第89話 氷竜の王
氷竜王が呟くと同時にボタボタと腐り落ちるように赤黒い腫瘍が崩れて地面に落ちた。
落ちた腫瘍と同じ場所に、すぐに新たな腫瘍が生えてくる。
竜の無尽蔵の回復力と、呪いがせめぎ合っているかのようだ。
落ちた腫瘍は、鎖と同じ材質に変化し、生き物のように動いて鎖に合体していく。
レックスはタロの背から降りて跪いた。
「お待たせいたしました。陛下。御前にサラキア神の使徒と至高神の神獣を連れて参りました」
『……執事長。そのようなことを命じてはおらぬはずだな?』
「ですが! 使徒様と神獣様の力をもってすれば、陛下のことを救えるはずです!」
「すぐに助けるね!」「わふ!」
ミナトとタロが近づこうとしたら、
――GUAAAAAAAAA
氷竜王は巨大な声で咆哮する。山ごと震えるほど大きな声だった。
その咆哮には、聞いたものの心胆をさむからしむる魔力がこもっている。
竜の咆吼は、ただの声ではなく竜固有の魔法なのだ。
その咆吼を受け、竜であるレックスですらびくりとしたが、ミナトとタロは平気だった。
咆哮と同時に、先ほどよりも大量の腫瘍が地面に落ちる。
地面に落ちた腫瘍も動きまわり、やはり鎖へと合体した。
『……使徒殿。神獣殿。それ以上近づくでない』
「近づかないと治せないよ?」
『我はもう治せまい』
氷竜王が話す度、腫瘍が地面に落ち、耳や鼻からは金属のヘドロが噴き出す。
それらは全て、地面に落ちた後、鎖に合体するのだ。
『今もそなたたちを殺せと体内の呪者の声が喚いているのだ』
「本能に連動した殺傷衝動ですか?」
『そうだ、レックスわかっているではないか。この呪いは本能と連動しておる』
氷竜王にかけられた呪いは本能と結びついた行動を取らせようとするらしい。
これ以上ミナトが近づけば、巣を守るという竜の本能と呪いの相乗効果が生まれるようだ。
「陛下、今は支配に抵抗できているのですか?」
『……ああ、なんとかな』
「流石陛下! ならば、この調子で敵の支配を押し返せば!」
氷竜王はゆっくりと首を振って、語る。
呪神の使徒に呪者を取り憑かされた後、しばらくはせめぎ合っていた。
王も自分の意思で体を動かせないが、勝手に動かされることもない。
体内では激しい主導権争いが起こっていたが、外から見れば固まっているように見えただろう。
『辛うじて、話せるようになったのは、ここ数日よ』
「やはり、このまま押し返せば……」
『そうもいかぬ。敵は作戦を変えた。我が眷属を暴れさせようとしておる』
氷竜王は、暴れて人を食らいにいこうとする眷属達を魔法で抑え続けている。
そうなれば、当然体内の主導権争いに専念できず、結果、押し返され始めた。
『そろそろ眷属達も抑えるのも限界なのだ』
「ここまで竜に会わなかったのは氷竜の王がおさえてくれていたから?」
ミナトが尋ねると、氷竜王はふうっと大きく息を吐く。
『うむ。だが、もう限界だ。数分前、既に一頭、我が支配下から逃れおった』
「その竜は人里へ?」
レックスが尋ねると、王は首を振る。
『わからぬ。こちらに来るかもしれぬ。王を守ろうとする本能も強いであろうし』
そして氷竜王は優しい声音で言う。
『使徒殿、神獣殿。その位置ならば、我も体内の呪者を抑えられる』
「うん。それはわかったけど……」
『その位置から、我を殺してくれぬか?』
「陛下!」
『よいのだ。レックス。こうなっては致し方なし。呪神の使徒に敗れた我の責よ』
まだ顔を出していない太陽によって赤く染まる東の空を眺めて、氷竜王は目を細めた。
『もとより、苦しみの中、一頭孤独に自死するつもりであった。今死ねるならば上等である』
「陛下! そのようなこと」
『何万回見ても朝焼けは美しい。これほど美しいものを見ながら死ねるなど贅沢であろう』
覚悟を決めているのか、氷竜王の表情も口調も安らかだ。
『眷属の竜たちを支配している呪者の本体は、我の体内にいるのだ』
「ということは……氷竜王さんの呪者を退治すればいいってことだね?」
氷竜王の体内に巣くう呪者を滅ぼせば、眷属の竜達を支配している呪者も滅びる。
『そうだ。それゆえ、我が眷属を救うために、我ごと体内に巣くう呪者を滅ぼして欲しい』
「陛下! 考え直してください!」
『時間がないのだ。聞き分けよ。レックス。我が支配から逃れた眷属がいつ来るかわからぬ』
レックスに諭すように言ったあと、氷竜王はミナトとタロを見つめた。
『お仲間が襲われておるのかも知れぬ。使徒殿。神獣殿。最早時間はありませぬ』
支配下から逃れた眷属の竜はまだこちらに来ていない。
ならば、キャンプ場にいるアニエスたちが襲われている可能性も高い。
アニエスたちは強い。だが極寒の高所での戦いで全力を出せるとも思えない。
強力な竜と戦えば、無事では済むまい。
「……急がないとだね」
『わかってくれたか。使徒殿』
「ミナト! 待ってくれ――」
氷竜王は安心し、レックスは慌てる。
「じゃあ、今から助けるね」
『わかっていないではないか! それ以上近づけば我は自分を抑え――』
「タロ!」
氷竜王の言葉の途中で、タロに乗ったままのミナトは指示を出す。
「わふっ!」
タロが駆け出す。今までの背中に乗っている人に配慮する走り方ではない。
至高神の神獣、その全力の走りだ。
氷竜王との五十メートルほどの距離を一秒足らずで駆け抜け、あっというまに肉薄する。
だが、本来のタロの速度よりも、わずかに遅い。
それは鎖が発する濃密な瘴気が、タロにまとわりついたせいだ。
一瞬遅れたため、氷竜の王の反応が間に合う。
――GUAAAAAAA!
先ほどのミナトたちを足止めする為の咆哮よりも威力が高い。
その咆哮を食らえば、たとえ竜であっても、恐怖のあまり体を硬直させたであろう。
咆哮と同時に、氷竜王は氷のブレスを放つ。
あらゆるものを凍結させる絶対威力を誇る氷のブレスだ。
それをミナトとタロはまともに食らう。
空気中の水分が氷結し、周囲が分厚い雲で真っ白になった。
「あ、あぁ……すまない。俺が、俺が王を助けてくれと頼んだせいで」
レックスはミナトとタロが死んだと思った。
強大な竜であっても、たとえ氷竜王と同格の竜王であっても、無事では済まない。
それほどの威力のブレスで、それほどのタイミングだった。
だが、雲の中から、気の抜けた声があがると同時に目を覆うほどまぶしい光が放たれる。
「とおりゃあ~~」
「ばう!」
タロの声が聞こえると同時に、強い風が吹いて雲がかき消える。
タロが風魔法で氷ブレスを吹き飛ばしたのだ。
実はミナトは氷の大精霊モナカと契約したことで、【氷結無効】のスキルを得ていた。
だから、氷攻撃はミナトには通じない。
タロには【強くて大きな体】のスキルがあるし、そもそも体力が無尽蔵だ。
そのうえ魔法抵抗力にも影響する魔力も、尋常な数値ではない。
だから、タロにとって氷竜王が放つ渾身の氷ブレスもたいしたことは無かったのだ。
「とぉりゃあ~~りゃあ~」
タロの背に乗ったミナトは、サラキアの書を左手に持ち、右手に聖印を掲げている。
聖印は光り輝き、氷竜の王の照らしている。
光に照らされた氷竜の王の腫瘍は、ゆっくりと蒸発しつつある。
――GURRA!
氷竜王は理性を失った様子で、タロとミナトに向かって爪を振るい噛み付こうとする。
だが、全身を鎖で拘束されているので、自由には動けない。
いくら氷竜王とて、不自由な状態でタロに勝てるわけがない。
「ばう~」
タロは氷竜王の攻撃を前足でベシっと叩いていなしている。
「ありがと、タロ。押さえつけられないかな?」
ピッピたちを助けたときは耳に指を突っこんで体内に灯火の魔法で照らした。
だが、暴れている氷竜王の耳に手を突っ込むのは至難の業だ。
「わう!」
タロは氷竜王の首に噛み付くと、地面に押さえつける。
「俺も手伝う!」
タロと氷竜王の戦いをみて、あっけにとられていたレックスが我に返った。
レックスは竜の姿になり、氷竜王の胴体にしがみつく。
――GUURUAAA!
氷竜王は手足と尻尾を振り回して暴れ、レックスは何度も殴られる。
そのたびにレックスの鱗は剥がれ、皮膚は破け、血が噴き出した。
「ミナト! 余り長くは持たん!」
氷竜王の腫瘍が、レックスに取り憑こうと移動し始めた。
「わかった!」
ミナトはタロの背から氷竜王の頭に飛び移り、その右耳に手を突っ込んだ。
「とりゃあああああ」
右耳から眩い光が漏れる。
氷竜王は「アガガガガガ」と意味不明な言葉を発しはじめた。
腕を突っ込まれている耳、そして鼻、口、目から金属光沢を持つヘドロを噴き出していた。
赤黒い腫瘍は、ボトボトと地面に落ち、それと同時に生えてくる。
「ミナト、それは何をしているんだ?」
「えっとね。灯火の魔法で体のなかの呪者を退治しているの」
「そんなわざが……」
氷竜王の体から呪者がでるのと同じだけ、地面から鎖が飛んできて体内へと入っていく。
「でも、効きがよくないかも……鎖のせいかな?」
瘴気を発している鎖が、常に氷竜王を呪い続けている。
そのうえ、その瘴気は、ミナトの神聖魔法も妨害しているようだった。
「むむ~、あ、タロ! 地面の下に何かある!」
「わふ!」
タロは氷竜王を咥えたまま、右足で地面をドン! と踏みしめる。
――ビシッビシシシシ
平らな頂上に大きな亀裂が入り、その裂け目に黒い拳大の宝石のような物が見えた。
「タロ! あれだ! あれが嫌な気配のもとだ!」
「わふっ!」
ミナトとタロはその宝石がこの辺り一帯を覆う呪いの核だとすぐに見抜いた。
その核の影響で周囲には嫌な気配が満ち、ミナトの解呪は妨害されていた。
氷竜王や氷竜たちの呪いの核もこれだ。
呪いの核は強固な結界で守られている。タロの魔法でも破壊するのは容易くない。
「……どしよっか」
呪いの核を壊さなければ、鎖は再生し続け、氷竜王を呪い続ける。
そのうえ、ミナトやタロの力を抑え続けるのだ。
「わぁう」
タロの鼻先に光り輝く小さな玉が現われる。それはただの魔力の弾だ。
魔導師の初心者が使う、魔力弾と呼ばれる属性のない初歩の攻撃魔法。
「なんという、魔力濃度なんだ……」
レックスは目を見開いて驚いているが、この魔力弾では呪いの核は壊せない。
だから、タロは壊れるまで何度でも魔力弾をぶつけるつもりだった。
タロが魔力弾を放とうとしたそのとき、
――ガキン
突然、呪いの核を覆っていた結界が消失した。
「ばう!」
その直後、呪いの核を目がけて、タロは魔力弾を放つ。
呪いの核は砕け散り、
――キイイイイイイイイン
という音が鳴った。
それはどこからというでもなく、周囲全体から響いている。
「……空が砕けた? 違う、大気が、いや世界が砕けた?」
レックスにはそう見えた。
「嫌な気配のもとをこわしたんだ!」「わっふぅ!」
「これが嫌な気配ってやつだったのか」
あまりにも当たり前で、空気のように存在していたので気づかなかった。
「世界はこれほど気持ちいいものか」
なくなって初めて、意識せずに不快感を覚えていたことに気づく。
「これで、いけるね! タロ!」
「わふ!」
「ちゃああああああ!」「わふうううううう!」
ミナトの腕が一層激しく輝き、タロも全身が輝いた。
その光が氷竜王を包み、
――ゴボボボボボ
王の体積以上の呪者が、目、耳、鼻から一斉に吹き出た。
「一杯詰まってたんだねー」
落ちた腫瘍は金属様のヘドロへと変化して、合流し再び固まろうとする。
「嫌な気配の元にもう一度なろうとしているのかな? タロ、お願い」
「ばふ!」
タロは「任せて」と吠えると、落ちたヘドロに魔法をぶつける。
タロは火魔法を使って金属様のヘドロを焼いていく。
タロが火魔法を使ったのは氷竜の王の氷ブレスを食らって少し寒かったからだ。
「ばう~わふ! ばう~わふ!」
ミナトが体内から呪者を追いだし、出てきた呪者をタロが焼いていく。
氷竜王の体から落ちた腫瘍と穴から吹き出た金属様のヘドロは大量だ。
巨大な氷竜王の体より、体積が多いぐらいである。
五分ほど、それをずっと繰り返す。
「結界をこわしてくれたのって誰だろ?」
「わふ」
太陽が顔を出し、周囲が明るくなる頃、氷竜王に巣くっていた呪者は完全に退治された。
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