第21話 異郷訪問譚

「どういうことだ貴様! イッペイタに護衛もつけなかったのか!」


 ゼバーマンは中ノ郷の胸ぐらをつかんでいた。


 ここは精霊を祀る精霊びょうに併設された治療所。二つ並んだ寝台の上には意識を失った一平太と留美が眠っている。二人が襲われサンリーハムの治療所に収容されたと連絡を受けた中ノ郷が急いでやって来たのだが、そこでゼバーマンたちと鉢合わせた。


 興奮するゼバーマンの腕を押さえたのはレオミス。


「よせ。それは彼の責任ではないし、変化の速さに追いつけていないのは我々も同じだ」


 今回一平太への襲撃が発覚したのは千里眼たちの一人がたまたま落雷に気付いたおかげである。ほぼ偶然と言っていい。レオミスの言う通り、すべて後手後手に回っているのはサンリーハムとて同じなのだ。


「くっ!」


 ゼバーマンは忌々いまいましげに手を放し、背を向けて去って行く。レオミスは中ノ郷に頭を下げた。


「許してやってほしい。あいつも混乱しているんだ」


「いえ、私も気持ちは理解できますので」


 シャツの皺を伸ばしながら中ノ郷は首を振る。


 レオミスは眠る二人に目をやりながらたずねた。


「日本政府は今後どうするつもりなんだ」


 中ノ郷は少し首をかしげながら答えた。


「政府要人とサンリーハム近隣の知事には警察から警護がついています。根木さんもこの先サンリーハムから出る場合には身辺警護がつくはずです。ただ相手がどの程度の規模で襲ってくるのか判断ができませんからね、実効性があるのかと言われると心許こころもとないのが現実でしょうか」


「サンリーハムには結界がある、敵の有力者が一人で侵入してくるのは防ぎきれないが、軍団単位で直接転移してくるのは難しいはずなんだ。だから当分の間、一平太たちはここにいた方が安全だと思う。断言ができないのがもどかしいがな」


 心苦しげなレオミスに、中ノ郷は同情するようにうなずいた。


「お二人の病状は明らかなのですか」


「目を覚まさない理由か。一平太は簡単だ。精霊の加護を受けるために精神の力を一気に削ってしまったのが原因らしい。相手がそれほどの怪物だったのだろう。これはしばらく休んで体力が回復すれば元通りになる。ただ問題は留美だ。この子がどうして目を覚まさないのか、治療術士たちにも原因がつかめていない」


 中ノ郷はレオミスの言葉にうーんと唸るとこう言う。


「大阪にある大きな病院で精密検査を受けさせたいところですが、まあさすがにいまここから動かすのは得策とは思えませんね」


「それはやはり警護の問題からか」


「そうですね。ハイエンベスタですか、相手は我々の暮らす場所にはいつでもどこでも自由に出て来られる訳です。これはどうしようもない。我々の社会はそんな敵と戦うことを前提とした構造をしていないのですから。いまから変えようとしても間に合いませんしね」


 半ばあきらめが見えたが、それでもまだ中ノ郷は冷静だ。


「根木さんは対ハイエンベスタの象徴のような人物です。今後戦いが激しさを増せば、世界からより注目を浴びることでしょう。ある意味、総理大臣より替えが効きません。日本人の一人としては大変に心苦しいのですが、いまはサンリーハムの魔法の力に護っていただくしかないのです。どうかよろしくお願い致します」


 頭を下げる中ノ郷に、レオミスは優しい笑みを向けた。


「一平太はサンリーハムにとっても大事な英雄だ。任せてくれ、護りきってみせる」



◇ ◇ ◇



 黒い炎が照らし出す、ほの暗い空間。緑色の肌をしたモヒカン頭の巨漢が壁を殴る。


「邪魔が入らなければ、ヤツを抹殺できていたのだ。あと少しで!」


「そ~んなこと言ったら、うちだってそうだにゃ~ん」


 野太いうなり声をあざけるように、蛇革鎧のネコ耳娘は笑った。巨漢は殺気のこもった視線を向ける。


「おのれミャーセル、我を笑うか貴様」


「それは笑われる方に問題があると思うにゃ~ん」


 巨漢は静かに腰を落とし、戦闘態勢を取った。これに対しミャーセルと呼ばれたネコ耳娘は知らん顔で尻尾の手入れをしていたが、口元には小さく不敵な笑みが浮かんでいる。巨漢が一歩踏み出そうとしたとき。


「やめたまえ、みっともない」


 落ち着いた声が二人をいさめる。一人で正方形のテーブルに着いている有翼鳥面人身の姿。風界のヒュードルである。


「あと一歩で失敗したという点において、我々三名は同様同罪同程度だ。誰にとやかく言える立場でもなければ腹を立てる筋合いでもない」


「ほんっとヒュードルはつまらないにゃ~ね」


 ミャーセルがテーブルの自分の席に近づくと、椅子が勝手に引かれる。よく見れば椅子の脚の先端に無数の昆虫の脚のようなものがうごめき、椅子を動かしているのだ。ミャーセルは椅子に腰を下ろすと、テーブルに頬杖をついた。


「その鳥頭食ったら、脳みその奥までつまらない味がするんにゃ~ろね」


「本当に口が悪いな、君は」


 呆れ返るヒュードルは、緑色の肌の巨漢に顔を向けた。


「ガドラメルも席に着きたまえ。そこで立っていても無意味だろう」


 巨漢ガドラメルはしばし暗い目でヒュードルを見つめていたが、黙って自分の席に着いた。こうして三人が正方形のテーブルに着いたのを見計らって、残る一つの席に座るローブ姿の華奢な影が口を開いた。


「毎度毎度、話を始める前に時間が取られることですね」


「今日は短めだったにゃ~ろ? 進歩だにゃ~ん」


 そう言うミャーセルに小さな苦笑を浮かべるローブ姿へ、ヒュードルが問いかけた。


「それはそれとしてサクシエル、次はどうする。相手も馬鹿じゃない、同じ手は使えないぞ」


「同じ手を使うつもりは最初からありませんよ」


 サクシエルと呼ばれたローブ姿はフードの内側で微笑む。


「ただ全体の調整に時間がかかります。いますぐにとは参りませんね」


 これにガドラメルが噛み付くように口を挟む。


「ならその調整の間に一暴れしてきても構わんな」


「や~めとくにゃ~、またゼバーマンに燃やされるだけだにゃ~ん」


 ミャーセルの言葉に、ガドラメルはテーブルを打ち破らんばかりの勢いで叩いた。


「あれはゼバーマンなどではない! 断じて違う! あれは、いや、『あいつら』は未知の存在だ! 次こそ、今度こそ化けの皮をがしてみせる! 見ておれ!」


 そう怒鳴るとガドラメルは席を立ち、部屋の外へと去って行った。


「や~れやれ、負け惜しみもあそこまで行くと芸術だにゃ~ん」


 ミャーセルも笑いながら席を立つ。ヒュードルは軽く頭を抱えながらこう言った。


「とにかく、次の策があるのなら固まり次第知らせてくれ。私は指示を待つが、できれば早いほうがいい」


「わかりました。なるべく急ぎましょう」


 サクシエルの言葉を聞いてヒュードルも部屋を出て行く。一人残されたサクシエルはしばし沈黙していたかと思うと、不意にガドラメルの席に目をやり、面白そうに笑みを浮かべた。


「根木……根木の一族か」



◇ ◇ ◇



「いきょうほうもん……たん?」


 何か難しいこと言い出したぞ。晩飯を食いながらちょっと困ってる俺に、根木さんはビールを美味しそうに飲みながら話す。


「そう、異郷いきょう訪問たん、異界訪問譚とも言うな。つまり主人公が自分の住んでる世界とは別の世界を訪れる物語や。浦島太郎とか舌切り雀とか、日本神話やとイザナギが黄泉に降りた話とか、あとそうやな、隠れ里の話とかもそうなるな」


「ああ、なるほど」


 浦島太郎と舌切り雀くらいはわかる。あとは知らんけど。


「この異郷や異界と呼ばれる世界、つまりこの世に隣接した、しかしあの世ではない世界を仮に、仮にや、SF的に解釈してパラレルワールドとすると、どうなると思う」


 根木さんが何を言うとんのかサッパリわからん。どうなる? 何が?


「どうなるって、どうなるんかな」


 すると根木さんはニンマリ笑った。


「異郷訪問譚が伝説や民話として現代にまで残ってるってことは、過去においてパラレルワールド間を行き来できた可能性が無きにしも非ず、って考えられんこともない訳やな」


「はあ」


「しかし過去にパラレルワールド間を行き来できたんやったら、現代でもできるはずやろ。けど実際に、これだけの情報化社会になってもパラレルワールドは都市伝説かSF小説の域を出てない。何でやと思う」


「さ、さあ、何でやろ」


「まず可能性として第一に上がるのは、パラレルワールド間の行き来は元から不可能っていうことや。これは一番無難やな。でもそれで終わったらおもろないやろ」


 茶碗のご飯も残り少ないし、それで終わってくれた方が嬉しいけどなあ。そう俺が思ってると。


「ここで出てくるのが第二の可能性。つまり、過去においてはパラレルワールドの行き来を可能にした何らかのエネルギーが、現代では失われてるんやないか。もしそんなエネルギーがあるとしたら、それは何やと思う!」


 ビールを持った手で俺をビシッと指さす根木さんの目は、ちょっとトロンとしてた。


「それは! それをたぶん解き明かす鍵になるんが『魔法』と『精霊』のどっちか、もしくは両方やとにらんでる訳よ。わかるか一平太!」


 いや全然わからへん。何かタチの悪い酔っ払い方やなあ。俺が困ってると、お姉が助け船を出してくれた。


「先生、今日はもうあきませんよ。一平太困ってるやないですか。おとなしく寝てくださいね」


「えっ、何でや。まだ早い」


「明日も仕事あるんですから、お酒抜かなあかんでしょ。はいはい、立ってください。寝ますよぉ」


「えーっ、そんな、君」


 お姉は俺を振り返ってちょっと笑うと、根木さんを引っ張って行った。それは留美が生まれる半年ほど前のこと。


 何でや。何でこんなこと思い出してるんやろ、俺。

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