第27話 赤いバックホー
時刻は深夜。しかし地下都市に暮らすハイエンベスタの住人には、あまりたいした意味はない。草木も眠る丑三つ時などという概念は存在しないのだ。だからだろうか、みすぼらしい格好をした人々が忙しく走り回っているのは。
巨大な体に長い首。体長は二十メートルを超えるブラキオサウルスの全身に、緑色の装甲を取り付ける作業が行われていた。次はこれでサンリーハムの領域内への直接攻撃を狙う。前回ガドラメルの攻撃の際にサンリーハムの結界の強度を測っていたミャーセルが、
このブラキオサウルスで王宮前に直接攻め込み、リリア王を奪取する。無論、サンリーハムは抗議するだろうが、いまの情勢である。「ハイエンベスタを陥れんとするサンリーハム側の偽旗作戦だ」と主張すればアメリカとイギリスがこちらの擁護に回るだろう。
昼間の米英使節団との会談は、
もちろん、この竜の生産・調整施設は使節団には見せていないし、今後も見せるつもりはない。アメリカやイギリスも、得るべきを得れば用なしとなる。『回廊』を完全に掌握した暁には、有用な技術だけを残して他は廃棄すればいい。それだけのことだ。
作業の進展を見守っていたサクシエルは、満足そうな笑みを浮かべて背を向けた。日本時間の深夜、闇の中で行われる破壊活動を想像すると心が躍る。襲撃はミャーセルに、リリア王奪取はヒュードルに任せるとしよう。今夜は楽しみで眠れそうにないな。そんな子供じみた思いがサクシエルの心に浮かんだとき。
突然、地鳴りがした。ブラキオサウルスが暴れでもしたのかと施設に戻ったサクシエルが見たモノは。
作業場の奥に土煙と共に姿を現した、鮮血を思わせる色の真っ赤な大型バックホー。大型と言ってもブラキオサウルスの全長と比較すれば半分ほどの大きさしかないが、その長い鋼鉄の腕と巨大なバケットは凶悪。先端の爪で施設の中身を片っ端から破壊していた。
サクシエルは叫んだ。
「何をしている! 敵を捕らえて破壊せよ!」
抗魔法鎧の装着もまだ半分程度のブラキオサウルスが、バックホーに突進した。すると相手はクローラーで回転しながらボディを回し、鋼鉄の腕を跳ね上げるように伸ばす。アームの先端のバケットがブラキオサウルスの顔面に見事ヒットした。この一撃であえなくノックダウンされた巨竜は大きな地響きを立てて倒れ込む。
あのバックホーの動き、もしや根木一平太か。いったいどうやって結界を突破し、ここに侵入したのだ。疑問は尽きないが、いまはそれどころではない。
「ミャーセル! ガドラメル! ヒュードル!」
名を呼ばれた三人の四方神は、何もない空間から姿を現すとバックホーを取り囲む。だが嵐のように暴れ回る赤いバックホーに圧倒されて直接的な手出しができない。
「これ、どうするにゃ~」
困り顔のミャーセルに、ヒュードルがうなずいた。
「まず動きを止めよう。ガドラメル」
緑の肌の巨漢は忌々しげに右手の平を前に向けると、「ハッ!」と息を吐いた。その瞬間、バックホーのボディ周りを水の玉が包み、それは直後に凍り付く。しかしバックホーはまだ動きを止めようとはしない。アームがガタガタと動き、氷を割ろうとする。
ヒュードルは続けて言った。
「ミャーセル、中の人間を殺せ」
「あ~いにゃ~ん」
ネコ耳娘は手にした長いムチを振るい、バックホーの真っ赤なアームに巻き付けた。
「ではおしまいにゃ~ん」
ミャーセルの体が輝き、高圧電流が数秒間バックホーを襲った。仮にバックホーに精霊の加護があったところで、これでは運転手は消し炭となっただろう。やれやれ一安心、そんな顔を三名が見合わせたとき。
赤いバックホーはボディを回転させ、氷を一気に打ち砕いた。そしてそのままの勢いで三名に襲いかかってくる。しなるアームは先端のバケットでガドラメルを打ち払い、返す刀でミャーセルを叩き落とす。さらにはヒュードルに突っ込んできたところを、有翼鳥頭の魔人は迎え撃った。
「
猛烈な圧力の空気がバックホーにのしかかる。バックホーだけではない。その周囲に逃げた高圧の空気は施設の壁を破壊し、機器類は木の葉のように散り舞った。被害を出しながらも何とか敵の動きを止めた形だが、やはり精霊の加護を受けているのだろう、バックホー本体は破壊されない。
「ガドラメル、中の人間を引きずり出してくれ」
もうこうなってはバックホーと動かす人間を切り離すしかない。強大な空気圧の中、駆け寄ったガドラメルが黒塗りされたバックホーの運転席のドアを開くと。
「おい、誰もいないぞ!」
そう叫んだと同時に真っ赤なバックホーは動きを止め、さらには空気圧に負けたようにグニャリとひしゃげた。潰れた。そしてまるで砂でできていたかのように崩れ去り、完全に姿を消し去ってしまった。
「何だったんだ、いまのは」
ヒュードルが思わずつぶやいたのも無理はない。竜の生産・調整施設はこの一件で壊滅的な打撃を受けた。もちろん施設はここ一つではないので大局に影響はないが、四方神は心理的にある種のトラウマを刻まれている。敵はいかなる手段を用いてここを攻撃したのか。今後もこの攻撃があるのか。どの程度の精度でこちらの策を見通しているのか。
ハイエンベスタがこの世界に姿を現さなければこの攻撃もなかったのだろうが、いまさら尻尾を巻いて逃げ出す訳には行かない。あと少し。あと少しでハイエンベスタは次元回廊の支配者になれる。我らが皇帝陛下の御前に三つの世界が膝を折るのだ。ここまで来て後退するなどあり得るものか。改めて確認するまでもない、それはサクシエルを始めとする四方神全員の統一された意思。
この屈辱は必ず晴らす。だがいまはジタバタしても始まるまい。サンリーハム側に何か変化が起きたからこその今回の攻撃。まずは守りを固め次の出方を見るのだ。
サンリーハムとハイエンベスタの時差は十三時間、こちらはまだ昼間。
「ごくろうだったな」
いつも訓練に使っている広場で、保岡府知事の肩に乗る赤いマスコット、コウの声に一平太はバックホーから降りた。青いバックホー、弁天松スペシャル三・〇二号機からである。その顔は困惑していた。
コウはたずねる。
「どうだったな、自分の影を飛ばした感想は」
「すんごい変な気分。何か頭がふわふわしてる」
一平太は額を押さえて苦笑いを浮かべた。しかしコウは笑う。
「その割に気持ちいいくらいの大暴れだったがな。この攻撃はハイエンベスタにはまったくの想定外だったろう。こちらに敵本土を直接攻撃する能力があるとわかったのだ、向こうも今後はイロイロと慎重にならざるを得まい」
そういうものなのだろうか。一平太にはよくわからなかったが、先々のことが少し心配になった彼は首をかしげた。
「でもええんですか、精霊王の使者がサンリーハムの味方になっても」
これにコウは鼻をフンと鳴らせた。
「もしハイエンベスタが海洋の精霊王から直接の指示を受けてこの戦争を始めたのならさすがに余もヤバいだろうが、おそらくそんな訳はないからな。これは精霊王から見れば三つの世界の住人間でのいざこざに過ぎん。余が力を貸すとか貸さぬとかは枝葉末節の話なのだ」
だがこの答えに一平太は不満げだ。
「でもそれやったらいざこざが起きへんように精霊王が注意してくれてもええんやないんですか」
「言いたいことはわかる。だが、人間が足下のアリの都合をどれだけ考えて行動するかね。人間が人間の都合でしか動かぬように、精霊王も精霊王の都合でしか動かんのだよ」
精霊王から見た人間が、人間から見たアリだと言われて少々ムッとしたものの、とりあえずの理屈は体感的に理解できた。
「ほんなら次はどうするんです」
一平太の問いにコウはふうむと考え込む。
「皇宮の位置を探らねばならん」
「こーぐう?」
「魔竜皇国ハイエンベスタの王宮、皇帝がいるはずの場所だ」
「ああ、なるほど」
「ハイエンベスタの行動が皇帝の指示によるものなら、皇帝を説得すれば問題は解決する可能性もある」
問題は元から絶つという考え方である。確かに、それができるのなら一番手っ取り早い。
「その場所がわかれへんのですか」
「先般のアメリカ・イギリス使節団が皇宮に
「そんなことできるんや」
「場所に関する記憶がゴッソリ消えておったよ。偶然などではあるまい。まったく用意周到な」
「そしたら打つ手なしかあ」
残念そうな一平太に、コウはしばし考えるとこう言った。
「何一つまるで打つ手なしという訳ではないのだがな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます