第34話 止まった時間

 キャンプ・デービッド山荘を破壊したのはサンリーハムの魔法であり、ハイエンベスタのランドリオ皇帝はそれに果敢かかんに立ち向かった。あの場にいた副大統領を始めとする政府およびメディアの関係者の脳にはそういった内容の記憶を刷り込んである。そのはずだ。


 にもかかわらず、反応がかんばしくない。サンリーハムを非難し攻撃する論調がアメリカ政府からもメディアからも出て来ないのだ。もちろんその程度でハイエンベスタが窮地きゅうちに立たされる訳ではないが、想定外の事態であることは間違いない。


 サクシエルは実情を把握すべく国務省に出向き、またメディアとも接触したところ、そこで驚くべき声を聞いた。アメリカ政府はキャンプ・デービッドで起きたことがハイエンベスタに責任があると認識し、それを報じようとするメディアに圧力をかけているという。


「それで」


 闇と静寂が支配するハイエンベスタの玉座の間。物憂げに頬杖をつくランドリオ皇帝の問いに、サクシエルは一度うなずきこう答えた。


「現場にいたと思われる関係者数名の記憶を探ってみたところ、別の記憶が挿入された痕跡が見つかりました」


「つまり」


「はい、我々が記憶の改竄かいざんを行った後に、別の記憶で上書きした者がいます」


 皇帝の口元に小さな笑みが浮かんだ。


「目には目を、か」


「いかが致しましょう」


 たずねたサクシエルに、皇帝は不思議そうな顔を見せた。


「どうもしないけど」


「放置、でございますか」


「いまから記憶を改竄し直しても、矛盾点が増えるばかりだろう。実りの少ない行為に労力を割くのは無意味だよ」


――あなたは一人、意味に縛られて沈んで行けばいい


 そんな言葉が脳裏をよぎる。それは一瞬の隙だったのか。


「皇帝陛下!」


 動揺するサクシエルに異変を見て取ったランドリオは第六感を解放し、敵の襲来を知った。


 そこに闇の中から現れるヒュードル。


「物見よりの報告、敵の数およそ百。騎兵三十に鉄騎兵三十とのこと」


 しかしこの報告が納得行かないサクシエルはヒュードルに詰め寄る。


「百の兵だと。馬鹿な! そんな数をどうやって」


「うろたえるな、方法などどうでもいい」


 恐縮するサクシエルを横目に、ランドリオはヒュードルへ命じた。


「出せるだけの歩兵竜を放て。鎧はなくても構わない」


「はっ」




 気の遠くなるほど昔の話。ハイエンベスタがあった世界の人々は、精霊との契約によって得られる魔法に限界を感じていた。確かに時折大きな力を発揮する者も現れるものの、精霊との契約それ自体が限られた地位と血統にのみ許されていた彼の地では、より効率的な大能力者の誕生が求められていた。


 そこで発達したのが魔法ベースの医療工学。簡単に行ってしまえば妖精、エルフ、人狼などといった人外の存在のもつ能力を人間に取り込み、固定させ、超人の家系を創り出すことを目指したのだ。この荒唐こうとう無稽むけいな計画も、長い時間を経た末にやがて実を結び始めた。


 そしていまから五百年ほど前、計画は技術的頂点を迎える。


 とうとう王家から、万能の大能力者が誕生したのだ。しかも双子だった。だが二人の能力差は大きく、人格にも差が出たため、王家はどちらを跡継ぎとするかで迷い骨肉の争いを展開した。


 弟ランドリオは帝王の資質を持ち、強大な念動力、不老不死に近い肉体、竜に変身する力などを手に入れた。


 これに対して兄シアラリオには長寿以外に目立った能力は与えられなかった。ただし、後に回廊管理者としての能力が発現したのはこのシアラリオであった。


 ランドリオ派はシアラリオ派に弾圧を加え、王宮から一掃。シアラリオを監獄に幽閉してランドリオを皇帝へと祭り上げた。魔竜皇国ハイエンベスタの誕生である。しかしハイエンベスタ成立からも粛正は続き、国家の中心を占めるのは人間と人外を掛け合わせた、人の姿をした人ならざる存在にのみ許された。ただの人間はもはや精霊と契約することすらできず、労働力として生きるしかなかった。




「ランドリオは強く優秀だ。だが時間が止まっている。この五百年で五百年分の進歩ができなかった」


 牢獄の中で老人は言う。


「五百年分の知識を得ながら、五百年前の感覚でしか世界を見ることができない。こんな場所にいてはハイエンベスタの実情などわからないが、おそらくは衰退しているのだろう。どれだけ技術が発展したとしても、それだけで国は栄えないからね」


「ランドリオ皇帝を止める手立てはないのでしょうか」


 たずねるリリアに老人は首を振った。


「ランドリオは狂って暴走している訳ではない。冷静かつ理性的に、彼の常識と良識に基づいて判断し行動している。ただすべての基準が五百年前のものであるに過ぎない。彼を止めたいのなら、彼の基準で敗北させる以外にないだろう」


 そのとき、何かを強く叩く音が牢獄に響いた。老人は顔を上げる。


「地鳴りかな。それにしては妙な音だが」


「違います」


 振り仰ぐリリアの目が輝く。


「来ました」




 三十台のバックホーのうち五台には、アームの先端にバケットに代えて掘削用の油圧ブレーカーが取り付けてある。五台のバックホーはみるみるうちに穴を広げ、他のバックホーが土砂を掻き出す。そこに襲いかかる歩兵竜は一平太の青い二十トンクラスバックホー、弁天松スペシャル四号機に次々と打ち倒された。


 運転席の一平太は、抱っこひもで胸に留美を抱えている。


「留美、お化け怖ないか」


 留美は真剣な顔で一平太を見上げていた。


「一平太ちゃん、怖い?」


「俺はちょっと怖いかな」


「留美、全然怖ないで」


「そうか、留美は強いもんな」


 左側から咆吼を上げながら突進してくる鎧なしのティラノサウルスに、一平太はクローラーを回しながら胴体を回転させ、斜め下から顎を打ち抜くような一撃を加えた。崩れ落ちる巨竜を見つめることなく、一平太の目は次の敵を探す。


 と、穴の縁をのぞき込んでいた保岡大阪府知事が、何やら指さし叫んでいる。内容は騒音で聞こえないが、いまさら問い返すまでもない。一平太はアームを高く振り上げると、バックホーを穴に近づけ、その真ん中にバケットを叩き付けた。穴の底は砕け散り、その下に空間が広がっている。


 そこに集まるのはレオミス率いる白銀の剣士団。


「白銀の剣士団、突入!」


 レオミスの号令一下、剣士団三十余名は何が待つとも知れぬ暗闇の中に飛び込んだ。




「どういうことだ」


 目の前の四方神の緊張など知らぬように玉座の皇帝ランドリオはつぶやいた。


「何故ヤツらが監獄の場所を知っている」


「恐れながら申し上げます。陛下、精霊の持つ能力は多種多様、中には場所を特定する能力に長けた精霊もおるのやも知れません」


 サクシエルの言葉に、ランドリオは物憂げな視線を向ける。


「つまりそこに思い至らず、リリアを連れてきた私が間抜けだったと」


「い、いえ決してそのような!」


 慌てるサクシエルに小さな笑みを向け、ランドリオは立ち上がった。


「まあ、いずれここにも来るだろう。四方神は一丸となって敵の中枢を砕け。決して一人で対応してはならない。私は聖廟せいびょうで吉報を待つ」

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