第15話 橋の上の死闘

「一セクトがだいたい三十メートルやったっけか」


 見知らぬ青い鉄の塊の上で見知らぬ人が頭をひねっている。今回の仕事はこの人をこの鉄の塊ごと跳ばせばいいだけか。体力は要るけど難しくはないな。リップ・リップ・ウーはそう高をくくっていた。


 しかしその見知らぬ男――イッペイタとか言ったような――はリップに平然とこう言ったのだ。


「たぶん竜の群れは移動してると思うけど、その進行方向に三セクト離れた場所へ跳ばしてくれるかな」


「……はい?」


 三セクトって何セクト? リップは思わずそう聞き返したくなったのを何とか堪えた。普通、物や人を飛ばす際、跳躍術士は『心眼』で目標を定める。これは千里眼よりボンヤリはしているけど、理屈的に同じようなものだ。そして目標を定めたら、そのすぐ前に物や人を跳ばす。跳躍術士の仕事はそういうものであり、いままでにそれ以外の仕事などリップはしたことがない。


 それを三セクトも離れた場所に跳ばせと言うのである。しかも目標が動いていると。無理無理無理! そんなの無理に決まってる。いや、もしかしたらお祖母ちゃんならできるかも知れない。でも私にはできっこない。リップはそう大声で言いたかった。けれど。


 王宮のテラスからはリリア王が見つめている。その王様に、自分は「できます! 任せてください!」と言ってしまったのだ、いまさらできませんなど通用するはずがない。祖母のバリタが何故ああも口を酸っぱくして勉強しろと言っていたのか、ようやく理解できた。だがいまそれがわかっても後の祭。目の前の状況から逃げられる訳ではない。


「どうした? 難しいかな」


 イッペイタが心配そうにのぞき込んでいる。優しい人なんだ。そう思うとリップは甘えそうになってしまう。だが堪える。拳を握りしめて必死で堪える。


「いえ、大丈夫です。できます」


 もはや意地というよりヤケクソに近いが、リップは言い切った。イッペイタは笑顔でうなずくと、「よっしゃ、任せた」と応じる。もうここまで来たら腹をくくるしかない。


(カーネイン、力を貸して)


 心の中で精霊に呼びかける。


(力は貸せるが、頭は貸せんぞ)


 精霊の返答に、リップは小さく微笑んだ。


(何とかやってみる)


「では跳ばします! しっかりつかまっていてください!」


 リップの両目は瞳孔が開く。心眼が目標を探しているのだ。南の大きな橋。竜の群れ。いた! ここから三セクト先へ! 何とか届け!


「跳躍!」


 リップの叫びと共に淡いピンク色の輝きが一平太とバックホーを包んだかと思うと、直後に消えた。成功した、その場にいた者は皆そう思った。ただ一人、目を見開き真っ青な顔をしているリップ以外は。




 一平太の乗った青いバックホーは、確かに関空連絡橋に届いた。ただし三メートルほど上に。


――シャラレド!


 有名な安全標語に『一メートルは一命取る』というのがある。高さ一メートルから転落すれば人間は死ぬ可能性があるのだ。まして三メートルともなれば、その危険度合いは比べるべくもない。


 しかし精霊の加護を得たバックホーは、落下時に激しく揺れはしたものの履帯一つ外れることなく無事。乗っていた一平太にもとりあえずケガはないようだ。後は歩兵竜の群れから百メートルくらい離れていれば。


 百メートル、どころではない。走る歩兵竜の先頭はもう目の前、十メートルも距離はなかった。


 だがバックホーのエンジンはかかっている。ならば戦える! 一平太は迫る歩兵竜にボディを回転させならがアームを伸ばした。遠心力を加えられたアームの先のバケットは、歩兵竜の顔面を捕らえ弾き飛ばす。


 けれど歩兵竜の群れは怯みはしない。次々に飛びかかってくる牙の列を、ボディを左右に振り回しながら鋼鉄の腕は殴り倒していった。精霊シャラレドの加護によりバックホーはビクともしない。ただバックホーは無事でも、中にいる一平太は無事ではない。目が回る。酔う。


 一平太は正面にあるレバー二本を同時に引き、バックホーを全速で後退させた。とにかく距離を取らなければ。関空連絡橋は片側三車線でほぼ直線、少々目が回っていても壁に激突はしないだろう。と、思っていたのだが。


 突然大きな音と共に後ろから衝撃が。何や。思わず一平太が振り返れば、そこには警察が張ったバリケード。竜の群れの位置が想像以上に空港側に寄っていたのだ。マズい。慌てて左のクローラーを回して右旋回、こうなったら竜の群れの大外を回って後ろに回り込もうと加速したとき、視界を覆う巨大な影。


 反射的にボディを回しアームの先端をそちらに向ければ、重い衝撃。バックホーが押される。左右のクローラーがアスファルトを削る感触。シャラレドに護られていなければアームがねじ切れていたかも知れない。


「何や、こいつ!」


 アームの向こうに見える三本の角、首を覆う大きなフリル、そして全身を包む緑色の鎧。この巨大なトリケラトプスが群れのリーダーであることは間違いあるまい。力相撲では勝ち目はなさそうだし、歩兵竜も回り込んでくる。一平太はボディを左に回しながらクローラーをさらに右に向けた。


 向かって左側に力を受け流されて駆け抜けて行くトリケラトプス。目の前に立ちはだかろうとする歩兵竜を跳ね飛ばしながら一平太のバックホーは加速、とにかく群れの後ろに出ようとした。が、世の中そうそう上手くは行かないものらしい。


 重い足音に振り返ってみれば、トリケラトプスが後を追ってくる。このバックホー、あの弁天松教授とかいう爺さんの言葉が正しいのなら、いま時速六十キロ近くで走っているはずである。大昔に化石になったトリケラトプスが時速六十キロで走れたかどうかはわからない。だが、このトリケラトプスはこの速度で走るのだ。現実は無情。それなら!


 一平太はバックホーのブームを上げ、アームを振り上げると同時にボディを百八十度回転、クローラーの速度を緩めた。当然の如くそこに突っ込んでくるトリケラトプスの頭をめがけて、真上からバケットを叩き付ける。叩き折られた額の左の角が一本。それだけ。


 他にダメージを受けることなく怒りの火に油を注がれたトリケラトプスは、グイと姿勢を低くし、鼻先の角をボディの下に突っ込もうとする。いかにバックホーが頑丈でもひっくり返されては終わりだ。前回のアンキロサウルスとは逆に、今度はこちらがトドメを刺されてしまう。一平太は全速で後退しながらバケットを何度も振り下ろした。


 ところがトリケラトプスは恐るべきタフネスさを見せつける。こう距離が近くてはバケットを振り回して遠心力で横殴りにする訳にも行かない。おまけにこの緑色の鎧だ。抗魔法鎧だと話には聞いていたが、魔法だけをはじき返す物ではないらしい。衝撃から身を守るちゃんとした鎧の機能も持っているのだろう。そうでなければここまでのタフネスさは考えられない。


 バックホーだけでは勝たれへんのか。一平太の心に焦りが生まれた、そのときである。


 突如、大きな爆音と共に煙が広がった。何が起こった。一平太が周囲を見回せば、中央に鉄道の線路を挟んだ向こう側、連絡橋上り車線に迷彩柄のデカい車が併走している。自衛隊の高機動車。


 その高機動車の上に身を乗り出した自衛隊員がバズーカ砲のような物を構えていた。八四式無反動砲などという名前を一平太はもちろん知らない。


 続けて第二射、再びトリケラトプスの胴体に攻撃が加えられ爆煙が広がるが、緑色の抗魔法鎧はビクともしない。


 クソ! 自衛隊でもアカンのか! この鎧がない部分さえあったら。鎧のない……鎧のない部分? あるやないか!


 この状況で向こうに聞こえるかどうかはわからない。しかしやるだけやってみるしかない。一平太は併走する高機動車に向かってトリケラトプスの頭部を指さしながら、大声で叫んだ。


「角! つ! の! 折れた角のとこ狙ってくれ!」


 それが通じたのか高機動車の上の人影は一度内部に引っ込み、また別の武器を肩に担いで出て来た。一平太の目には同じような武器に映ったが、今度出て来たのは〇一式軽対戦車誘導弾である。


 何でもええ、とにかくコイツを止めてくれ! 一平太はバックホーのアームでトリケラトプスの横顔を押し、額の折れた角の部分を自衛隊側に向けようと苦心した。だが自衛隊はなかなか攻撃してこない。トリケラトプスの顔はバックホーに近いのだ、一平太に当たる可能性を恐れているのかも知れない。


「ええから撃てーっ! 俺は大丈夫やから、撃てーっ!」


 嘘ではない。精霊シャラレドに護られたこのバックホーの中にいる限り、おそらく一平太は無事なはずだ。しかし自衛隊にそれが通じるか。通じたとして決断できるか。だが決断をしなければ、このトリケラトプスが人の暮らす街中に放たれることになる。自衛隊側だって当然それくらいはわかっているはずだ。頼む、撃ってくれ! その願いは、天に通じた。


 発車される対戦車ミサイル。その行き先は、トリケラトプスの折れた角。


 突如巨大な力で側面から殴りつけられたトリケラトプスは走る速度を緩め、しばらくトボトボと歩いたと思うと、額から大量の血を噴き出しドサッと横倒しに。


 遠くで聞こえる乾いた銃声は、他の自衛隊員が歩兵竜を狩っている音だろう。何とか、何とか一件落着か。一平太は停まったバックホーの座席に体を預けると、疲れ切ったため息をついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る