異端児、走る

古井論理

本編

 僕は、部長ではない。部長になる機会は先生方に潰された。それなのに僕は中学卒業を前に、高校受験直前の木曜日、それも土砂降りの雨が降る気温十四度の午後を自転車で走り抜けている。右手には一昨年死んだ祖母が使っていた老人向け携帯電話「らくふぉん」のストラップを握り、いつ来るかわからない部活の仲間だった同級生たちからの電話を待ったが、携帯電話は一向に振動しないまま一軒また一軒と調達候補リストから花屋が消えていく。早くどうするか決めてくれないと、徒労に終わっても僕には何一つ得はない。

「仕方ない、当日集まるように前日言うか」

 そう割り切ろうとしたが、結局僕は花屋巡りを誰からの連絡もないまま完走することになった。受験に自信があるとはいっても、なぜ部長でもない僕が部長にさせてくれなかった先生のためにこんなきつい仕事をしているのか、そればかりが心の中でどろどろと混濁しては嫌な結論を導く。

『部長が無能だからだ』

 こんなことは言いたくない。本当にそう思う。でも、練習をサボってずっと喋って、挙句の果てに部活内部の不和を招いた部長以外に責めるべき人を僕は知らない。三年生になった僕を評価してくれた新任顧問の藤田先生は、僕の中学生としての三年間で唯一の光となった先生だと思っているから、僕は皆に問いかけた。

「今年は顧問の藤田先生に花束を贈ったりしないんですか?」

 しかし、部内不和は思ったよりも深刻だった。仲間たちは言った。

「部長からは何も聞いてない」「誰かがやるでしょ」

 僕はもう駄目だと思った。そして全員に一人ずつ、「花を買いに行くのか」と聞いてみたが誰も行くとは言わなかった……部長でさえも。

――そういうわけで、僕は花を買いにいくことにしたのだった。

 びしょ濡れの僕の手の中で、携帯電話がぶるると震え、着メロの『世界の車窓から』を奏でる。吹奏楽部でまだ現役だった頃、一度吹いてみたいと思って言い出せなかった曲。新しい伝染病が流行りだしてしまった今は、もう後輩たちも満足に練習すらできないという。

「申し訳ないな」

 そう思いながら、携帯電話を開き通話開始のボタンを押す。

「もしもし、松木です」

「ああもしもし松木?」

 かけてきたのはチューバックスを吹いていた華村さんだった。

「どうしたんですか?」

 僕は質問する。華村さんは僕に真っ先に電話番号を教えてくれた。つまり、一番協力してくれそうな人だ。

「みんなでライングループを作って、松木が手配できなかったらなんとかするってことになったよ。みんな参加してるし、これで人数も増えたね」

 緊張する僕との間に電話を隔てて、華村さんは何でもないことを言うかのように語った。

「ほ、本当ですか?」

「嘘ついても意味ないって。で、花は手配できたの?」

「それが……」

 僕は事情を説明する。

「そう、ありがとう。じゃあ、私たちでなんとか頑張ってみるよ」

 華村さんは少し憐れみのこもったような声で僕をねぎらいながら言った。僕は自分の発言をさらに解説する。

「そうじゃなくて、花屋は全部駄目だったんです」

「そっかあ……じゃあ、今から私たちで造花とかも含めて探してみる」

 華村さんはそう笑いながら言った。僕は慌てて華村さんに、咎めるように尋ねる。

「明日は後期受験ですよね?」

「一番難しい高校を受ける松木に言われてもねえ」

 この人たちは、本気だ。そう確信した。僕はせめてもの良心を込める。

「第一志望に受かるのは最低条件ですよ」

「そうだね、全員第一志望に受かるから」

 華村さんはそう言って少し言葉をつまらせたあと「でも松木、今日平日だよね?」と尋ねた。

「そうですよ」

「あれ、もしかして一人でこの雨の中を駆け回ってたってこと?」

「はい」

「風邪引いちゃ駄目でしょ、すぐに風呂にでも入ったら?」

「わかった、そうします。ありがとうございます!」

「じゃあ明日は頑張ろう。またね」

 華村さんはそう言って、電話を切った。




 受験の結果を待つ間に、卒業式は寂しく挙行された。辛いことをたくさん経験した中学生活が、これで終わる。吹奏楽部の元メンバーたちからの連絡はない。花を渡すタイミングはないのだろうか。そう思った、そのときだった。

「松木、藤田先生に花、渡しに行こうよ」

 華村さんが僕の背後でそう言って、僕の肩を叩いた。部長はきまり悪そうに先ほど渡された箱詰めの造花を持って藤田先生と一定の距離を保っている。

「松木くん、私の代わりに渡してくれない?」

 部長がそう言って僕に箱を渡す。箱の上には「サボンフラワー:石鹸で作ったお花です」の文字。部長が渡すことを考えていた僕は仰天して尋ねた。

「なんで」

「だって松木くんは私よりずっと部長みたいじゃん。これを企画したのも松木くんだし、みんなは松木くんのために動いた。だから、私は松木くんに譲るよ」

 部長はそう言って藤田先生のもとに走り、話しかける。藤田先生が振り向くと、僕は意を決してサボンフラワーを手渡した。

「先生、今までありがとうございました」

 僕の言葉を聞いて、藤田先生は箱を受け取る。そして記念撮影を終えたあと、部長はずっときまり悪そうにしていたが突然口を開いた。

「すみませんでした、藤田先生」

 藤田先生がびっくりした顔で「どうしたの」と聞く。部長は泣きそうになりながら、なんとか言葉を発した。僕が部長に選ばれなかったのが不服だったこと、なんとか部長から降りようとしてわざと悪い態度を取っていたこと。そして結局部長から降りられなくて引退のときにそれを謝ろうとしていたけれど、できなかったこと。そして、最後に僕がリーダーシップを発揮したから救われたということ。

「松木くん、ごめん。でも、ありがとう」

 部長はそう言って、深々と頭を下げたのだった。


――P.S.――

最後に、全員が第一志の高校に受かったことを付け加えておく。

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