第24話 依代

 その情報が飛び込んできたのは午前七時。明らかに日本人と日本政府に見せつけんがための時間を選んで世界に向けて公表された。


 映像にはアメリカの大統領とイギリスの首相が並んでいる。日本政府にはまったく寝耳に水だった両国の緊急共同記者会見で、アメリカ大統領はこう言った。


「アメリカおよびイギリスの両政府は、ここに皇国ハイエンベスタとの三国友好条約に署名したことを報告する。この三国はただちに相互安全保障条約を結び、同時にハイエンベスタのNATO加盟を推進する。さらにアメリカが仲介国として、ハイエンベスタとサンリーハム間の和平実現の道を模索する」


 この言葉に大混乱に陥ったのが日本の外務省である。そんな話はこれまでアメリカ側から漏れてこなかったし、そもそもハイエンベスタはこの世界に領土を持っていないはず、どうやって条約を結び、NATO加盟を推進するのだろう。


 だがその問いへの答は会見の中にあった。


「アメリカはニューヨーク沖合の領海内にハイエンベスタを誘致した。将来的にハイエンベスタは軍備を縮小し、同時にアメリカ軍の駐留を受け入れる。NATO基準の武装を配備しつつ、魔法技術はアメリカおよびイギリスに開放することになるだろう」


 しかもイギリス首相までこんなことを世界に言ってのけた。


「ハイエンベスタが望むのは平和国家としてこの世界に受け入れられることであり、サンリーハムとの戦争を継続するつもりはもはやない。正義と人道に基づいた理想的な行動こそがこの世界に生きるために必要な真の力である。サンリーハムにもこれを理解してもらいたい」


 つまり戦争をやめたいのならサンリーハム側が譲歩しろというのである。一方的な侵略を受けたことなどすでに『過去』であり、水に流して未来志向で戦争をやめることに最優先で取り組めと。そのためなら自発的に何でもやれと。


 この会見が広く報じられると、世界中から賛同の声が上がった。それらの声はアメリカとイギリスだけでなく、ハイエンベスタ側の勇気を讃えるものが多かった。一晩にして、いやたった数時間にして、サンリーハムは過去にこだわり戦争を止めようとしないワガママ暴力主義専制国家扱いをされるに至ったのだ。




 釘浦首相は公邸でひっくり返っていた。アメリカとイギリスがハイエンベスタと協力関係を結ぶなど突然だったし想定外だった。しかしもうそうなってしまったものは仕方ない。問題はこれからだ。彼は切り替えだけは早かった。


 今後アメリカは日本に対し「サンリーハムが和平交渉のテーブルに着くよう影響力を行使しろ」と圧力をかけてくるに違いない。これが困る。もの凄く困る。


 そもそもサンリーハムは一方的に攻撃され、全滅の憂き目に遭いそうになったがために逃亡し、大阪上空に現れたという経緯がある。日本政府はこれを理解している。それをここで手のひらを返して和平交渉に参加しろなどとは、まともな神経をしていれば言えるはずがない。


 そこで日本政府が取るべき行動としては、そういった経緯を丁寧に世界各国に説明するという一点に絞る他ないのだが、相手はアメリカとイギリス、国際的発信力でかなうはずがない。「正しいことを主張していればきっと理解してくれる」などといったナイーブさは国際政治の場に存在しない。日本政府がたとえ百万言を費やそうとも「アメリカは違うと言っている」と拒絶されれば終了なのだ。


 それは過去に国際的発信力の強化に努めてこなかった日本政府の自業自得なので、いまここでどうにかできる話ではない。信頼は崩れ去るのは一瞬だが築き上げるには時間がかかるという、新社会人に送る言葉を釘浦首相は思い浮かべていた。


 とにかく、三国の友好条約が実効力を持つのはハイエンベスタが姿を現してからになるだろう。まだ多少は時間がある。いまのうちにサンリーハムと意思の疎通をしておかねばならない。釘浦首相は公用の携帯電話を取り出し、その電話帳の三番目にある名前をタップした。


「……ああ、中ノ郷か。朝から済まない。ニュースは見たね。大至急頼みたいことがあるんだが」




「アメリカとイギリスってどんな国か、ですか」


 朝、王宮からの使者に叩き起こされて摂政サーマインの元に連れて来られた一平太は、いきなりそう問われて困惑した。そもそも一平太は海外旅行すらしたことがない。自分たちの生活にいっぱいいっぱいで、日本の外のことになどほとんど興味を向けなかったのだ。


「とりあえずアメリカはこの世界で一番強い国ですよ。アメリカとイギリスが右って言うたら、世界の半分くらいは右向くんやないですかね」


 極めてぼんやりした見解だが、知らないのだから他に言い様がない。しかしこのぼんやりした見解でもサーマインにはそれなりに重要なようだった。事態を理解していない一平太は首をかしげる。


「何かあったんですか」


 サーマインはアメリカとイギリスがハイエンベスタとの友好条約に署名したことを説明した。ハイエンベスタがいずれ軍事同盟に組み込まれることも。一平太には条約とか同盟などよくわからないが、アメリカとイギリスがハイエンベスタの味方についたことは理解できた。なるほど、これはサンリーハムにとってマズい事態だ。


 サーマインはさらに問う。


「この世界でアメリカに匹敵する国はありますか」


「匹敵、ですか。いまは中国ですかねえ」


「その中国は味方につけていい国だと思いますか」


 一平太はうーんと唸った。別に中国のことに詳しい訳ではないので何となくの印象しか言えない。言えないのだが。


「やめといた方がええんやないですかねえ」


「それは何故」


「いや、ホンマ何となくでしか言われへんのですけど、中国が味方にしてええ国なんやったら、日本政府はとっくに中国の味方になってると思うんです。距離も近いし。アメリカが全面的に正しい国やないことくらいみんな知ってますから、中国を味方にしてええんやったらそうなってるはずなんですよ。でもそうなってないんです、現実は」


 これまたフンワリした見解である。しかしこのフンワリした言葉を聞くサーマインの目は真剣だ。


「それでは蒼玉の鉄騎兵団長イッペイタ・ネギにたずねます。わが王国サンリーハムはこの先どのように進むべきと考えますか」


 これまた難しい問題だが、いまの一平太はサンリーハムに責任ある立場を任される身、避けては通れないのだろう。


「あの、ハイエンベスタがサンリーハムを攻撃する理由って何でしたっけ」


「風界のヒュードルと名乗った者はリリア王の御身を要求しましたが、それが何故かはいまだ不明です」


「まずそこを何とか調べることでしょう。で、その次の段階としては、サンリーハムがどうにかして元の世界に戻る」


 これを聞いてサーマインは小さくため息をついた。


「やはり戻らねばなりませんよね」


「このままこの世界におったら、なぶり殺しにされるかも知れません。戻る方法があるんやったら戻るのがベストやと思います」


「……率直な意見は参考になります。ご苦労様でした」


 サーマインの笑みは、いつになく優しく感じた。




 頭が痛い。保岡大阪府知事は朝から気分が重かった。当たり前だ、今朝いきなり世界の景色が変わり、サンリーハムを追い詰め始めたのだから。


 言うまでもなく、大阪府知事は国政にも外交にも携わる身ではない。世界がサンリーハムをどう思おうが直接的には無関係である。しかし城戸内内閣副首相の手練手管に乗せられて、近畿圏の自治体からのサンリーハムに関連した諸問題を受け付ける一次窓口に大阪府が指定されてしまった。近隣府県知事からの直通電話も日々増えている。おそらく今日はもっと増えるだろう。それを思うと頭をもぎ取りたくなるレベルだった。


 知事室に入ると、他には誰もいない。秘書は各部署との調整および申し送りを行っているはずだ。しんとした部屋で保岡は知事の椅子に座り、大きなため息をついた。机の上には誰が置いたのか、小さなマスコットがある。別にマスコットくらいどうということもないのだが、ド真ん中にあるのはさすがに気になるので脇にどけようとした。


 が、どけられなかった。


 いや、マスコットが勝手にピョコンと立ち上がり、保岡に向かって歩いてきたのだ。


 ああ、心理的な負担が大きすぎるのかな。幻覚まで見えてきた。意外と冷静な自分に驚きつつ保岡が苦笑したとき。


「いまの時代、依代よりしろがのうてな、困るのだ」


 その小さなマスコットがしゃべった。赤い着物を着た赤髪の、三頭身の子供に見える。手のひらに入るくらいのそのマスコットは、保岡の顔を見上げると小さくうなずいた。


「イロイロ足らぬ部分はあるが、お主ほど情勢に明るければまあ良かろう」


「はあ、そうですか」


 思わず返事をしてしまった保岡に、マスコットは笑顔を見せた。


「それではしばらくの間、よろしく頼むぞ」


 マスコットは不意に姿を消した。どこに行ったのだろう。いや、幻覚がどこかに行くはずもない。ようやく頭がマトモに回り始めたのではないか。そう言えば気のせいか、頭の痛みが薄れたような。まあいい、何とか今日も一日乗り切ろう。保岡府知事は自身に気合いを入れた。

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