第5話 慶州2日目(金曜日)
トラベル小説
ホテルの朝食はごくふつうの韓国食だ。金属製の器に入ったごはんとみそ汁みたいなスープ、妻は
「チョングッジャンだよ」
と言っていたが、みそ汁とどう違うのかよくわからなかった。
「あなた、映画ヒーローを見たでしょ」
「見たよ。韓国でロケをしたやつだよね」
「その時、主役の二人が食べたのがこれよ」
「あー、あの時の・・・」
と、映画のワンシーンを思い出した。納豆入りみそ汁なのだが、それほど特筆すべき味だとは思えなかった。まさに日本の濃いめのみそ汁という感じだ。
9時に予約をしていたタクシーがやってきた。時間どおりだ。運転手はイさん。呼ぶ時にはイ・ジシン氏とフルネームで言わなけらばならない。ある程度の英語を理解している。タクシーは模範タクシーと言われる黒塗りだ。シートは革張り。いわば高級車だ。彼に英語で書いた予定表と前金の5万W(5千円ほど)を渡し、いざスタート。
まずは、世界遺産の仏国寺(プルグッサ)に向かう。1500年の歴史をもっているが、一度廃寺になっている。実は朝鮮の国教は儒教で、仏教勢力はしいたげられていたのである。慶州は新羅(シルラ)という国で、仏教中心の国家だったが、高麗から派生した李氏朝鮮からは弾圧された国である。この仏国寺を復興させたのは、かつての日本統治だったというから皮肉なことかもしれない。
境内を歩くと、さすがに歴史を感じさせるものが多い。石塔が見事で見入ってしまう。ところどころ修理のためのシート張りがあり、興ざめのところもあるが、絵葉書になる正面階段のところは、さすがに1500年の歴史を感じさせる。日本で言うと飛鳥から奈良時代である。日本に木材建築でこれほどの建物は残っていない。
おもしろいのは、いたるところに金のブタの像があるということだ。後で知ったことだが、韓国ではいのしし年というのがなくて、ブタ年なのだそうだ。(どちらも似ているが)その中でも金のブタは金運をもたらすと言われているそうだ。韓国人の感覚はおもしろい。これも来てみないとわからない。
1時間ほど歩いて駐車場にもどり、石窟庵(ソックラム)に行こうとしたが、イさんが
「We cannnot go by taxi , you have to go by shuttle bus. 」
(わたしたちはタクシーで行けない。行くならシャトルバスで行かなければならない)
と言い出した。細い道なので交通規制がかかっているようだ。バスは1時間に1本しか出ていない。往復だけで2時間かかりそうだ。昔の姿を残しているのではなく、ガラス張りの中にある石仏さんなので、今回はパス。ドラマのロケ地中心に考えると、時間の無駄と判断した。
そこで、善徳女王(ソンドッヨワン)陵に向かった。20分ほどで駐車場に到着。国道沿いからやや離れた田園地帯にある素朴な駐車場だ。ドラマのイメージとはかけ離れている。そこからハイキング道みたいな小高い丘を乗り越えて10分ほど歩くと目的地が見えてくる。こんもりと盛られた山である。全周74m、高さは7mほど。前にソウルで王墓を見たことがあるが、大きさはさほど変わらない。シルラ初の女王だからだろうか。陵墓のまわりは整備はされているが、特に飾り立てられているわけではない。韓国の昔の墓のほとんどは土饅頭といわれるこんもりした山である。女王の墓とて、大きさが違うだけだ。案内板がなければ女王の墓とは分からない。とても意外な感じがした。妻もなんか拍子抜けしたような顔をしている。支配された国の王の墓の末路を見た感がした。
イさんのタクシーにもどり、今度は善徳女王の右腕であった将軍のキム・ユジン陵(キムユジンチャングンミョ)に行った。ここも慶州の街からやや離れた郊外にある。王女の墓がみすぼらしかったので、その配下である将軍の墓は見るべきものがあるのだろうか。ましてやツアーバスでは来ないところである。期待薄である。
小高い丘のふもとの駐車場にイさんのタクシーは停まった。そこから階段を上がれと、手で合図をしている。まるで、由緒ある仏寺の様相である。
100段ほどの石段を上ると、陵墓が見えてきた。まさに大将軍の陵墓という様相だ。土饅頭の大きさは女王陵墓とさして変わらないが、その周りが石囲いで囲まれている。それも12支神像が彫られている。後で知ったことだが、善徳女王よりもキム将軍の方が地元では人気があるそうだ。シルラを救った英雄だからだ。
そろそろ昼時ということで、イさんの案内でレストランに連れていってもらうことにした。いわばタクシー飯である。韓国でタクシーを貸切ると、食事は運転手さんもいっしょだということをガイドブックで知っていた。
ところが、イさんが最初に連れていってくれた店は休みだった。イさんは意外という顔をしたが、すぐに次の店に連れていってくれた。川べりの食堂で、うなぎ料理の店だった。ウナギを焼肉みたいに鉄板で焼く料理である。
「コムジャンオというみたいよ」
ハングル文字が少し読める妻がメニューを見て教えてくれた。運転手さんのイさんも同席していて、英語で何かを話そうとしているのだが、イさんの英語を聞き取るのはなかなか難しかった。どうやら、休みだった店のことを話しているみたいだった。でも、韓国の友人といっしょに韓国の料理を食べているみたいでおもしろかった。3人で5万W(5000円ほど)昼食にしては高級の部類かもしれない。後で調べたら海沿いの町機張(キジャン)のヌタウナギの料理ということがわかった。
その後、博物館に向かった。シルラの歴史を知るのにはよかったが、妻はつまらなそうな顔をしている。1時間もしないうちに出ることになった。
「ねえ、慶州パンの店に行こうよ」
と妻が言うので、予定を変えることにした。イさんは快く変更に了解してくれた。
2時半に慶州パンの店に着いた。次の目的地である遺跡の近くにある。そこには歩いていける距離なので、イさんとはここで別れることにした。予定より1時間も早い。残りの5万Wとチップの1万Wを渡すと、満面の笑みを返してくれた。日本でタクシーを貸切ることを考えると、とても安い。イさんは何度も
「コマスミダ(ありがとう)」の連発だった。
慶州パンの店は焼き立てのいい匂いを漂わせている。パンというよりは饅頭に近いと思うのだが、焼き立てのパンはやはりおいしい。でも、2個も3個も食べる気にはならなかった。満腹状態では無理もない。
腹ごなしに近くの古墳公園に足を踏み入れた。広大な公園で見渡すかぎり古墳だらけだ。全部で23あるとのこと。その中の天馬塚(チョンマチョン)という古墳の内部に足を踏み入れた。古墳の内部なので、ただの穴倉なのだがここに土葬されたと思うと、少々気味わるかった。
古墳の周辺に古代の城跡があった。月城(ウォルソン)という。と言っても、古代の城なので城壁とかはない。残っているのは土塁と堀の跡ぐらいである。城マニアの私にとっては、物足りない城であった。
歩いているうちに、東洋最古の天文台といわれるチョムソンデに着いた。善徳女王の時代に造られたもので、ドラマでもそのシーンが表現されていた。歴史の舞台に触れられることで、妻も喜んでいた。
2時間ほど歩いたので、ホテルにもどることにした。タクシー乗り場に行き、ホテルのチラシを見せると、またまた不思議な顔をしていた。日本人がモーテル街のホテルに泊まるのは珍しいらしい。
部屋で少し休み、夕食の時刻になった。歩いて外のネオン街を歩く気はしなかったので、ホテル内のレストランに行くことにした。中は焼肉店の様相である。
そこで、スンドゥブチゲ(純豆腐)を食べることにした。
「チャッカマンキダリセヨ。シガニーイッソヨ」
とスタッフが言ったが、私はよく聞き取れなかった。しかし、韓流ドラマ通の妻が
「ちょっと待ってください。時間かかるって」
と通訳してくれた。
「いつ、韓国語勉強したの?」
と聞くと、
「決まり文句よ。パリパリとチャッカマンキダリセヨはドラマでもよくでてくるわ」
「パリパリ?」
「早く早くっていう意味よ」
それを聞いて、韓国人の気質が分かるような気がした。
「あと、ケンチャナヨもよく言うわね」
「それ、俺も聞いたことがある。たいしたことない。という意味だよね」
「あら、よくわかっているわね」
と、つまらないことで妻にほめられた。
しばらくして出てきたスンドゥブチゲは、うまかった。特にアサリが豊富でそのだしがきいている。ただ辛いだけのスンドゥブチゲではなかった。豆腐も地元のものを使っているらしくトロッとしたもので、口の中でとろけている。最後にライスを入れて、完食をめざしたが、辛さが強くなってあきらめた。
辛い料理には韓国の軽いビールが合う。水みたいに飲んで、妻にあきれられた。
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