃ無いか」

 普段は気丈そうなレイラがあの時は泣きじゃくっていた。

 あれを思い出すだけで今でも怒りがわき上がってくる。

 でも、植物に八つ当たりしてそれが何の解決になるだろうか?

「昨日見たものは忘れろ。いちいち引きずっていてはきりが無いぞ?」

「カカポさん、僕たちは別にカカポさんにそんな事はして欲しくないです」

「……分かったよ」

 俺たちはがっつり目に朝食を済ませるとマスクを付けて谷に入った。

 花粉の飛散量は減っていたが、念のためにマスクを付けている。


「こうやって見ると、本当に動物が居ない谷だなぁ」

「足下に気をつけろよ?キョロキョロしてると足を取られる」

 レイラに注意されながら俺は谷の最深部へと降りていった。

 谷は異常なまでに静まりかえっていて、生気を感じさせなかった。

「グズグズ、安楽茸ってどんなところに生えてるんだ?」

「安楽茸はあまり日が当たらなくて涼しい場所に生えるそうです」

「……谷全体が日が当たらなくて涼しい気がするんだけど?」

 グズグズの教えてくれた条件を満たす場所は谷のどこにでも存在した。

 結局、谷をしらみつぶしに探し回るしか無いのだろうか?

「グズグズ、安楽茸はどのような木に生えるキノコだ?」

「え~っと、確かヤコイヤと言われる木に生えるそうです」

「ヤコイヤ、聞いた事の無い木だな?」

 レイラはヤコイヤと呼ばれる木を知らないらしい。

 この中で一番植物に詳しい彼女が知らないとなると誰も知らない事になる。

「レイラも知らないんじゃどうする事も出来ないじゃ無いか」

「いや、そうとは限らんぞ?案外簡単に見つかるやも知れんぞ?」

「どうしてだよ?」

 俺にはどうしてレイラがそんな事を言うのか理解できなかった。

 だって名前以外、見た目も葉っぱの形も知らない木を探すんだぜ?

「私が知らない木を探せば良いからだ」

「あ!なるほど、消去法で探せば良いのか」

 レイラは植物に関しては博士なみに詳しい。料理はからっきしだが。

 だから逆にレイラが知らないような植物があればそれがヤコイヤの可能性が高い。

「この辺りの草木は全て私が知っている物ばかりだ。もう少し進むぞ」

「頼むぞレイラ?お前だけが頼りなんだからな?」

「分かっておる。貴様こそ落ちてる物を口にしたりするなよ?」

「俺、そんな事しないよ!?」

 俺たちは雨の中、ヤコイヤを探して谷を進む事にした。

 空を見たが、太陽はまだ厚い雲に覆われていてしばらくはこの天気が続きそうだ。

 それから一時間ほど、俺たちがヤコイヤを探し回った頃だった。

「ん?何だ、あの木は?」

「どうしたんだ?レイラ」

 レイラが急に立ち止まったので俺たちは危うくぶつかりそうになってしまった。

 彼女の見つめる先には一本の巨木が立っていた。

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