第16話 絶望の湖

 それは対岸まで数キロメートル程度の湖らしい。

 らしいというのは濃霧のように瘴気が立ち込めて、見通せないからだ。


 濃い瘴気が日の光を遮るせいで、周囲一帯は薄暗い。

 湖面は原油で覆われているかのように黒くギラギラと光っている。


 瘴気にやられたのか草木も枯れている。生物の気配は全くしない。

 湖からまだ数百メートルの距離があるのに、鼻が曲がりそうな臭いが漂ってくる。


「くさいねえ、ね、タロ」

「ばふわふ!」


 タロは「くさいくさい」といって、鼻をミナトのお腹に押し付ける。

 ちなみにピッピはさらに上空へと避難している。もう豆粒にしか見えない。


 ジルベルトがボソッという。

「アニエス。あれ浄化できるか?」

「三日かかります。ジルベルト。三日、私を守れますか?」

「……無理だな」


 そういって、ジルベルトは湖の周囲を指さした。目に見えるだけで三体の呪者がいる。


「三体とも一級だ。守りながら相手できる敵じゃない」

「三体だけとは思えない」


 弓使いサーニャは小刻みに震えながらつぶやく。

 目に見えるだけで三体。隠れている呪者はきっとそれ以上いるに違いない。


 ヘクトルが魔導師のマルセルに尋ねる。

「索敵の魔法は使っておるか?」

「もちろん。瘴気が濃くて見通せないが湖面の下に少なくとも二体。土の中に一体」

「追加で三体か」

「おいおい、ジルベルト。見通せないといっただろう? その倍いるだろうよ」


 マルセルの言葉に聖者一行は絶句した。

 マルセルの見立てがあっていれば、見えているのを含めて九体を相手にしなければならない。


「一人一体でもおつりがくるのぅ」


 一級呪者はA級パーティで、やっと一体と互角に戦える相手だ。

 それを一人で一体以上相手にするなど、想定外だ。


「こちとら、伝説の英雄様じゃないってのによ。どうするアニエス?」


 ジルベルトに問われて、アニエスは真剣な表情でつぶやいた。


「絶望的な状況ですね。ですが、救援を呼ぶにしても……」


 聖女は深刻な選択を迫られていた。

 このまま突っ込めばほぼ間違いなく全員が死ぬ。


 だが、この湖の浄化がなせなければ、呪いと瘴気は加速度的に広がっていく。

 数十年、もしかしたら数年で世界は滅びるかもしれない。


 しかも、時間がたてばたつほど、敵は強大になるのだ。

 応援を呼ぼうにも聖女一行より強いパーティはほとんどいない。


 応援が駆け付ける時間で、こちらの戦力増加分より敵は強大になりかねない。

 ならば、一か八か、世界のために自分たちの命運をかけるべきではないか。


 それが至高神のご意思なのではなかろうか。

 神は我らに対処できるから、神託を下したはずなのだ。


「……ミナトさんとタロ様に」


 サーニャがボソッという。

 それはアニエスが葛藤していたことだ。


 聖女一行にとってミナトとタロは庇護欲の対象。守るべき相手。

 だが、現状、強力な味方であるのは間違いない。


 とはいえ、一級呪者九体との戦いに巻き込めば、ミナトもタロも高確率で死ぬ。

 死地に赴くのに幼子は連れていくべきでない。


 だが、幼子に頼らねば世界が滅びるかもしれない。

 世界が滅びたら結局はミナトもタロも死ぬのだ。


 アニエスは深く深呼吸してから泣きそうな顔で呼びかける。


「ミナトさん、タロ様! 世界を救うため! どうかお力をお貸しください!」

「ん? いいよ~。そのために来たんだしー」「わふ! わふ~?」

 ミナトとタロは地面に座って、本を読みながら、気の抜けた返事をした。


  ◇◇◇◇


 時間は、聖女アニエスがミナトとタロに手伝ってくれと頼む数分前に戻る。

 ミナトは湖を見るなりサラキアの書を読み始めた。

 聖女一行の会話は、ほとんど聞いていない。


「広範囲の瘴気を祓う方法にはどんなのがあるのかな~?」



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【瘴気を祓う方法】

 ミナトの魔力は神聖なので、魔力をぶつければ祓える。

 広範囲の瘴気を祓いたいときは、周囲にそよ風を吹かすイメージで。


 ※ミナトの風魔法はレベルが低いので、タロに手伝ってもらおう!


 ※ミナトが魔力を出して、タロはそれを風魔法で周囲に広げるイメージで。


 ※サラキアの聖印(首飾りののペンダントトップ)を使おう。

  聖印を使うと魔法、解呪の力等を発動したら威力が跳ね上がるよ!


 ※※簡単に威力が上がりすぎるので、練習の時は使うのはやめておこうね。

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「なるほど? タロは風魔法を練習してないけど大丈夫?」

「ぁぅぁぅ」


 タロはミナトのお腹に鼻をくっつけながら、「まかせて」と返事をする。


「これ聖印だったかー」


 サラキアの首飾りのペンダントトップは、銀色の金属でできた三日月だ。

 大きさはミナトの手のひら程度。


「これを握って、発動すればいいかな?」

「ぁぅぁぅ~~」


 タロは「僕のには鼻が届かないよ!」と言っている。

 タロも至高神の首輪を持っていて、似たような聖印がついているのだ。


「うーん。タロは使わなくても強いからいいんじゃない?」

「わふぅぅ~」


 ミナトに強いと褒められて、嬉しそうにタロは尻尾を揺らした。


「一応聖印の使い方も調べておこう」


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【聖印の使い方】

 魔力をばらまくときは、聖印を掴んで、聖印を通して魔力をばらまくイメージで。

 魔法を使うときは聖印を掴んで、魔法を発動するだけでいい。便利!


 より威力を高めたいならば、聖印を首にかけた状態で、サラキアの書を開いて発動しよう!

 サラキアの書の代わりにサラキアのナイフでもよいが、少し効果は落ちる。


 敵を切り裂きながら使いたいとき以外は、書を使うのがおすすめ。


 ※書もナイフも神器なので、サラキアの聖印との神聖力回路を自動で作ってくれるよ!

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「なるほど~。きっと僕が弱いから、サラキア様はいろいろと考えてくれてるんだね」

 ミナトは聖印をぎゅっと握って目をつぶる。


「ありがと、サラキア様」「ぁぅ~」

 ミナトとタロは心からサラキアにお礼を言った。


「瘴気の祓い方はわかったけど……湖自体呪われてるっぽいよね……」

「ゎぅ」

「湖自体は呪者じゃないから解呪できるよね。でっかいのを解呪するのはどうすればいいんだろ」


 湖は対岸まで数キロあるのだ。そんな巨大なものの呪いを解いたことはミナトにはなかった。

 調べるために、ミナトは再びサラキアの書のページをめくる。


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【呪いを祓う方法】

 瘴気と同じくミナトの神聖力(魔力!)をぶつければ大丈夫。

 巨大な湖の解呪は、タロの水魔法と組み合わせて、湖ごと撹拌すればいいよ。

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「僕の魔力って便利だねぇ」

 呪いも瘴気もぶつけるだけで祓えるのだ。


「わふ?」

「撹拌ってのは、まぜるみたいな意味だよ」

「わふ~」


 なんでも知っているミナトの賢さにタロは尊敬の念を禁じえなかった。


「タロは水魔法も練習してないけど……大丈夫?」


 タロは全属性魔法のLvが89もある。

 ものすごく高いLvだが、練習していないのだ。


「ぁぅぁぅ」

 タロは「できなくても練習すればいい」という。


「そだね。練習しながらやればいっか!」


 少しずつ浄化範囲を広げていけばいい。

 そのうちタロも水魔法の使い方がうまくなって、撹拌できるようになるに違いないのだ。


「ぁぁぅ」

 タロが鼻の先をミナトのお腹から離して、サラキアの書をめくる。


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 ミナト、タロ、その湖をお願いね。

 その湖は人の手には負えなくなってしまったの。

 でも、ミナトとタロならできるわ。そのために近くに送り込んだの。


 本当は、ミナトたちの住処の近くにコボルトの集落があるはずだったのだけど……。

 環境が私が考えていた以上に悪いところだったみたいで、ごめんなさい。

 私が想定していたよりも悪化進行が早かったみたい。

 ほんとうにごめんなさい。

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「そっかー。やっぱりサラキア様はこの湖を助けるために僕とタロをあの場所に送ったんだね」 

「ぁぅ~」

 ミナトとタロは「でも環境は悪くなかったけど」と思っていた。


 屋根のある洞穴もあるし、川にはおいしい魚もいるし、おいしいルコラの実もとれるからだ。


 ミナトたちの住処の近くには数年前まで優しいコボルトの集落があった。

 コボルトは二足歩行の犬のような姿の獣人の一族だから、ミナトも喜ぶとサラキアは考えた。


 だが、サラキアはそれを知ったのは十数年前。当時の聖者の一人の目を通じてである。

 十数年の間に環境は変わり、コボルトたちは避難し、その後は呪者に占拠されていた。


 ミナトたちを送り込んで、しばらくたち、サラキアは事態を知って頭を抱えていたのである。

 それからずっと謝るタイミングをうかがっていたのだ。


「謝らなくていいよ~楽しかったし。快適だったし。ね?」

「ぁぅぁぅ~」


 ミナトとタロはサラキア様に向かってそう返事した。

 その直後、アニエスが悲壮な声で叫ぶように言った。


「ミナトさん、タロ様! 世界を救うため! どうかお力をお貸しください!」

「ん? いいよ~。そのために来たんだしー」「わふ! わふ~?」


 タロは「そりゃ手伝うけど、急にどした?」と首を傾げたのだった。

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