*三*

 玉座の間の扉の前でメロディーアと銀花はしばし立ち、いや浮きつくす。

「ひとまず。私の私室へ参りましょう。よろしいでしょうか。」

「ええ。」

 メロディーアに手を引かれながら、銀花は泳ぐ。

 これまでの道中でメロディーアに手を引かれて泳ぐうちに、銀花自身も泳ぎのコツを掴み始めていた。

 足をバタバタさせたり、手で水を掻いたりすれば前に進む。

 しかしそれでもメロディーアのスピードには遠く及ばない。

「泳ぎに慣れてきましたね。」

「なんとなくは、ね。……あれ。」

 銀花はあることに気が付いた。

「どうされました?」

「そういえば。浮いてこないのね、私。この着物を着ていても。」

「キモノ?」

「私が着ているこれのことね。私の居た世界でのはるか昔。争いがあって負けた側は自害するために海に飛び込んだのだけれど。鎧を着ていた男は沈んでしまった。しかし女は、今の私が着ているこの着物みたいに重ね着していて、その重ね着で浮いてしまい沈まなかった。また。私の世界で読み継がれているお話に、二人の男に愛された女がその果てに川に身を投げたけれど死ねずに行き倒れていた、というものもあるわ。私はこの格好で入水なんて初めてだけれどよくよく考えれば浮いてくるはずよね。なぜかしら。」

「……何故でしょうねえ……私も不思議です……。」

「これもこの首飾りの力かしら?」

「いえ……。伝説の文献には〝水の中でも呼吸を可能にし溺れなくなる〟としかございませんでした。もしかするとこの宝物のより正確な力は、着用者を水中の環境に適応させる、というものかもしれません。」

「まあ、そういうことにしておきましょうか。」

 話しながら泳いで進んでいく。

「そういえば。貴女は伝説の文献をもとにこの首飾りを作ったって言ってたわね。『間界の婚姻』ももしかして。王宮の図書室で見聞きしたのではないかしら。」

 銀花の指摘にメロディーアはハッとして答える。

「……! はい。その通りです! 元々、私は書物を読むのが大好きで、王宮の図書室に入り浸っていました。私達セイレーンは、海の中だけにしかいないと思われがちでございますが、実は水が潤沢にさえあればどこででも生きていけるのです。私達は音楽を得意としていて、アトラントに災厄が現れる前はアトラント中を旅して回るバンドやオーケストラが数多くいました。またアトラント中を流れる川や地下水脈を利用し水運を営むセイレーンもいます。そして海の外へ出たセイレーンたちは旅日記や風土記を記し王宮の図書室に納めてくれるのです。私は、数々のそのような書物を次々と読み漁っては海の外へ思いをはせていました! ですが……。先ほども少しお話しましたが、災厄が現れて以降、私は王宮から出ることを禁じられました。世が世であれば、私はとうに海から出ることを許されているはずでございました。しかし……私の一五の誕生日。その日に災厄はこの海を襲い、クレッシェンドお姉様とデクレッシェンドお姉様は……!」

 つまり。メロディーアの一五の誕生日は、二人の姉の命日となったのだ。

「……その先はもういい。」

 銀花はメロディーアを気遣う。繋いでいるメロディーアの手を強く握る。

 水の中であるここでは涙はすぐに溶けてしまうが、この海にはどれほどのメロディーアの涙が溶けているのだろう。

 銀花はさらに思考を巡らせる。

 ―― このメロディーアは、王位継承者として気丈に振舞っている。しかしそれはただの強がりで本当は、王位継承から最も遠かったはずの、甘やかされ可愛がられて生きてきた末妹のままなのだろう。

 勝手に行った『間界の婚姻』も、おそらくは次期女王として国と民を守らねばという思いから、図書室で見つけた僅かな希望に縋るために執り行ったのではなかろうか。

 きっと。もう弱い自分は誰にも見せられない。自分は強くあらねばならない。次代の女王として。

 そんな状況では誰にも本音や弱音なんて見せられないのだろう。

 女王たる母親には、特に。

 この孤独な姫君の傍にいてやれるのは、異世界からの訪問者よそ者である私だけなのかもしれない。 ――

 泳ぎに慣れずゆっくりとしか進めない銀花に合わせ、ゆっくりと泳ぐメロディーアの横顔を、銀花は慈しむように見つめた。

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