第20話

「父さん、母さん、皆、待ってよぉ……」

「グズグズ!?そっちはダメだ!!」

 俺が原因を考えている時、今度はグズグズが歩き出してしまった。

 足場の悪いこんな場所でフラフラ歩いたりしたら、谷底に落ちてしまう。

「くっそ!この旅はこんなのの連続かよ!?」

 俺は毒づくとレイラを置いてグズグズの元へと走った。

 元々、かなり危険な旅なのは理解していたがここまでとは予想していなかった。

「みんなぁ、どこに行くのぉ?」

「危ない!!」

 俺は落ちそうになるグズグズをスライディングしながら確保した。

 グズグズは虚ろな目をして明後日の方向を見ている。

「こう霧が濃くちゃ二人を抱えて逃げる事も出来ないぞ?」

 周囲には視界を遮るように霧のような靄のようなものが立ちこめている。

 絶体絶命の状況に絶望しかけたが、俺はある事に気が付いた。

「ん?これ、水じゃないぞ?」

 俺の手や身体には黄色い粉末がくっついている。空中を漂っているのはこの粉だ。

 この粉が俺たちに幻覚を見せているのだろうか?

「この粉は一体、どこから来るんだろうか?」

 粉の発生元さえ分かれば何か対処法が分かるかも知れない。

 だが、粉は谷全体に立ちこめている。誰がどうやってそんな事をするのだろうか?

「うっ!また幻覚が……」

 今度は俺の手や身体を虫が這い回る幻覚が見え始めた。

 ムカデのような虫が無数に俺の身体に張り付いてもぞもぞ動いている。

「いい加減にしろよ!この野郎!!」

 俺は気力を振り絞り、布で口と鼻を覆った。こうすれば粉を吸わずに済む。

 粉を吸わないようにしてから心を落ち着かせると、ムカデは俺の血管だった。

「やっぱりこの粉が幻覚の正体だったんだな?」

 そうと決まれば話しは早い。俺は簡易マスクを作るとレイラとグズグズに付けた。

 マスクを付けさせてから数分もすると、二人は正気を取り戻した。

「……カカポ?」

「レイラ!俺が分かるんだな!?」

「あれ?父さんと母さんは?確か居たはずなのに……」

「レイラ。お父さんとお母さんは幻だったんだ」

「……幻……だと……?」


 レイラは俺が伝えた事実を信じられないと言う顔をして聞いた。

 彼女にとっては、幻覚の世界はとても幸せなものだったのだろう。

「……嘘だ。私は見たんだ!確かに父さんと母さんが私を……」

「レイラ、お父さんとお母さんはここには居ないんだよ」

 俺は出来るだけ優しくレイラに諭した。

 俺だって、追い詰めるような真似はしたくないが幻の中で生きるなんて出来ない。

 彼女には現実の世界で生きて欲しかった。

「そんな……全部、全部私が見た幻だったのか?」

「レイラが悪いんじゃ無い。悪いのはこの粉なんだ」

 レイラは涙を溜めて俺を見ていた。俺が彼女の涙を見たのは初めてだった。

 真実を告げる事がこんなにも苦しかったのは前世でも無かった。

「……だったら、私は幻覚の方が良い。あっちの世界なら二人に会える……」

「レイラ!バカな事を言うな!!君は強い女の子じゃないか!!?」

 俺がレイラの肩を抱くと彼女が小刻みに震えている事が伝わってきた。

 その震えを感じた時、俺の中から怒りがこみ上げてきた。

 人の弱みにつけ込んで幻を見せているヤツが許せない。

 そいつを見つけ出して、必ずレイラの苦しみを味合わせてやると決心した。

「……うっ……ううっ」

「良いんだレイラ。泣けば楽になれるから」

 俺には彼女の悲しみや苦しみを軽くしてあげる事は出来ない。

 でも、レイラの為に怒る事くらいは出来る。

 俺は誰かを殺したいなんて今まで一度も思った事が無い。

 だが、今の俺の中には確かな殺意が芽生えていた。

 俺はレイラが泣き疲れるまで彼女に肩を貸した。

「……カカポさん?レイラさん?」

「グズグズ!?気が付いたんだな!?」

 レイラが落ち着いてから少しして、グズグズが正気を取り戻した。

 やっぱり、この空中を漂う粉が俺たちに幻覚を見せているようだ。

「あれ?僕、何してたんですっけ?」

「グズグズ。お前はこの粉のせいで幻を見せられてたんだ」

 俺は簡潔にグズグズとレイラに幻覚のからくりを説明した。

 この谷に漂う黄色い粉が鼻や口から侵入して、俺たちに幻覚を見せていると。

「この粉は一体、どこから来てるんでしょうか?」

「俺にもそれが分からないんだ。どこのドイツか知らないがただじゃ置かねぇ」


「……なんだかカカポさん、いつにも増してやる気ですね?」

「ああ、この犯人を見つけ出して必ず後悔させてやる」

 俺はいつの間にか探す相手を安楽茸から粉をまき散らしている犯人へと変えていた。

 キノコなんてものは犯人を捜し出してから見つければ良いと考えていた。

 俺には自分がイケメンになる事よりも、レイラを傷つけた事の方が重大だった。

「あんまり熱くなり過ぎて我を忘れないで下さいね?」

「分かってるよ、それくらい。俺は冷静だよ!?」

 俺が生返事をしながらレイラの方を見ると、彼女は普段の彼女に戻っていた。

 だが、泣きすぎて目元が赤く腫れているのが俺には分かっていた。

 畜生、何が楽しくてこんな残酷な事をしやがるんだ!?犯人は!!

「グズグズ!早速、犯人を捜しに行くぞ!?俺に着いて来い!!」

「待って下さいカカポさん!歩くのが速すぎますよ!!」

 俺は視界の悪い谷で当てもなくさまよい歩く事になった。

 しらみつぶしに歩き回ればいつか犯人を捜し出せると考えていたのだ。

 そして、歩き回ること数時間が経過し時間的には昼になった。

「クソッ!全然手がかりが見つからねぇ!!」

「カカポさん、闇雲に歩き回るのは危険です。もっと情報を集めましょう」

 俺は持ってきた食料を流し込むようにして食べながらイライラしていた。

 犯人は影も形も見つからず、手がかりの一つも見つけられずに居たからだ。

 夜になったらもっと探しにくくなる。一刻も早く何か見つけたかった。

「グズグズ!食べ終わったら次はあっちの方を探すぞ!?時間が無い!!」

「カカポ!冷静になれ!!グズグズの話しに耳を貸したらどうだ!?」

「レイラ!?」

 俺を一喝したのはレイラだった。まさかの人物に怒られたから俺は驚いた。

 レイラのために一生懸命に犯人を俺たちは探しているのに。

「私のために怒りを感じてくれるのは嬉しい。だが今のお前は我を忘れている!」

「俺が……我を忘れてる……!?」

 グズグズの言葉は一切、俺の耳に届かなかったがレイラの言葉は違った。

 彼女の一言一言が俺の心に刺さり、まるで『くさび』のように効いた。

「この広い谷を当てもなく歩き回るのはただの無謀だ。何か策が必要だ」

「カカポさん、いったん落ち着いて考えましょう?」

 俺はそこまで言われて、ようやく自分の浅はかさを思い知った。

 このまま歩き回れば俺たちは帰り道さえ見失ってしまう。

 そうなれば、この谷に屍をさらす事になってしまう。


「カカポ、ここはいったん出直そう。その方が何か気が付く事もあるかも知れん」

「……そうだな、二人の言うとおりだ」

 渋々だがそう決断した途端、俺の身体を急激な疲労感が襲った。

 気が付いて居なかっただけで俺はすっかり疲れ果ててしまっていたのだ。

 視界の悪い深い谷の中で当てもなく歩き回るのはそれだけ疲れるのだ。

「道は僕が覚えてますから焦らずにゆっくりと谷を出ましょう」

「ごめんな二人とも。俺、一秒でも早く犯人を見つけたかったんだ」

 俺は自分の無茶に二人を付き合わせてしまった事が申し訳なくなった。

 あんなレイラを見たのは初めてだったから、ついカッとなってしまった。

「気にするな。貴様が私たちのために怒っている事くらい分かっている」

「カカポさんがこんなに怒ってるところ、初めて見ました」

 俺はグズグズに先導されて谷を出る事にした。

 今更になって気が付いたのだが、本当にこの谷には動物の気配が無かった。

「しかし、見渡す限り木しか無いんだな。生き物が全然居ない」

「虫くらいは居るようだが、獣やモンスターは影も形も無いようだ」

 谷は不気味なくらい静まりかえっていて視界もほとんど無い。

 口や鼻がマスクで覆われているせいで臭いもあまり感じられない。

 正直、居るだけで目が回りそうな場所だった。

「せめてこの粉さえ何とか出来れば安楽茸を探すのも楽になるんですけど……」

「この粉の正体を確かめる必要があるようだな」

 レイラはそう言うと、地面や自分の身体に着いている粉を小瓶に集めた。

 谷を出たら粉の正体を探るためにサンプルを集めているのだろう。

「もう少しで外に出られる筈ですよ?」

「もうか!?俺、結構あっちこっち歩き回ったつもりなんだけど?」

 俺が歩き回った時間の半分もかからずに谷から出られるのが驚きだった。

 当ても無くさまよい歩いたと思っていたが、入り口のすぐ近くに居たのだ。

「まっすぐ歩いていると思っていたら同じところをグルグル回って居たのだろう」

「こう視界が悪くては方向感覚が狂うのも不思議じゃありません」

 俺は前世で似たような話を聞いた事があった。

 雪山で遭難した人が同じところをグルグル回り、凍死してしまうと言う話しだ。

 確か『リング・ワンダリング現象』と言うらしい。

「これで私たちは帰らずの谷から帰ってきたと言うわけだな」

 俺はこの場にレイラとグズグズが居てくれて本当に良かったと思った。

 もし、俺一人ではきっと谷から出られずに行き倒れになっていただろう。

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