第14話 御心のままに

「助けには行かぬのですか」


 リリア王の小さな言葉は玉座の間に波紋を広げた。ザワザワとざわめくばかりの貴族や役人たちに不審の表情を向け、リリア王は言う。


「サンリーハムは日本政府に恩義があるはずです。なのに見捨てると言うのですか」


「恐れながら国王陛下に申し上げます」


 リリア王の隣で、胸に手を当てながら摂政サーマインが頭を下げた。


「確かにサンリーハムは日本政府に恩義がございます」


「ならば」


「されど」


 サーマインの言葉が強くなる。


「サンリーハムの軍は日本の防衛装置ではございません。確かに日本国の危機を救うために我らが兵を派遣すれば、それは美しい出来事でしょう。しかしその際に死人が出た場合、陛下はどうされるおつもりですか。サンリーハムの国民が、サンリーハムではない異国のために死んだとき、その遺族に、陛下はどのような言葉をおかけになるおつもりですか」


 リリアは沈黙した。答えないのではない。答えられないのだ。


 サーマインは続ける。


「サンリーハムの王宮には、サンリーハムの国民の命と生活を守る義務がございます。それはすなわち、日本国民の命と生活は日本政府に守る義務があるということです。それを無視して我らが勝手に兵を送り込むなど、権力の濫用らんよう以外の何物でもないでしょう」


 リリア王は悲しい顔でうつむいてしまった。サーマインの主張は正論である。いまの時点でサンリーハムに火の粉は降りかかっていない。そしてサンリーハムは無私の正義を行う神の如き存在でもない。あくまで人間の集合体なのだ、何でもできる訳ではないし、何でもできるかのような思い込みはただの傲慢ごうまんな錯覚と言える。


 だがそのとき聞こえた声に、リリア王は顔を上げた。


「あのう、一つ聞いていいでしょうか」


 見れば根木一平太が上半身を起こし、頭をかいている。これにサーマインは怒声を放った。


「貴公、不遜ふそんであろう! リリア王の御前なるぞ!」


「いやあ、すんません。田舎者なんで、こういうときどうしたらええんか知らんのです。で、それより聞きたいことがありまして」


「それよりとは何だその言い方は!」


 そのボルテージの上がった怒りの声を遮ったのは、小さなリリア王の言葉。


「サーマイン、静かになさい」


 いかにリリア王の名代みょうだいとして権力を欲しいままにする摂政であろうと、公の場で王にたしなめられては無視する訳にも行かない。サーマインは不服そうな顔で沈黙した。


 そしてリリア王は一平太に問うた。


「イッペイタ、聞きたいこととは何ですか」


「あ、はい。もし、もし仮にですけど、いまから関空連絡橋に助けに行くとしたら、どんな手段で行くんでしょうか。歩いて行くには遠すぎますよね」


 リリア王は微笑んだ。自分に答えられることで良かったと言わんばかりに。


「もし実際に軍を派遣するとなれば、跳躍術士を使います」


「跳躍……術士、ですか」


「はい、人間や物を一瞬で遠く離れた場所に跳ばせる魔力を持つ者が、この国にはいるのです」


 すると一平太は嬉しそうな顔を見せた。


「そしたら、僕一人だけ跳ばしてもらえませんかね。僕は日本人やし、問題にはならんと思うんですけど」


 そこに、遠巻きに見守っていた集団の中からこんな声が。


「おお、なるほど。それはいい」


 振り返り声の主を探せば、外務大臣のケネットだった。


「サンリーハム国民の命を危険にさらさず、同時に日本政府に貸しも作れる。これはなかなかの妙案ではござりませんか」


 ケネットの隣でサヘエ・サヘエもうなずいた。


「左様。リリア国王陛下にはご無礼ながら注進致します。このイッペイタ・ネギの策、非常に優れておりまする。是非ご採用あそばされたく存ずる次第」


「されど!」


 ここでまた口を挟んできたのが摂政サーマイン。


「王宮直属の跳躍術士を使ったのでは外交上の誤解を与えることになります。跳躍術士は民間より探すべきかと」


 サヘエ・サヘエがうなずいた。


「その点は何とかなります。王宮より西にバリタという優れた跳躍術士がおりましてな、アレならばイッペイタとバックホーを一台くらい跳ばせるはずでございますから」


「わかりました」


 リリア王の嬉しげな声が響く。


「イッペイタ・ネギ、そなたの策を採用します。サヘエ・サヘエは跳躍術士の手配を。サーマイン、特に問題はないはずですね」


「はっ、すべては陛下の御心のままに」


 頭を下げたサーマインに満足そうにうなずき、リリア王は号令を発した。


「では皆の者、ただちになすべきことを開始しなさい」




 玄関に王宮から来客が来ているらしい。リップは祖母の看病をしながらも、父の対応しているそちらの方が気になって仕方ない。


「母に王宮から依頼、でございますか」


「左様、大至急の依頼ゆえ手間賃ははずむ。他の仕事を差し置いても最優先で頼む」


「しかし、母はいま体調を崩して伏しております。お仕事をこなせるとは、とても」


 父は何とかして仕事を断りたいようだ。まあそれはそうだろうとリップも思う。跳躍術はただでさえ心身に負担の大きな魔法、いまのバリタに大規模な仕事は不可能に違いない。


 だが王宮からの使いの方も、簡単に引き下がることはできないのだろう。


「それでは孫娘のリップ殿に依頼はできないか」


 自分の名前が出たことで、リップは思わず浮き足立った。王宮の使者の声は言う。


「リップ殿も相応に腕の立つ跳躍術士だとの評判を聞いている。いまは一刻を争うのだ、とにかく急いで欲しい」


「いや、待ってください。娘はまだ十三歳の子供で……」


 とにかく誰でもいいから跳躍術士を連れ帰りたい王宮側の、切羽詰まった様子は伝わってくる。自分が王宮の仕事を受ける。考えただけでリップの胸は躍ったが、同時に怖さも感じていた。


 そんなリップの手に触れる物が。見れば祖母のバリタがリップの手を握っている。


「行っておいで」


「え、お祖母ちゃん?」


「これも勉強だ、一度自分で考えてみるといい。だけど忘れるんじゃないよ、おまえはお調子者だからすぐ安請け合いをしちまう。『できます』なんて絶対に言っちゃダメだ。いいね」


「……うん、わかった」


 祖母の世話を母に任せてリップは玄関に駆けて行く。見せるんだ、自分の実力を見せるんだ! その胸は早鐘を打つように鳴っていた。




 王宮前の、おそらく式典などに使う広場。テラスからはリリア王たちが見下ろしている。そこにやってくる青いバックホー、弁天松スペシャル二号機。操縦しているのはあの白いツナギを着た、モジャモジャ髪にモジャモジャヒゲの小柄な老人である。すぐ後ろに二人の自衛隊員が続いている。


「クシシシシ、早くも我が弁天松スペシャル二号機の出番じゃの」


 老人の喜びようはいささか不謹慎に思えたが、いまそんなことを言っている場合でもない。一平太はいつもの黄色い現場ヘルメットではなく、王国から支給された騎士用の兜をかぶってバックホーの前に立った。


「悪いな爺さん。バックホー使わせてもらうわ」


「爺さん言うな。ワシのことは弁天松教授と呼べ」


「へえ、ほんなら次からそう呼ぶわ。よし、交代しよ」


 弁天松教授は不満そうな顔でバックホーから降りる。


「そこは普通、どこの教授かとか気にするもんじゃろうに」


「俺は大学行ってないし、ようわからん」


 一平太は青いバックホーに乗り込むと、まず燃料計を確認した。ほぼ満タン。クローラーの動き、ボディの回転、ブーム、アーム、バケットの動き、一つ一つを確認して行く。


「クシシシシ、調整は完璧じゃろ?」


 少し離れて立つ弁天松教授に、一平太はうなずいた。


「おう、あんた何の教授か知らんけど、凄い整備士やな」


「クッシッシッシッシッ! まあワシがちょっと本気出せばこんなもんよ!」


 弁天松教授が嬉しげにのけぞって後ろに倒れそうになったとき。


 突然バックホーの斜め上に、ピンク色の人間大の光の玉が浮いた。それがゆっくりと地面に降り、ふわっと溶けるように消え去れば、中から出て来たのは華やかな刺繍入りのローブを身にまとった小柄な女の子。テラスに緊張した顔を向け、頑張って大きな声を張り上げた。


「し、失礼致します! 祖母バリタの名代としてまかり越しました、跳躍術士のリップ・リップ・ウーと申します!」


 他に何か言うべき口上はあったはずなのだが、リップの頭はすでに真っ白になっていた。テラスにリリア王が身を乗り出したからだ。王様がいる。王様の目の前に私がいる。ああ、ああ、何てこと! 卒倒しそうなリップに、さらなる幸福な出来事が。


 リリア王がテラスから声をかけたのだ。


「リップ・リップ・ウー、此度こたびのこと、よしなに頼みます。難しい仕事ですが、お願いできますか」


 こんな言葉をかけられて、もう否も応もない。笑顔のリップは大声で即答する。


「はい、できます! 任せてください!」


 祖母の心配など、もはや頭の中に残っていなかった。

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