第18話

 それから俺たちは何日間もの間、谷を目指して歩き続けた。

 俺が覚えてる限りでは一週間くらいは経っただろうか?

「ここが帰らずの谷かぁ……」

「私も来たのは初めてだが、いかにも秘境と言う感じだな」

 俺とレイラは巨大な谷をのぞき込みながらつぶやいた。

 そこは谷と言うよりも、強大な大地の裂け目と呼ぶ方がふさわしかった。

「ここのどこかに『安楽茸』があるんですね?」

「あんらくたけ?それが俺たちの探してるキノコの名前か?」

 俺は自分が探しているキノコの名前をこの場で初めて聞いた。

 安楽茸だなんて名前が付くからにはきっと使えば幸せな気持ちになれるのだろう。

「はい、見た目は真っ白なキノコで大きさは亀茸くらいらしいです」

「って言うとそこそこ大きいキノコだな」

 亀茸と言うのはこの世界に流通している食用のキノコの事だ。

 亀の頭に似た形で大きさは松茸くらいのキノコで俺も何度も食べた事がある。

「谷に雲のような物が立ちこめていて中が全く見えんな」

「迷わないように気をつけなくちゃいけないな」

 谷はとても静かで、生き物の気配が全くしなかった。

 まるでチョウチンアンコウのように獲物が近付いてくるのを待ち続けているようだ。

「どうする?今から谷に降りてみるか?」

「いや、谷に降りるのは明日の朝だ。今日はもう遅い」

 レイラの言うとおり、周囲はすっかり夕焼け模様になっていた。

 これから夜になるのに、不気味な谷になんて降りられない。

「じゃあ僕、夕食のしたくをしますね?」

「お?今日は何を作るんだ?俺に何か手伝える事はあるか?」

 グズグズはこのパーティーの中で一番料理がうまいから俺はウキウキしていた。

 逆にレイラが料理を作る番になったら、何を出されるか少し不安だった。

「今日は野草と干し肉のシチューを作ろうと思います」

「じゃあ、食べられそうな草を集めてくれば良いのか?」

 食べられる野草の見分け方だったら、結構自信があった。

 黒の森に居た頃は、肉を食べずにひたすら植物を食べていたからだ。

「いえ、カカポさんは水を汲んできて下さい」

「了解しました!シェフ」

 俺は鍋に水を汲むべく、水辺を探し始めた。

 確か、途中で小さな川があったから探せばすぐに見つかるだろう。


「……多分、この辺りに川があると思うんだけどなぁ」

 俺は一人で綺麗な水が流れる川を探して歩いていた。

 なぜかは全く分からなかったが、モンスターは影も形も無かった。

「お、水の臭いがするぞ?」

 水の臭いと言うと変な感じがするかも知れないが、水にだって臭いがある。

 俺は自分の鼻を頼りに足早に歩いて水場を探した。

「……ここかな?」

 俺が木の陰から顔を出すとそこには澄んだ水の流れる小川があった。

 これを汲んで帰ればグズグズのシチューが腹一杯に食べられる。

「汲む前にちょっと飲んでみるか」

 俺は少し喉が渇いていたのと確認に意味で川の水を飲んでみる事にした。

 飲めない水だったら汲んでも意味が無い。

「ゴクッゴクッゴクッ」

「おい、カカポ。貴様、何をしている?」

「何って水を飲んでるんだけど?」

 俺はレイラの声がしたので上流の方を何の気も無しに見た。

 すると、そこには全裸のレイラが俺をすごい顔で睨んでいる。

「……」

「……」

 俺とレイラは数秒間、無言で見つめ合っていた。

 俺はレイラの下流に居る。そしてレイラは上流で水浴びをしている。

 その水を俺は飲んでいる。さあ、それは何を意味しているでしょうか?

「え~~っと……」

「カカポ、貴様……」

 レイラの肩から怒りのオーラが立ち上っている。

 これは何か上手い切り返しをしないと俺の命が危ないかも知れない。

「きっとこの川の水って色んな人が飲むと思うんだ。だからね……」

「たわけがっ!!!」

 俺には上手い切り返しなんて無理だった。

 次の瞬間、俺の左の頬にレイラのハイキックが炸裂した。

 レイラのキック、効くなぁ。この足ならきっと世界が狙えるよ。

 俺はその後、必死にレイラに謝り続けた。

 何を言ったのかは全く覚えていない。ただ、必死だったのは覚えている。

 俺は水を汲むと、言葉を交わさずにレイラ共にとグズグズの元へと帰った。


「あれ?カカポさんとレイラさん、一緒に帰ってきたんですか?」

「え?あ、うん」

 俺には何と説明したら良いか皆目見当も付かなかった。

 水を汲みに行ったら裸のレイラと鉢合わせたなんて説明する訳にも行かない。

「何かあったんですか?」

「いや、何でも無いんだ。本当に何でも……」

 グズグズは怪しんだが、俺の口からは本当に何も説明できなかった。

 レイラはさっきから黙ったままだし。

「……そうですか?じゃあ僕、夕食の支度の続きをしますね?」

「うん、お願いするよ」

 俺はその後、気まずい沈黙の中でシチューを待つ事になった。

 もう一度レイラに謝ろうかとも考えたが、下手に蒸し返さない方が良いと思った。

 レイラに嫌われたと思うと、加害者は俺なのに泣きたい気持ちになった。

 何とかして許して欲しいと思うが、何をすれば許してもらえるだろうか?

「お待たせしました!」

「いただきます」

 そうこうしていたら、グズグズの料理が完成した。

 俺はそれを黙々と食べたが、おいしいのかまずいのか全然分からなかった。

 レイラも一言もしゃべらずに料理を口に運び続けた。

「ごちそうさま」

「お粗末様でした」

 こうして味のしない食事は終わり、俺は食器を片付ける事にした。

 これから毎日、こんな気持ちを抱えたままこの旅を続けるのだろうか?

 なんだかそう考えると、この旅が随分とつまらないものに感じられた。

「レイラさんは寝袋の準備をして下さい。食器は僕とカカポさんで片付けます」

「え?」

 グズグズの突然の提案に俺もレイラも少し驚いた。

 このパーティーでは食器を片付けるのは料理番じゃない二人だからだ。

「さあカカポさん、早く行きましょう!」

「え?ちょっと……」

 あっけにとられる俺を半ば強引にグズグズは連れて行った。

 グズグズは何でいきなりこんな事を言い出すのだろう?

「何なんだよ?いきなり」

「レイラさんと何があったんですか?正直に教えて下さい」


 グズグズの顔が珍しく怒っている。やっぱり隠していても分かるのだ。

「別に何も無ぇよ」

「それ、嘘ですよね?」

 巨体のオークが小さなレッサーデビルに問い詰められている。

 端から見れば滑稽に見えるかも知れない。だが、本人達は真面目だ。

「カカポさんが何も言わないでご飯を食べるなんて事、ありませんから」

「今日はたまたま静かだっただけだって」

 俺は何とか誤魔化そうとした。あんな事、言って良いものか分からなかった。

 まさかレイラの水浴びの場に乱入し、あまつさえその水を飲んだのだから。

 正直、嫌われるとか嫌われないとかそんなレベルを超えていた。

「じゃあ、何でレイラさんの方を一瞬も見ないんですか?」

「そんな時があったって良いだろ?」

 俺だって、年がら年中レイラの事を見ている訳では無い。

 そんな数時間レイラを見ないからって怪しいことでは無い筈だ。

「気付いてないかも知れませんがカカポさん、結構レイラさんの事を見てますよ?」

「え!?嘘!!?」

 俺は自分がレイラの事をそんなにしょっちゅう見ているなんて自覚が無かった。

 自分ではいたって普通に接しているつもりだったのだ。

「本当です。カカポさんは暇さえあればレイラさんを見てます」

「そんなつもり、全然無かったんだがなぁ……」

 俺は自分がレイラの事を特別視している自覚はあった。

 だが、それを周囲や本人には気付かれていない自信があった。

「それが帰ってきたらチラリともレイラさんを見ない。おかしいと思いませんか?」

「……ちょっとトラブルがあっただけだよ」

 俺だって本当はどうしたらレイラに許してもらえるか教えて欲しい。

 だが、あんなデリカシーの無いことをしたなんて教えたらどうなるだろうか?

 きっとグズグズも俺の事を軽蔑するに決まっている

「最初は別に何も無いって言ってたくせに今度はちょっとですか?」

「言うほどの事じゃ無いって思ったんだよ」

「それ、嘘ですね。本当は何か重大な事があったんでしょ?」

 だが、グズグズは全てを知っているかのように俺の嘘を一瞬で看破した。

「カカポさん、僕を信じて下さい。僕たちは死線をくぐった仲間でしょ?」

「……ひくなよ?」

 俺は事のあらましをグズグズに全て話した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る