第22話 凍る海

 いまは夏であり、当然暑い。大阪市内は三十五度を超える酷暑日となり、しかも晴天。軽く雨でも降って涼しい風が吹かないものかと誰もが思ったその日のこと。


 南港付近に落雷があった。そして響き渡る不気味なハープのような音。政府広報は落雷の箇所は危険であり近づかないよう、テレビやラジオで、あるいはネットでCMを流していたのだが、『自分だけは大丈夫だろう』という根拠のない自信を持つ、同時に状況判断力に欠ける者たちが見物に集まった。


 その頬をなでる凍り付くような冷気。まるでエアコンでもかけ過ぎているかの如きそれは、海面から吹き上げてくる。


 真っ白に凍り付いて動かない海面から。


 白い氷は大和川から南港周辺を氷河と変え、あっという間にサンリーハムの周囲にまで到達した。この氷河をきしませる大きな重い足音。巨大な二本の脚と口。緑色の鎧で覆われた暴君竜がそこにいた。周囲には無数の歩兵竜を従え、その背には緑の肌の巨漢を乗せて。


「全軍走れ! このガドラメルある限り、氷は破れはせぬ! 一気にサンリーハムを蹂躙せよ!」


 だがそのとき前方から響いてくるのは、馬の蹄鉄が氷を叩く音。


「黒曜の騎士団、突っ込め! 敵のすべてを灰燼かいじんすのだ!」


 先頭を走るのは、言うまでもなく騎士団長ゼバーマン・ザンドリア。魔槍まそうバザラスを手に疾走する。


 千里眼の報告に寄れば、イッペイタを襲ったのは緑の肌の巨漢だという。それがいま目の前に、巨大な竜の背中にいる。バザラスの一閃で歩兵竜を十数匹燃やすと、ゼバーマンは馬の背からふわり体を浮かせた。


「力を貸せ、カーリマグー」


 精霊に声をかければ、左耳の辺りに小さな見えない気配が動く。


「あーらあら、熱くなりすぎじゃない?」


「うるさい、おまえは私を勝たせればいい!」


「相変わらずワガママな子ねえ」


 耳元の気配がクスリと笑うとゼバーマンの体は一気に高く浮き上がり、緑色の肌の巨漢を見下ろした。


 巨漢はニヤリと笑みを浮かべる。


「ゼバーマンか、ちょうどいい」


 しかしゼバーマンは無表情にこれを見つめた。


「我が名を知っていることは褒めてやろう。だがおまえは名乗らなくていいぞ。不意打ちでしか勝負を挑めぬ卑怯者の名になど価値はない」


「……この水界のガドラメルの名に価値がないとほざくか、小僧!」


「気に入らぬのなら黙らせてみよ」


「そうさせてもらおう」


 ガドラメルが両腕を振ると左右の手から水が走り、それが二本の氷の曲剣となった。巨体は飛び上がり、流星の如くゼバーマンへと突撃する。左右から同時に斬り付ける氷の刃を、しかし魔槍は軽く一回転で打ち砕いた。


 だが、これで終わりではない。


 砕かれた氷の破片はゼバーマンの周囲を回転し、グルリと一周取り囲んだとき、稲妻の速度で全方位から攻撃を仕掛けたのだ。


 けれど、その小さな刃の群れがゼバーマンの体に届くことはなかった。ゼバーマンの心臓あたりに発した赤い光が一瞬で球体となり、彼の全身を包み込んだからだ。氷の破片は一瞬で蒸発した。さらに広がる球体は高熱の輝きとなり、ガドラメルの体をも焼く。


 言葉にならぬ絶叫を上げてガドラメルは凍った海の上に落下した。それを見逃すゼバーマンではない。一気にトドメを刺さんと追撃する。分厚い氷の上でバウンドした敵の胸に向かって、魔槍バザラスを突き立てた! はずだった。


 魔槍の刃の先端を、ガドラメルが片手でつまんでさえいなければ。


 右手の親指、人差し指、中指の三本で魔槍バザラスをつまむ。相手はたったそれだけのことしかしていないのに、ゼバーマンは押しも引きもできなかった。


 ガドラメルは氷の上に寝転びながら、野太い声でつぶやく。


「なるほど、たいした炎の魔力だ。だが、やはり違う。あのときイッペイタ・ネギを助けに来た炎の力は貴様のものではない」


「何を、訳の、わからん、ことを!」


 ゼバーマンは何とか引き抜こうと四苦八苦しているが、バザラスはビクともしない。しかしそこに飛来した幾条もの光の刃がガドラメルを直撃した。ようやく魔槍を引き抜いたゼバーマンの頭上にはレオミスの姿が。


「何をしているゼバーマン! 竜の群れがサンリーハムに入るぞ!」


「ちょっと待て、こいつにトドメを刺したらすぐに行く!」


 そう答えたゼバーマンの耳に聞こえたのは野太い笑い声。


「トドメを刺すだと、貴様ごときが、この我にか」


 倒れていたはずのガドラメルは反動もつけずに直立した。その体は満身創痍そうい


「いいことを教えてやる。おまえたちはもう敗北した。あとは死の瞬間まで祈りでも捧げておけ」


「黙れ腑抜けが! その傷だらけの体で」


 怒鳴るゼバーマンの目の前で、ガドラメルの全身からすべての傷が消え去った。


「傷がどうしたと?」


「この、化け物めが!」


 ゼバーマンは魔槍を構えて駆けた。全身の魔力をバザラスの刃の先端に一点集中、真っ赤に加熱された刃はいかな化け物であっても直接触れることなど叶うまい。防御をあえて捨てた完全攻撃型の一撃。こちらを舐めている相手にはもっとも有効なはず。


 案の定ガドラメルは避けようともしない。勝った。ゼバーマンの口元に浮かんだ笑みは、ガドラメルの拳が魔槍を真横から殴りつけたときに凍り付いた。明後日の方向に向かう魔槍バザラスと体のバランスを崩すゼバーマン。その顔面を襲う大きな拳。


 ゼバーマンは瞬時に魔法で障壁を作ったものの、それをものともせずに打ち込まれた強烈なパンチに全身を宙に舞わせた。ガドラメルは相手が下に落ちるのを待たず追撃態勢に入ったが、レオミスの放つ光の刃に出鼻をくじかれる。


「おのれ小娘!」


 ならばこちらを先にと宙を飛んだガドラメルだが、空中戦ではレオミスに一日の長があったようで捕まえることができず、相手の放つ攻撃に傷を増やして行くだけ。これではキリがない、ガドラメルは標的をゼバーマンに戻し、下に降りようとした。と見せかけて不意に振り返る。


 ゼバーマンを守るために回り込もうとしたレオミスは、敵の突然の転身に動揺し空中でほんの一瞬動きを止めてしまった。その隙を見逃すガドラメルではない。手から水流を放ったかと思うと、レオミスの体を氷で縛り付けた。


「これではもうヒラヒラと蝶のようには舞えまい」


 そしてレオミスを見下ろす高さにまで浮き上がると、拳を振り上げた。


 殴りつけられたのは、ガドラメル。


 殴りつけたのは、鋼鉄の腕。青い十二トンクラスのバックホー、弁天松スペシャル三号機。


「うらぁあああっ!」


 一平太はバックホーのボディを回転させると、宙を漂うガドラメルにさらなる一撃を加えた。そしてもう一撃、加えてもう一撃。


「おまえは、おまえだけは!」


 いかに化け物じみた、いや化け物そのものであるガドラメルであっても、純粋に自身を上回るパワーの前には為す術がない。たまらず上へと逃れたが、それよりもっと上、真夏の太陽を背に敵が回り込んでいたことにまで気を回せなかった。


「黒天大崩落!」


 ゼバーマンの最後の魔力を振り絞った真上からの一撃は、敵の左目を貫く。悲鳴を上げながら体を蒸気へと変えて消え去ったガドラメルの後を追うように、足下の氷はあっという間に溶けて砕けて水へと戻った。


 一平太は何とか間一髪でバックホーから海に飛び出し、これをレオミスが拾い上げたのだが、もう一方の手には意識を失ったゼバーマンの体。さすがのレオミスでも二人をぶら下げて飛ぶのはかなりキツかった模様。


「お、重い……」


「なんか、ゴメン」


 頭を掻く一平太の視界の中で、バックホーは海深くに沈んで行く。さらにサンリーハムに近づけば、生き残っていた歩兵竜や、一平太のバックホーに頭を砕かれたティラノサウルスも海に沈んで行った。


 結果的にサンリーハム側には死人が出なかったが、今回の襲撃にかなりの衝撃があったことは間違いない。摂政サーマインは国防大臣サヘエ・サヘエに警備態勢の見直しを命じた。




 自身の体調チェックもそこそこに、一平太は急いで留美の元へと戻った。留美はまだ眠っている。悪者をやっつければ呪いが解かれる、といった簡単な話だと真剣に考えていた訳ではないが、ほんの少し希望も持っていた。


 しかし留美は目覚めない。どうしたらええんや、俺に何ができるんや。一平太は肩を落として考え込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る