第32話 生き抜くために
一平太の腕の中で留美は寝息を立てている。あの炎は本当に姉夫妻だったのか。直感で判断するなら間違いない。だが、それは一体何故なのか、どうしてこんな事になってしまったのかについてはまるでわからない。
「どういうことなんや、いったい」
つぶやく一平太に返ってきたのは聞き慣れた声。
「話はさして難しくない」
目をやれば、すぐそこに保岡大阪府知事が立っていた。その肩には大地の精霊王の使者コウの姿が。
「この世界で人が死ねば、魂の行く先は一つしかない。無だ。他の選択肢は事実上与えられていない。だがサンリーハムがあった世界では違う。彼の地で死んだ人間の魂には二つの選択肢が与えられる。それは無に帰るか、もしくは精霊として第二の生涯を送るかだ」
保岡の背後にはゼバーマンがうなだれていた。レオミスも、サーマインも。
「お主と契約したシャラレドも、レオミスのリュッテも、ゼバーマンのカーリマグーもみんなかつては人間として一生を送り、死後精霊に転じた。何故それが可能だったかと言えば、彼の地の人間は精霊という存在が何者であるか、生前に理解していたからだ」
しかし、リリア王の姿がない。
「この地に暮らす人間は基本的に精霊を知らんし、まして理解などできるはずもない。だから死後の選択肢は無に帰る以外ない訳だ。ところがおまえの姉夫婦は違った。精霊を知り、それを研究し、この世界の人間としてあるまじきほどに理解した。だから死の際に選択肢を得たのだよ」
「はあ」
姉夫婦が留美を護っていた理屈は何となくわかった。が、いまはそれどころではない気がする。一平太は心臓が早鐘のように鳴るのを抑えられなかった。
「あの、リリア王は」
突然ゼバーマンが膝を屈した。そしてうなだれた顔を上げられぬまま声を絞り出す。
「すまん、イッペイタ。すまん」
「……え?」
困惑する一平太に告げるレオミスの声も震えていた。
「護りきれなかった」
「護り……きれ……まさかリリア王をか?」
愕然とする一平太に、最終回答を通告したのはサーマイン。
「ええ、まさにその通り。リリア王が奪われたのです。あのハイエンベスタ皇帝ランドリオによって」
彼らが話す内容をまとめるとこうである。赤いバックホーが姿を消して、巨大な濃紺のワイバーンはリリア王を喰らうべく襲いかかってきた。
しかし実体を持つ相手に対してはサーマインの見えない刃が効果を見せる。いや、実際効果はあったのだ。ただ、相手を三つに切り分ければ三体のワイバーンに、十二に切り分ければ十二体の小さなワイバーンになってしまう。
小型化したワイバーンはレオミスとゼバーマンにも倒せる相手ではあったが、いかんせん数が多い。やがて隙を突かれ、サクシエルの催眠にかかってしまったリリア王は、そのまま転移させられた。
「笑いたくば笑いなさい。情けない、本当に情けない!」
笑う気にはもちろんならない。一平太は心底悔しげなサーマインを気遣った。
「けど、諦めるんはまだ早ないか。連れ去ったっていうことは、それなりの理由があるんやろし」
「そんなことはわかっています! しかし敵の皇宮の場所がわからないのにどうしろと。私たちだけでハイエンベスタを隅から隅までほじくり返せとでも言う気ですか」
にらみつけるサーマインに、一平太はキョトンとした顔を向けた。
「いや、皇宮の場所はわかってるんやないかな」
「え?」
一平太は保岡の肩の上にいるコウを見つめた。
「わかってるんよな?」
「そうだな、まあ場所の見当はついた」
これに勢いよく顔を上げたのはゼバーマン。
「何だと! だったら何故!」
コウは呆れた顔で言う。
「何故もクソもあるか。いまのお主たちの状態で敵地に乗り込んで行って何ができる。死人を無駄に増やすだけで、リリアは取り戻せぬぞ」
そしてサーマインにこう告げたのだ。
「突撃は明日の夜だ。それまでに体を休め傷を癒やし、突撃部隊の人選を済ませておけ。ああそうそう」
コウは再び一平太へと向き直った。
「明日の突撃には留美も連れて行け」
これには一平太は冷静でいられない。
「ちょっと待て! 留美をどうするつもりや」
「どうもこうもない。この戦いでお主が死んだら、留美は再び親なし子になってしまうのだが、それで構わないと考えているのか」
「そんなこと、それは、そやけどあんまりにも」
「お主のバックホーに留美を護る精霊の力があれば、鬼に金棒であろうが。それともそこまでしてリリア王を助けたくない理由でもあるのかな」
「ある訳ないやろそんなもん!」
「では決まりだ」
そう言うとコウはサーマインたちを、そして蒼玉の鉄騎兵団の団員たちを、応援として駆けつけてきた黒曜の騎士団員と白銀の剣士団員たちを見回した。
「突入部隊は最大百名。馬は三十騎、バックホーは三十台まで。跳躍術士に余が力を貸したとしても、それが限界だろう。これは決死隊となる。自信がない者は事前に上長に申し出るように。逃げることは恥ではない。生き残ってサンリーハムを支えることもまた戦いである。諸君らの健闘を祈る」
新しく決まったばかりで、まだ数日しか暮らしていない部屋。昼になっても一平太は起き上がれなかった。先に起きた留美が一平太の胸をパンパンと叩く。
「一平太ちゃん、まだ起きへんの?」
「今日はゆっくりしてええ日やねん」
その言葉は正しくなかった。一平太は蒼玉の鉄騎兵団長として、夕刻までに部下三十名を突撃部隊に選抜しなくてはならない。それを考えると死にたくなるほど気が重い。ましてコウは留美を連れて行けと言うのだ。二重に重い最悪の気分である。
「でも留美、お腹すいた」
「そうか。ほなご飯だけ食べるか」
一平太が重い体を何とか起こしたとき、玄関ドアの向こうから声がした。いまごろいったい誰だろう。開けてみれば、立っていたのは。
「レオミス、どうしたんや」
するとレオミスは何やら良い匂いのする紙袋をかざした。
「出来合いの物を買ってきた。どうせ料理をする気力もないだろうと思ってな」
そう言って微笑む顔は、いまの一平太には
紙袋の中身は肉の揚げ物と魚の揚げ物、そして野菜の揚げ物だった。
「何を買えばいいのかよくわからなかったので適当に選んだのだが、問題はないか」
買い物自体初体験でもおかしくないレオミスである、本当によくわからなかったに違いない。バランス云々言うのは酷だろう。
「問題は特にないと思うよ。朝飯も食べてないし、腹具合を考えたらちょうどええんやないかな」
二人で皿に揚げ物を盛り付けて行く。そこで一平太は気になっていたことをたずねた。
「なあ、レオミスは買い物とか食事のときもずっとその白い鎧着てるんか」
「ああ、そうだな。剣士団長は常在戦場、いつでも戦える状態に身を置いている」
「へえ。心構えが違うんやなあ。でも普段着のレオミスとかちょっと見てみたいけど」
これを聞いて、何故かレオミスは顔が真っ赤になってしまった。
「ふぇえ?」
「どないした。何か顔赤いぞ」
「い、いや何でもない。何でもないっ」
食事が終わった頃には、留美がゆらゆら船をこぎ始めている。レオミスがのぞき込んだ。
「そろそろ寝台に移した方が良くないか」
「そうやな」
うなずきながらも、一平太は立ち上がろうとしない。
「レオミスはもう出したんか、突撃部隊の名簿」
「朝一番で提出したよ。団員にも考える時間を与えたいからな」
「俺はあかんなあ。どうしても決められへん」
「そこはおまえに与えられた団だ。おまえの決めたいように決めればいいのではないか」
「俺には責任者としての覚悟が足れへんのかも知れん」
「かも知れない。だが、それは一朝一夕に出来上がるものじゃない。すべては経験だ」
一平太は小さくうなずくと、留美の体を抱えて寝室へと向かった。
昼なお薄暗い森の奥、古く小さな掘っ立て小屋のような家がある。その前に、ゼバーマンがしゃがみ込んでいた。と、ガサガサ草が鳴り後ろに立つ気配。
「こんなところに呼び出して、何の用ですか兄上」
「おまえは気配も殺せないのか」
ゼバーマンの言葉にムッとした顔で返事をせず立っているのはシャミル。一方のゼバーマンも振り返りはしない。
「覚えてるか、俺たちの生まれた家だ。こんな薄汚えオンボロによく住んでられたもんだぜ」
「だから何なんです。昔話をするためにここまで呼んだのですか。私も忙しいのですが」
ゼバーマンは、足下に置いてあった二本の棒を手に取ると立ち上がり、一本をシャミルの顔の辺りに放り投げた。
「受け取れ」
シャミルが不審の表情で受け取ると、ゼバーマンは棒を片手で軽く構えた。
「打って来い」
「兄上、私は」
「いいから打って来い臆病者!」
そう言われてはシャミルもカチンと来る。棒きれを両手で構えて兄に打ちかかった。それをゼバーマンは軽々といなす。
「脇を締めろ! 遅い、考えて振るな! 腕だけで振るな、腰を入れろ腰を! どこを見ている、目付もできんのか! 足下がお留守だぞ、
もうシャミルは汗だくでフラフラだ。息が上がり、足下も
それをしばらく見つめると、ゼバーマンはフンと鼻を鳴らし、棒を放り出した。
「いまのが最後の授業だ。忘れるな」
「……は?」
「おまえはあらゆる能力が低い。生きて行くのも
「あの、兄上」
「達者で暮らせ」
それだけ言い残すとゼバーマンは空へと浮き上がり、王宮の方に飛んで行ってしまった。
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