第23話 和平
「そろそろ和平に舵を切りたいと思います」
サクシエルの言葉に、魔竜皇国ハイエンベスタの他の四方神たちは、目を丸くして愕然としている。
「戦争だけしていても国家は疲弊するだけです。それなりに戦力を消耗し、戦い続けた意味が生まれたのであれば、その時点で戦争は中断して利益を回収する段階に入るべきなのでしょう」
これに激怒したのが水界のガドラメル。先般の戦いで傷ついた左目は眼帯で隠している。
「和平だと、ふざけるな! サンリーハムは壊滅し殲滅し、一人残らず抹殺すべき相手であろうが! ヤツらを許せとでも言う気か! サクシエル、貴様人間の回し者にでもなったか、えぇ!」
「落ち着け、ガドラメル。少し黙りたまえ」
怒り狂う巨漢を抑えたのは有翼鳥面人身の風界のヒュードル。
「とは言え、ガドラメルの怒りはもっともだと思う。我らは現段階で軍事資源の消耗が全体の運営に悪影響を与えるほどには至っていない。そう急いで和平を模索する意味がわからない。さらに言えば、いまサンリーハム側に和平を持ちかけても、相手方が納得しないだろう」
「ええ、まったくそうでしょうね」
さも当然といった風に、サクシエルは平然と微笑んだ。
「それも狙いのうちですので」
「ど~いうことかにゃ~。もちょっと詳しく説明してくれるかにゃ~ん」
疑問を差し挟んだのはミャーセル。これにサクシエルは小さくうなずいた。
「和平という美辞麗句を武器として、サンリーハムを追い詰めます。正義だ平和だ人道だといった美しい言葉を吐く国であれば、我らの和平案に賛同せずにはおれないでしょう。この世界が、こぞって我ら魔竜皇国ハイエンベスタの味方に回るのです」
これに眉をひそめたのはヒュードル。
「そんなことが本当に可能なのか。そもそもいつの間にそんなところまで手を回した」
サクシエルは口元に笑みを浮かべ、こう言ったのだ。
「先般あなたがサンリーハム王宮で暴れてくれた際、実は私もあの場にいたのですよ」
「えっ!」
この話は誰も初耳だ。目を丸くする他の三人を意識することなく、サクシエルは続けた。
「その際に、いくつかの国と接触を試みました。そして現在までにこの種からは芽が出ています。それなりに立派な芽がね」
呆気に取られている他の三人を見回して、黒い炎が照らすほの明るい部屋で、サクシエルは顔を上げた。
「平和によって敵を滅ぼす、そんな策略もあるのですよ。まあ、仕上げをご
◇ ◇ ◇
少し曇り気味の空、サンリーハムの広場では今日もバックホーの訓練が行われている。しかしそこに一平太の姿はない。彼の姿は精霊
いま一平太の中にあるのは怒りと哀しみ、情けなさと罪悪感。自分が側に付いていながら留美をこんな目に遭わせてしまった現実に押し潰されそうになっていた。
治療所の所長はよく気にかけてくれて、二時間ごとに留美の様子を直接見に来てくれる。そして悲しげな笑顔を浮かべるのだ。
「留美様の肉体が疲弊している様子はございません。至って健康体。ただ体内に極めて高次の強い力が存在するために、我々では細かいところまで探れません。しかしおそらくこの強い力は留美様の敵ではございますまい。彼女を護るための存在であろうと思われます。お気持ち的にご自分を責めたくなるのは理解できますが、それは留美様にとって良いことではございませんよ」
「はい……ありがとうございます」
うっすらと口元に笑みを浮かべて一平太は頭を下げるのだが、所長の言葉を心底理解している訳ではない。いま自分を責めなければ、自分がどこかに消え去ってしまいそうな気持ちになる。己を
音のない部屋の中で一平太はため息をつく。窓のカーテンが揺れる。日が差し込んでいることに、いま初めて気が付いた。外の天気は変わっている。時刻もおそらく午後になっているのだろう。なのに自分はまた無意味な時間を過ごしただけだ。
同じや、部屋に閉じこもってたときと。結局自分は何もでけへんし、誰の役にも立ってない。
心がどん底まで落ち込んだ一平太は、すぐ後ろにレオミスが立っていることにも気付かなかった。彼女の手が肩に乗せられ、初めて気が付く。
振り返った一平太に、レオミスは笑顔を向けた。
「昨日は助けられたな。ありがとう」
「いや……最後は俺の方が助けられたやん」
「それでも私が追い詰められたとき、いつもおまえは助けに来てくれる。私にとって、おまえは本物の英雄だ」
レオミスの言葉に、一平太は思わず目を伏せる。
「英雄やないよ。何もでけへんのに」
しかしそんな一平太を無視するかのように、レオミスは続けた。
「だから私はおまえを護る。おまえを傷つけようとするヤツを許さない。それがたとえ、おまえ自身であったとしてもだ」
思わず視線を上げた一平太を、レオミスは真剣な顔でまっすぐに見つめる。
「一平太、私はおまえを待っている。私だけじゃない。沢山の人間がおまえを待っていることを忘れないでくれ。それだけは、決して忘れないでくれ」
レオミスは一度強く一平太の肩を握ると、笑顔を浮かべて去って行った。一平太はその背を黙って見送るしかない。他にいったいどうしろというのか。他に、いったい。一平太は静かな部屋で、またため息をついた。
と、そのとき。
「けしからんな!」
と声が聞こえた。いつの間にそこにいたのか、モジャモジャヒゲでモジャモジャ頭の白いツナギを着た小柄な老人、弁天松教授だ。
「おまえさん、弁天松スペシャル三号機を海中投棄したらしいの。それはけしからんぞ!」
「いや海中投棄って。あのときは他にどうしようもなかったし」
「だからってディーゼル燃料に潤滑油その他諸々の汚染物質まみれのバックホーを海に落として良い訳はなかろう。お魚さんにどれだけの迷惑がかかると思っておるのじゃ」
「ほなどないせい言うねん。俺はできる限りのことはしたし、でけへんことやれ言われても無理に決まってるやろ」
思わず言い返した一平太に、弁天松教授はニッと笑った。
「それがわかっていて、何でこんなところで落ち込んでおるのじゃな」
「……え?」
「おまえさんは自分にできる限りのことはしたのじゃろう。すでに人事は尽くしたのじゃろう。ならば後は天命を待つしかあるまいて」
一平太はようやく弁天松教授の言いたいことを理解した。
「いや、そやけど」
「弁天松スペシャル三・〇二号機ならさっき納入を完了しておる。今度は大事に使ってやるのじゃぞ」
それだけ言い残して、弁天松教授は部屋を出て行った。
弁天松教授が部屋を出ると、通路の壁にゼバーマンが腕を組んでもたれかかっている。
「さすが年の功だな」
そう言うゼバーマンに弁天松教授は鼻先でフンと笑った。
「年齢は関係ない。ワシは地頭が優秀じゃからな」
「よく言う」
「我らが英雄殿は少々繊細だが、何とか面倒を見てやってもらいたい。頼めるかな」
「言われんでもそうするさ」
ゼバーマンが答えると、弁天松教授は満足げにうなずきながら歩き去って行った。
だが時代の変化は一平太を待ってはくれない。日本時間の翌朝、世界は震撼する。
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