第25話 精霊王の使者

 峨々ががたる巨大な峰が音を立てて海中から浮上したものの、周囲に津波が生じたという記録はない。縁辺えんぺんをグルリと荒涼たる岩山が囲んだ直径三十キロほどの平地に建物の影はなく、まして人の姿をや。


 指定された座標に軍の大型ヘリコプターで降りた米英の使節団は、不安げな表情で何もない周りを見回した。土は乾き、潮の香りすらない。


 と、一人の兵士が警戒の声を上げた。いま自分たちの立っている地面が、周囲と切り離されて沈んでいる。代表団をヘリコプターごと地下へと誘うそれが巨大なエレベーターであることに気付くには、数秒を要した。


 しかしこのエレベーターには機械の動作音がしない。いかなる原理とシステムによって動いているのだろう。これが皇国ハイエンベスタの魔法技術の一端を示すものなのか。使節団の面々は当初口々に語っていたが、やがてその言葉もなくなりただ唖然と見上げるばかり。


 そこには摩天楼まてんろうと呼ぶべき無数の高層建築が立ち並んでいた。もちろんただの高層建築群ならば彼らは見飽きるほど見ている。しかし地下に生える――建設したとはどうしても見えなかった――有機的デザインのビルの群れは、一本一本が巨大な柱として天井である地表を支えているのだ。その合間を縫うように走る何本ものハイウェイ。それはまさに壮観だった。


 エレベーターが最下層に到着すると、黒いシンプルなロングドレスを着た若い女が一人、灰色のフードで顔の見えない子供たちを七人従えて使節団を待っていた。七人の子供たちは手に手に松明たいまつをかざしている。黒い炎を発する松明を。


 その向こうには宙に浮く台が三つ。台としか表現のしようがない。あえて別の言い方をすれば分厚い板か。上には豪華な椅子が並んでいたが、椅子と台とのつなぎ目はどこにも見えなかった。一体成形なのかも知れない。


 ドレスの女は言う。


「皆様、遠いところをお疲れ様でした。どうぞこちらのホロにお乗りください。ご希望でございましたらお荷物もお預かり致しますが、おそらくは他人に預けられない物もおありでしょう。ホロには余裕をもって席を用意致しておりますのでご自由に利用なさってくださいませ」


 荷物を抱えた使節団員はホッとした顔で女がホロと呼んだ宙に浮く台へと乗り込んだ。ホロはピクリとも揺れることなく使節団を収容し、その前後に顔の見えない子供が付いた。どうやら運転手ということらしい。


 ドレスの女は子供一人と手をつなぐと、ホロの列の先頭に立った。


「それでは皆様、皇宮こうぐうへとご案内致します」


 そう言うと、女は音もなく道路を滑り出す。三台のホロもそれに続いた。三車線分ほど幅のある、白線など書かれていない道路を高速で進む。しかしホロの乗客たちには放り出される不安感などまるでなかった。


 他に道路を走るホロを見かけないのは交通規制がされているのだろう。彼らの世界ではお決まりの報道陣を見かけないのは文化や歴史の違いか。それにしてもなまりのない流暢りゅうちょうなアメリカ英語を話す女だったな。気になることといえばその程度か。


 使節団の面々は自らの仕事が成功することを露ほども疑っていなかった。自分がいつにも増してやけに楽天的である可能性など脳裏をよぎりもしない。


 サンリーハムとは違い、ハイエンベスタでは使節団の衛兵が銃を持つことは禁じられていないのだが、その衛兵たちすらも銃に手をかけるのを忘れていた。まるで空気中にドラッグでも散布されているかのように、静寂の中をハッピーな気持ちで駆け抜けて行く使節団。あたかもセイレーンの歌に導かれて破滅に向かう船乗りの如く。




 海上に姿を現したハイエンベスタの周辺上空には各国通信社のヘリが飛び、その威容いようを伝えんとはしているのだが、周囲を取り囲む高さ五千メートル級の山々をおいそれとは越えられない。


 単純にヘリコプターという機械の性能面だけを考えれば五千メートル以上の高度を取ることは可能であるものの、山の周囲には雲が湧き乱気流が発生するため安全に越えて内側を撮影するという訳には簡単には行かない。


 ハイエンベスタの地上の様子は、いずれ衛星写真で明らかになることだろう。ならば何もそこまで命がけで報道する必要はない。それは負け惜しみのきらいはあるとは言え、現場の総合的な判断だった。


 そのテレビ映像を執務室で眺めるのはサンリーハムの摂政サーマイン。情報は千里眼から入ってくるにも関わらず中ノ郷に衛星アンテナと受像機を用意させたのは、焦りと苛立ち故だったろうか。


 延々と続く山並みばかりを見てもたいした情報は得られないと思うのだが、サーマインは真剣に画面を見つめ続けていた。


 中ノ郷がつぶやく。


「おそらくはいまごろ、米英の使節団が条約締結のための実務作業に入っていると思われます」


 サーマインは忌々しげなため息をついた。


「繰り言のようになってしまいますが、日本政府とサンリーハムが軍事同盟を結ぶのは難しいのですね」


「現状を踏まえて、ということであればほぼ不可能です。日本にはアメリカを敵に回すような真似はできません」


 申し訳なさそうに中ノ郷はうなずく。サーマインはさらに問いを重ねた。


「中国との同盟は危険であると」


「国家の独立性を保ちたいのであれば、おやめになった方が賢明でしょう」


「インドという大国もあるそうですが」


「インドは基本、中立が国是です。火中の栗を拾うような真似はせんでしょうな」


「EUというのは? 国家共同体と聞きましたが」


「経済面ではEUはかなり大きな存在です。政治もアメリカとは一歩距離を置いている部分もありますが、軍事はNATO頼みですから事実上アメリカの核の傘に護られている立場です。アメリカの要求を突っぱねてサンリーハムに肩入れしてくれるとは思えません」


「他にアメリカと対抗し得る存在はもうないのでしょうか」


「ロシアは大国ですが、すでに国連で拒否権を持っているのと核兵器を保有していることだけの国です。サンリーハムに有利な展開を期待するのは無理でしょう。ASEANやアフリカ連合は単純に力不足、この世界に現れて間もないハイエンベスタがアメリカを狙い撃ちしたのは、敵ながら慧眼けいがんと言わざるを得ません」


 まさに八方ふさがり。戦いの初手で首根っこをつかまれたようなものだ。現実的な対応を考えるのなら、ここは敗北を認め、交渉によってこちらの被害を最小限度に抑えるための根回しを世界各国に始めるべきなのだろう。


 しかしあのとき、風界のヒュードルはリリア王を渡せと言った。いまここから交渉に持ち込んでも、その目的は変わらないのではあるまいか。王はサンリーハムの象徴であり心臓でもある。ハイエンベスタになど渡せるはずがない。それを強要されるのであれば、いっそ全世界を敵に回して戦った方がマシなくらいだ。


 もしそうなるなら先手必勝、まず魔法兵器でアメリカを焼け野原にして……とそこまで考えて、サーマインはそれこそハイエンベスタの思うつぼではないかと気付いた。魔力勝負なら簡単に負けはしない。だが近代兵器との戦いを始めてしまったら、おそらくは泥沼に転げ落ちて行くだろう。戦争に疲弊しきったサンリーハムはリリア王を護ることもできず、敵に差し出すしかなくなる。


 ええい、どうしてこう悪い方向にしか考えられないのか。何か、何か見落としはないのか。この現状を打開する道がないはずはない!


 このとき苛立つサーマインの第六感が反応した。巨大な魔力が近づいている。もの凄い勢いで。どこへ。ここへ。


「いけない、避難を!」


 だがサーマインが叫ぶより、魔力の到達が速かった。目の前に広がる虹色の光芒。その中に立つ人影が一つ。もはや衛兵を呼ぶ余裕はない。自ら叩き伏せてくれよう、とサーマインが身構えたとき。


 中ノ郷が驚きの声を上げた。


「どうされたんですか、知事」


「え?」


 光の中でカップラーメンを手にキョトンとした顔を見せたのは、大阪府の保岡知事。


「中ノ郷……さん。これはいったいどういうことです」


「いや、うかがいたいのはこちらです。ここはサンリーハムの摂政執務室ですよ。何故あなたがここへ」


「何故? 何故……何故でしょう」


 あまりのことに頭がパニックを起こして呆然としている保岡府知事の肩の上、いつの間にか小さなマスコットが乗っていた。赤い着物を着た赤髪のこのマスコットが、何としゃべり出す。


「それは余が説明しよう」


 驚く中ノ郷、そしてサーマイン。これに保岡は困惑した顔で説明する。


「いや、これは単なる私の幻覚で。すぐ消えると思うんですけど」


「だから幻覚ではないと言うとろう。お主もいい加減、現実と向き合わんか」


 マスコットの呆れ調子のツッコみに、口を挟んだのはサーマイン。


「そんなことはどうでもいいのです。いったい何をしにここへ現れたのですか」


「おお、そうであったな」


 小さなマスコットは保岡の肩の上で小さく居住まいをただす。


「余の名前はそうだな、コウとでも呼んでもらおう。大地の精霊王の使者である。ひざまずけとは言わぬが、それなりに敬意を持って取り扱えよ」


「精霊王の使者だと。まさか」


 いぶかしむサーマインに、コウは苦笑を浮かべた。


「何だ。精霊の存在を知り精霊と契約したお主が、精霊王の使者の存在は信じられぬか」


「バガヘム」


 サーマインの呼んだその名は、自らの契約した精霊の名前か。コウは興味深げに顔をのぞき込む。


「どうだ、お主の精霊は何と言っている」


「……本物としか思えぬと」


「それはそうだろう、本物なのだからな」


「しかしどういうことだ。我が王国サンリーハムは天空と海洋と大地の三界の精霊王を奉じているとは言え、この国を支配するのは天空の精霊王のはずだ」


 これにコウは小さくうなずいた。


「その通り。そして魔竜皇国ハイエンベスタは海洋の精霊王の支配地だ」


 この言葉にサーマインは息を呑む。ハイエンベスタが精霊王を奉じるという点でサンリーハムと同じであるなど、これまで考えたことがなかったのだ。


「だが、我々の住む世界にハイエンベスタなどという国家は存在しなかった」


「それはそうだ。そもそも天空と海洋と大地の三界の精霊王は、それぞれ異なる時空に存在してきたものだからな」


 そう言うとコウは小さくため息をついた。


「まったく、ややこしいことが起こっているのだよ、いまは」

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