第16話 記憶
お
「一平太もおいでよ。一人で家におっても仕方ないやん」
「いや、俺はええよ。迷惑になるだけやし」
高校を一年でドロップアウトして、あとはずっと家に閉じこもってるだけ。両親もとっくにいてないのに、お姉が一人で働いて俺を食わせてくれた。
無理やろ。これ以上お姉に迷惑はかけられへん。せっかくつかんだ幸せを、俺なんかのために台無しにできる訳がない。俺が一人で野垂れ死ぬのは自業自得やねんから。
それやのにお姉の結婚相手、根木さんは笑いもせんと当たり前みたいな顔でこんなことを言う。
「二年もずっと家に閉じこもってられるんか。君、学者に向いてるかも知れんな」
「……はあ?」
さっぱり意味がわからんかった。
けど何やかんやあって、最終的に俺はお姉夫婦と同居することになった。古い平屋やけどデッカい家。そこでネットの通った六畳間の一部屋をもらって、俺はまた閉じこもった。ただし、食事のときだけはみんな同じ食卓に着く約束をして。
半年経っても一年経っても、お姉も根木さんも嫌な顔ひとつせえへん。さすがにこれは焦った。何もせん訳には行かんやろう。とりあえず何かしてるアリバイだけでも作らんと。でも難しい勉強とか俺には無理。電気工事も宅建も全部無理。
そんなとき、工事関係の機械にも免許や資格が必要なことを知った。機械動かす資格かあ、要は運転免許みたいなもんやろ。ああ、それでも教習所とか通わないかんのか、金かかるな。まあ無理やわな。……いや、バイトしたらこれくらいの金額は何とかならんか。
ある日の夕食のとき、俺はバイトを探してることを話した。根木さんは顔も広いやろし、何かバイト募集してる仕事でもないかと思っただけやのに、根木さんもお姉も真剣な顔でビックリしてた。
「何や、ここの生活に不満でもあるんか」
「いやいやいや、そういうことやないから」
工事機械関係で取れそうな免許あったら取ろうか考えてるって俺が説明したら、根木さんは即「よしやれ!」って言うた。
「そんなんバイトとか遠回りしてる場合やないやろ。明日にでも教習所に申し込んできたらええわ」
「いや、ちょっと待って。俺は別にそんな真剣に資格取りたいとか考えてる訳やなくて、ただ何となく」
「何となくでええねん。どんなことでも最初は何となくから始まるもんや。興味があることはまず始めてみんとわからんしな」
「けど金もかかるし」
「金はあるヤツが出したら済む話やろ。それを返したいんやったら、そのうち返してくれたらええがな」
俺は何も言われへんようになった。親が死んだときでもこんな胸が苦しくはなかったし、ここまで申し訳なくもなかった。まさか自分がこうもボロボロ人前で泣くとは想像もしてなかった。
資格はフォークリフトとかショベルローダーも考えたけど、結局一番使い勝手が良さそうなバックホーの資格を取ることにした。バックホーはいろんな現場で見るし、たぶん仕事に困らへんのやないかと思ったから。
ただバックホーの資格って一つやないって理解したのは後になってから。まず『小型車両系建設機械の運転の業務に係る特別教育』を受講したらもらえる資格は三トン未満のバックホーが運転できる。三トン以上のバックホーを運転するには『車両系建設機械運転技能講習』を受講して、さらに修了試験に合格せないかん。
あと、当たり前っていうたら当たり前やけど、道路でバックホーを動かすときには重量によって普通自動車免許、中型自動車免許、大型自動車免許が必要。さすがにこの費用を全部出してもらう訳には……と思ったものの、根木さんは出す気満々やった。
そんな矢先、お姉の妊娠がわかった。翌年の春、生まれたのは元気な女の子。そのとき俺はバックホーの資格を二つ取って普通免許も取ったから、いつでも働きに出られる状態ではあったんやけど、根木さんは仕事で忙しいし、お姉も産後の調子がイマイチ悪かったりで、結局俺が姪っ子の、留美の世話をすることが多かった。
それから二年目の春が過ぎて夏が来たあの日。俺が留美を連れて近所のコンビニにまでアイスを買いに出かけて戻ったら、家が燃えてた。何があったのかわからへん。いくら家がデカいからって、お姉と根木さん二人とも逃げ遅れるとか意味がわからん。でもそれが現実。
根木さんは親戚とほとんど縁を切ってたみたいで、公民館でした葬式に顔を出した親類縁者は二人だけ。その二人もあからさまに留美を煙たがってた。子供なんぞ引き取りたないて思いっきり顔に書いてあった。
そのとき俺は決めた。留美は俺が引き取ろうって。でも留美の苗字を変えるのは可哀想や、そんなら俺が苗字を変えようって。その日から俺は根木一平太になった。
一平太の目が開いた。天井の白い照明が眩しい。顔を動かせば右側に吊るされている点滴袋。
「え、病院?」
自分がいつ、どうして病院に運ばれたのか記憶にない。確か関空連絡橋でトリケラトプスを倒して……そこからどうなったのだっけか。
「ああ根木さん、気が付きましたか」
カーテンの向こうから看護師がのぞいていた。
「どうです、気持ち悪いとか目眩がするとかないですか」
「えっと、俺、何で」
「全身打撲で軽いショック症状が出てたんです。幸い骨にも内臓にも問題はなしで、脳波にも異常なし。だからすぐ退院できると思いますよ」
「あの、それで」
「そうそう、大事な伝言がありました」
看護師はそう言うと、ベッドの頭の方に貼り付けてあった付箋紙を手に取った。
「留美ちゃんは大切にお預かりしてますって。中ノ郷さんから。娘さんですか?」
「はい、娘です……ありがとうございます」
涙が溢れ声がかすれた。一歩間違えば誘拐の脅迫状のように思える伝言にも、中ノ郷の人間的な暖かさを感じる。自分は縁に恵まれているのだ、一平太はそう痛感した。
城戸内副首相が首相公邸に呼び出されたのは午後八時を過ぎた頃。今日の
建前としては魔竜がサンリーハムと直接関係のない関空を襲ったことにより、それ以外のたとえば大使館を始めとする日本国内の外国施設や外国籍企業、あるいは海外からの渡航者の安全確保が急務であるとの見地から日本政府への諸要請であったが、そこには裏がある。
有り体に言えば自国の代表団をサンリーハムへ渡航させろという圧力であり、もっとぶっちゃけてしまえば、自国の武器・兵器をサンリーハムに売らせろという話である。
サンリーハムが魔法王国であることは、すでに諸外国にも知られている。それはつまり近代兵器を保有していない可能性があるということであり、兵器市場としては有望である。
幸か不幸か、昨日自衛隊が関空連絡橋の上で魔竜の群れを撃滅した。これはサンリーハムに対して有効なデモンストレーションになったはずだ。武器を売った対価としては金ではなく、魔法技術を得られればいい。各国政府はそう考えているのだ。
「城戸内さん、どうしたもんでしょうねえ」
手ずからウイスキーの水割りをこしらえて、釘浦首相はソファの前のテーブルに置いた。城戸内は一口飲んで、仕事の話をするには少し濃いなと思いながらも、もう一口飲んだ。
「どうもこうも釘浦さん、総理大臣はあんたなんだ。まずあんたが決めないと、そのまま進むにせよ違う道を探すにせよ、内閣も動きようがないよ」
良く言えば庶民派、悪く言えば押し出しに欠ける熟年サラリーマン的風貌の釘浦首相は、トレードマークの丸い眼鏡をクイッと押し上げて一つため息をついた。
「まずそもそも論から言えば、サンリーハムのある場所は日本国の領海内です。それは当然日本政府の管轄下にある訳ですから、サンリーハムの王宮が許可するしない以前の問題として、我々には諸外国の行動を制限する権利があります」
城戸内もこれにうなずく。
「その通り。あんたには外国政府の圧力を突っぱねる資格がある。そうしますか」
「できますかね?」
釘浦首相は真剣に困っていた。それもかなり弱気になっているように見える。城戸内の手のグラスで、氷がカラリと音を立てた。
「現実問題、日米安保がある以上アメリカの要請を突っぱねるのは難しいでしょうな」
「ですよね」
「対中連携を考えるならEU諸国やオーストラリアとも関係を悪化させたくはない」
「はい、そうなんです」
「兵器やシステムの近代化を考えるならイスラエルとも友好的でありたいところです」
「ええ、まったくその通り」
「つまり排除できるのは中国くらいしかない」
「中国は怒りませんかね」
「激怒するでしょうな」
「やっぱり」
釘浦首相は顔をしかめて水割りを一口飲んだ。その様子を見て城戸内は苦笑する。
「そこまで苦しい思いをしながら、サンリーハムを追い出そうとか言い出さんのですね、あんたは」
「そりゃ我が国にだって国際的なメンツくらいはありますからね。一旦保護した以上、そう簡単には追い出せませんよ。それに」
「それに?」
「昔から言うじゃないですか。『情けは人のためならず』って。もちろん理想主義に過ぎるとは自分でも思うんですがね、好きなんですよ、この言葉が」
甘いな。よくこの甘さで首相の椅子を手に入れられたものだ。城戸内は鼻先で笑いそうになったが、そうはしなかった。
「一振りですべてが解決する魔法の杖はありませんがね」
この言葉に釘浦は食いつく。
「な、何かいい方法がありますか」
「いまの状況を素直にそのままサンリーハムに伝えることですな。案外こちらにない知恵が向こうにはあるやも知れません。少なくとも、あんたの胃の痛みは多少和らぐでしょうよ」
城戸内はそう言うと、水割りを一気に飲み干した。
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