第17話 湖の解呪

 あまりに気楽に返答されて、聖女は不安になった。


「そんなあっさり! ミナトさんとタロ様はこの事態を本当に理解しているのですか?」

「わかってるよー。あの湖の解呪をすればいいんだよね?」「わふわふ」

「はい、それはそうなのですが……」

「なら大丈夫だよ。じゃあ、いこっかー」「わふ~~」


 ミナトはタロの背中に乗ると、ちょっとトイレ行ってくるみたいなノリで歩き出す。


「ちょ、ちょっと待て! ミナト、一級呪者が少なくとも六体いる、きっともっといるぞ!」

「ふむ? 一級呪者ってあれ?」「わふ?」


 慌てるジルベルトに対してミナトは湖の近くにいる一級呪者の一体を指さした。


「そ、そうだが」

「なら大丈夫だよ、ね? タロ」

「わふ~」


 タロは「大丈夫」と力強くうなづいた。


「タロ。作戦をかんがえたよ!」

「わふわふ~?」

「まず、僕が瘴気を浄化するためにえいやってするから、風魔法をお願いね」

「わふ~」


「うん、まかせるね。そのあと、タロは湖に向かって走って!」

「わふ?」

「呪者は近くにいる奴だけ倒してくれればいいよ! 湖についたら湖を解呪するから」

「わふわふ!」


「そう、水魔法で手伝ってね。大変なのはタロばっかりだけど……」

「わふ!」

「いつも、ありがと。じゃあ、いくよ~! むむむむうううう!」


 ミナトは左手にサラキアの書を持って、右手に聖印をもって空に掲げる。

 同時に、ミナトの魔力、つまり神聖力が膨れ上がる。


「ちゃああああああああ!」


 ミナトの右手から神聖力が放出され、

「ばあああああう!」

 タロは風を吹かそうと頑張った。


 ――ゴオオオオオオオ


 台風より強い暴風がタロとミナトを中心に吹き荒れる。

 タロは風魔法を使うのは初めてだったので力加減ができなかったのだ。


「うっ! みんな姿勢を低く!」


 ジルベルトが大声で叫ぶ。

 聖女一行は飛ばされないよう姿勢を低くして必死に地面にしがみつくようにして耐える。

 目に見える呪者はバラバラになりながら、吹き飛ばされて消滅した。


 周囲数キロ四方に立ち込めていた瘴気も吹き飛ばされて消滅していく。

 濃い霧のような瘴気が晴れて快晴の空から、暖かい日差しが降り注ぐ。


「タロ!」「わぁふ~」

 その日差しを浴びてタロは元気に駆けだした。


「わぁわぁぁ!」「わぅゎぅ~」

 ミナトはすごい速さで走るタロの背中が楽しくて、はしゃいでいる。


 タロはミナトが楽しそうなのがうれしくて、しっぽを振って走っていく。

「ま、待て!」


 風が収まり慌ててジルベルトたちが走り出したときには、相当距離が離れていた。

 せめてミナトたちを守る盾になるために、追いつこうと聖女一行は走る。

 だが、タロはものすごく速いので、追いつけない。


「ギャアアアアア」


 地中に隠れていた一級呪者たちが姿を現し、続々集まってくる。

 そのすべてが、タロとミナトに殺到する。


「わぁわぁわぁ~!」「ばうばう~」


 タロは足を緩めず、通りすがりに一級呪者を一撃で切り裂いた。

 簡単に国を亡ぼせる伝説の古竜以上に強いタロにとって、一級呪者など相手にならない。


「ああ、一級呪者が二十体も……」

 地中に隠れていたのを含めて、一級呪者が二十体。国がいくつも滅びるレベルだ。


「わぁぅ!」


 だが、タロが強すぎて、一級呪者たちは足止めすらできていない。

 タロと一級呪者は、速さがまず根本的に違う。

 一級呪者が一メートル動く間に、タロは二十メートルは動くのだ。相手にならない。


「タロ、ありがとー」

「わあぅわぅ~」

 ミナトを乗せたタロはあっという間に黒い湖にたどり着く。


「タロ、ありがと!」

「わふ!」

「いま助けるからね! タロまたお願い。解呪いくよ~、はあああああ!」


 ミナトは左手にサラキアの書を持ち、黒くギラギラ光る湖の水中に聖印を握った右手を突っ込む。

 そして、魔力を一気に注ぎこむと、一瞬で一メートルほどの範囲の湖面が透明になった。


「ばぶ、ばぶぶぶぶぶ」


 その透明になった湖面にタロは鼻先を突っこみ、ぶくぶく息を吐きながら水魔法を使った。

 サラキアの書に載っていた「撹拌する」とはかき混ぜること。

 そう学んだばかりのタロは張り切っていた。


「ぶぶぶぶぶぶぶ」


 タロの魔力は6812で、全属性魔法のスキルLvは89という圧倒的な数値だ。

 若き天才マルセルでも、魔力は134、水魔法のスキルLvは45でしかない。

 それを考えれば、いかにタロが規格外かわかるだろう。


「ぶぶぶぶぶぶぶぅ」

 タロの水魔法で、対岸まで数キロある湖の水が文字通り丸ごとかき混ぜられる。

 ぐるぐると渦巻きながら、ミナトの魔力が拡散していく。


「……すごい」

 それをみたアニエスがつぶやいた。


 出会ったとき一級呪者を一撃で屠ったタロがすごいことは知っていた。

 それでも、思っていたよりも数倍、いや数十倍、タロは強かった。


「ミナトさん……あなたの力は……一体どこまで」


 加えてミナトが尋常ではない。使徒というのはここまで圧倒的なのか。

 けして侮っていたわけではない。

 だが、神にその力を授けられた聖者や聖女と似たようなものだという意識があった。


「これが、……神の地上での代理人」


 ミナトの瘴気を払う能力は、聖女や聖者とは比べ物にならない。

 確かに拡散させたのはタロの力だ。


 だが、いくら拡散させようとも、元の力が弱ければ、何の意味もないのだ。

 数キロ四方を覆っていた瘴気を一気に払う能力。

 対岸まで数キロある湖を丸ごと解呪する能力。


 そんなことができる者がいるなど、見たことも聞いたこともない。


「なに、ぼさっとしてんだ!」

「はっ、すみません! そうですね、手伝わないと!」


 ジルベルトに一喝されて、アニエスは我に返る。

 いくら非力でも、解呪をミナトだけに任せるわけにはいかない。

 そう考えて、アニエスは再び走り出し、その後ろを聖女一行は追いかける。


「ピィィィィィ!」


 そのとき上空を旋回して警戒していたピッピが強く叫んだ。

 ほぼ同時に、湖面がゆっくりと持ち上がり、直径三メートルほどの球体が出現する。


「呪者か!? 一級?」

 ジルベルトの問いに、魔導師マルセルが叫ぶように返答する。


「違う! 特級だ!」


 国が滅びかねない天災を超える呪者。それが特級だ。

 いくらタロであっても、苦戦するであろう相手だ。


「一分でいい! 稼いでくれ!」

 当代の若手最強の天才魔導師、マルセルは自身の持てる最大級の魔法の発動を準備する。


「わかった!」「任せてもらおう」「仕方ないわね」

 ジルベルト、神殿騎士ヘクトル、弓使いサーニャが戦闘態勢に入る。


「違います! あれは――」

 聖女アニエスが、足を止めず走りながら叫ぶ。


「あれは大丈夫! 攻撃しないで! 僕にまかせて!」

 アニエスの言葉を引き継ぐように、明るく元気にミナトが叫ぶ。


「いますぐ助けてあげるね!」


 叫ぶと同時に、ミナトは湖面から右手を離して立ち上がる。


 左手に持つサラキアの書のページが「バササササ」と高速でめくれ続けている。

 高速で捲れるサラキアの書をミナトはちらりと見て、


「ん、わかった。……『サラキアの使徒ミナトが命じる。疾く失せよ』」

 その言葉と同時にミナトの聖なる魔力が球体を覆い、


「ンギャアアアアアアアアア!」


 この世のものとは思えないおぞましい声があがった。

 そして、球体が二つに分かれる。

 一つは黒いヘドロのような塊で、もう一つは大きな亀だ。


 その黒いヘドロの塊に向かって、ミナトは右手の平を向けて、

「えいっ!」

 というと、その塊は「びゃぁぁぁぁ……」と悲鳴をあげて蒸発するようにして消えた。

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