第28話 首脳会談

「げーんこーつやまのー、たぬきさんー」


 留美はまだ治療所にいた。体はもうほぼ異常なしなのだが、いま大阪のマンションに戻る訳にも行かない。つまりサンリーハム内に住居を構える必要がある。しかしいかに竜殺しの英雄で三兵団長の一角を担う一平太とはいえ、その日のうちに住居を見つけるのは難しかった。だからシャミルたちが走り回っている間、留美と一平太は治療所で暮らしているのだ。


 留美の目の前にはレオミスがいる。留美の世話をしているというよりは、手遊びの仕方を教わっているという方が正しい。


 レオミスの生家は裕福な貴族で代々剣士として王宮に仕えてきたが、地位は低かった。そこに生まれた宝玉の如く魔法の才能に満ちたレオミスには精霊との契約前から厳格な英才教育が与えられ、精霊リュッテとの契約からは瞬く間に出世の階段を駆け上り、周囲の期待に応えてこの若さで剣士団長の位に就いたのだ。


 それを後悔してはいない。誇りに思いこそすれ悲しいとも思っていない。ただ、子供として子供らしい遊びをした記憶がまるでないレオミスにとって、留美と接するのは新たな知見を得ることの連続だった。げんこつ山が何でたぬきが何なのかは知らない。ジャンケンはかろうじて理解したが、まだ勝ち負けの判断に戸惑う。それでもこの単純な手遊びが自分の心の奥底にある小さな傷を埋めてくれるのを感じていた。


「だっこしておんぶしてまたあした!」


 ジャンケンでは留美の三連勝である。大喜びの留美を見ているとレオミスの顔にも笑みが湧き出てくる。何と暖かで幸福な敗北だろう。自分が勝負事に負けて笑う日が来るなど、かつては想像もできなかった。


 と、そこへ。


「何や留美、また勝ったんか」


 背後から一平太の声が聞こえた。いつの間に、まったく気付かなかった。剣士として不覚、と思う気持ちより先に顔に血が上ってしまう。何故だ。


「あ、一平太ちゃん!」


 留美は駆け寄り、一平太の脚に抱きつく。


「お仕事終わったん?」


「まだ終われへんねん。もうちょっと我慢してくれな」


「ええよ、別に。お姉ちゃんと遊ぶから」


 そう言いつつちょっとむくれる留美に、一平太は頭をかいた。


「いやあ、それがな、お姉ちゃんも仕事やねん」


「ええーっ」


 今度は本格的にむくれてしまう。


「悪い、ホンマごめん。ちゃんと晩ご飯までに戻ってこれるようにするから、一人で留守番しといて。な」


 口を尖らせ不審の目で見つめる留美に、一平太は手を合わせた。これにため息を返す留美四歳。


「しゃあないなあ、もう。ちゃんとケガせんと帰ってきてよ」


「わかってるって。『ご安全に』やもんな」


「そうやで。『ご安全に』やで」


 一平太とレオミスは留美に手を振りつつ背を向けた。一平太が小声で伝える。


「正装はええから貴賓室に集まるようにって、コウさんが」


「わかった」


「……大丈夫か? えらい顔赤いけど」


「う、うるさいっ。何でもないっ」


 レオミスは一人でズンズン歩き去って行く。一平太は首をかしげながら後を追った。




「認められる訳がないでしょう、そんなこと!」


 貴賓室に響き渡るのは摂政サーマインの声。その剣幕に圧倒されて一平太もレオミスもゼバーマンも言葉が出ない。


「とは言え、だ」


 リリア王の向かって左側、保岡大阪府知事の肩の上でコウは言う。


「ハイエンベスタの皇宮の位置がわからんのでは、こちらが有利に立ち回ることはできぬ。そのためにリリア王から首脳会談を持ちかけるというのは極めて合理的ではないか」


「だからといって王にハイエンベスタに赴けなどと、そんな恐ろしいことがよく言えたものですね」


 相手が精霊王の使者であることなど忘れ去ったかのように、サーマインは怒りを露わにしていた。対してコウは平然としている。


「しかしな、リリア王はこのサンリーハムの最高責任者であろう。責任者は責任を取るために存在するのではないか」


「そんなあざとい小理屈など知ったことですか! この国の王は国家の中心にして象徴、国家を護るとは王を護ることなのです。その王を戦争の最前線に連れ出すなんてサンリーハムに滅べと言うに等しい。到底受け入れられるものではありません」


「だが何もしなければサンリーハムは確実に滅ぶぞ。それはお主もわかっておるのだろう」


 図星だった。サーマインは悔しげな顔に怒りを浮かべながらも何も言えない。だがその怒りは驚愕に変わる。リリア王の一言で。


「私は、ハイエンベスタに参りたいと思います」


 これに激しくかぶりを振るサーマイン。


「なりません! なりませんぞ王よ!」


「静かになさい、サーマイン」


 覚悟を秘めた王の言葉に、サーマインは絶句するしかない。リリア王はコウを見た。


「私は死にに行く訳ではないのですよね」


「もちろんだ。黒曜の騎士団長と白銀の剣士団長を護衛に付ける」


 そしてコウはイタズラっぽく、ちょっと不満そうな顔の一平太に目をやると言った。


「蒼玉の鉄騎兵団長にはサンリーハムで留守番を頼むが、いざというときには働いてもらうのでそのつもりで」


 コウは再びリリア王に向き直るとたずねた。


「これでは不安かね」


「いいえ。安心です」


 笑顔のリリアに不安は見えない。けれど、そんな訳はないのだ。十二歳の女の子が気丈に振る舞い己を抑えて周囲の家臣のために微笑んでいる。その健気さがわかるが故にサーマインは断固反対の立場なのだが、同時に王の気持ちが誰よりわかっているのもサーマインだった。


「サーマイン」


 王は言う。


「私はもう兵も国民も、誰も死なせたくないのです。どうか、力を貸してください」


 いまのリリア王にそう請われて、いったい誰が断れよう。サーマインは敗北を受け入れるしかなかった。まったく。半年と少し前、玉座に着くことにすら怯えていたあのか弱い女の子が、よくもまあここまで強くなったものだ。まさに立場は人を作るということだろうか。


 サーマインは頭を下げた。


「……御意のままに」




 その提案は日本時間の夜二十一時、ハイエンベスタ時間の朝八時に外交ルートを通じて伝えられた。具体的にはサンリーハムから日本政府へ、日本政府からアメリカとイギリス両政府へ、そして米英両政府からハイエンベスタへと伝わったのだ。


 サンリーハム王がハイエンベスタ皇帝との首脳会談を望んでいる。


 この情報が表に出て来たとき、否定的に報じるメディアはどこの国にもなかった。まさかこうも真正面から来るとは想定外だったハイエンベスタ側は、動揺を悟られぬよう即座に歓迎の意を表した。


 ただし、会談場所はアメリカ国内を希望する。サンリーハム・ハイエンベスタ両国にとって安全な場所を提示した、という建前だったが、ハイエンベスタがサンリーハムの代表団を国内に入れたくないのは明白である。


「さて、これはどう受け止めたものか」


 大地の精霊王の使者コウは、保岡大阪府知事の肩で腕を組む。そして己が依代である保岡にたずねた。


「ハイエンベスタ側の狙いは何だと思う」


「えっ、そりゃ皇宮の位置を知られたくないんじゃないですか」


 大阪府知事室の机でPCを操作しながら保岡は答えた。自分が知事室を留守にしている間に溜まった仕事を片付けているのだ。これは徹夜しなきゃ無理かなあ、思わずため息が出る。


「しかしこちらが提案しているのは首脳会談だ。これに応じてハイエンベスタ側から皇帝が出てくるのなら、皇宮の位置など二の次だろう」


 コウが疑問を呈するが、保岡は眠い目を擦りながらキーボードを叩いている。


「でもその皇帝が本物である保証はどこにもありませんし、皇宮の地下に何か秘密でもあれば、それが皇帝の命より優先されることもあり得るんじゃ」


「ふむ、なるほど。お主と話していると面白いな」


「こっちは面白くないですよ。ちょっと静かにしててくれませんかね」


 保岡は愚痴るしかなかった。

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