第13話 連絡橋

「こりゃリップ! また計算の勉強サボったね! あんたって子はもう」


 やれやれ、お祖母ばあちゃんの小言が始まった。リップ・リップ・ウーはプイと横を向いて耳を塞ぐ。リップは跳躍ちょうやく術士、物や人を遠くに一瞬で跳ばすのが仕事。まだ十三歳の少女であるにもかかわらず、祖母のバリタほどではないけれど、かなりの腕利きと評判だ。


 なのにバリタはリップの仕事ぶりを認めない。あまりにも勉強不足だと日々何かにつけて口うるさく注意する。そして分厚い本を山積みにし、とにかく勉強をしろと言うのだ。


 跳躍術士とは跳躍術が使える者、言い換えれば跳躍術さえちゃんと使えれば何の問題もないはずだ。勉強なんて魔法の力がろくに使えない人間がすればいいものであって、キチンと物を跳ばせる自分が何で苦労して勉強をしなくちゃならないのか、リップはいつもそう思っていた。


 だいたいサンリーハムはいま大変な状態、あちこちが上を下への大騒ぎだ。家に閉じこもって勉強なんてしている場合じゃないだろう、何でお祖母ちゃんにはそれがわからないのかなあ。ガミガミと怒鳴るバリタの声を上の空で聞き流しながら、リップは窓の外に目をやる。今日も王宮は美しい。


 そういえば王宮では新しい兵団長を迎えて謁見えっけんの儀が執り行われるらしい。新しい兵団長はサンリーハムの外の世界から来た人らしい。これは外の世界との友好関係を示す象徴的な人事らしい。らしいらしいばかりの噂話だったが、リップには夢のように羨ましい世界の出来事だ。


 跳躍術士はいなければみんなが困るが、社会的地位はあまり高くない。王宮に上がる機会を得られる者など千人に一人もいないだろう。精霊と契約してもそんな地味な能力しか得られなかったのは誰のせいでもないのだけれど、どうせなら炎とか氷とか光とか格好いい能力が欲しかったというのはリップの正直な思いだった。


 あれ、何か静かだな。バリタの小言が聞こえない。リップが振り返れば、バリタはまだそこにいた。青い顔で沈黙して、その目はリップに焦点を結ばず虚空を泳いでいる。


「お祖母ちゃん?」


 リップが声をかけた瞬間、バリタは苦しげに胸を押さえながら膝から崩れ落ちた。


「ちょっと、お祖母ちゃん!」


「……大丈夫、大丈夫だから」


 そう言うバリタの声は、いまにも消え入りそうだ。


「全然大丈夫じゃない! お父さん、お母さん! お祖母ちゃんが大変!」


 リップが懸命に叫びを上げたとき、王宮では祝賀の空砲が鳴り響いていた。




 武器は自らの後ろに置く。左膝は立て、右膝を着く。左手は左膝に置き、右手は拳を握って右膝の隣に着ける。これで頭を下げるのがサンリーハムで王に拝謁する際の礼儀なのだと一平太はレオミスに教わった。


 似たようなポーズを映画で見たような気はするが、細かいところまでは覚えていない。とにかく世界が違っても同じような場面では同じようなことをしなくてはならないのだろう。


 とは言ってもリリア王はまだ姿を現していない。そのはずだ。一平太たちが頭を下げた時点で玉座には誰もいなかった。この状態はいつまで続ければいいのだろう。一平太が薄めを開けて隣を見ると、レオミスもゼバーマンも頭を下げたままだ。遠巻きに周囲に居るのは貴族か役人か。見知った大臣の姿もある。彼らは立ったまま顔を伏せていた。


 そこに響く衣擦きぬずれの音が二つ。誰かが――まあ普通に考えればリリア王だ――やって来たのである。


「リリア・グラン・サンリーハム王のおなりである! 皆の者、頭を下げよ!」


 男とも女ともつかない、ドスの利いた低い声。さっきレオミスに聞いた話通りなら、摂政のサーマインのはずだ。これ以上どうやって頭下げんねん、一平太が困惑しながらさらに五ミリほど頭を下げると。


おもてを上げよ」


 か細い女の子の声。その後にまたサーマインの声。


「リリア王のお言葉である! 皆の者、面を上げよ!」


 やれやれ、やっと堅苦しい姿勢から開放か。と思って一平太が隣を見れば、レオミスもゼバーマンも姿勢はそのままで顔だけを王に向けている。マジか、かえってしんどいやろ。思わず口に出かかったが、何とかそれを抑えて顔を王に向ければ、射貫いぬくような視線と目が合った。


 玉座につく少女王の隣に立つ、顔を見ても男とも女とも判断しきれない、しかし間違いなく美形の、大柄な長い黒髪。紫色のゆったりした服装からは体型も見極めることができなかった。これが摂政サーマインか。


 対して玉座の少女は小さかった。十二歳と聞いているが、それにしても小柄だ。血色がいいとは言い難い白い肌に、少しクセのある金色の髪。しかし聡明なのは間違いなかろう、興味深げな目が一平太を見つめている。一平太が小さく微笑むと、その目に新鮮な驚きが広がった。


「これよりリリア王謁見の儀を執り行う。はじめに新任兵団長、イッペイタ・ネギ」


 ここは返事だけするんやったな。事前のレクチャーを思い出しながら、一平太はサーマインの言葉に「はっ」と返した。するとサーマインがこう言う。


「貴公の目覚ましき武勲、賞賛に値する。よってここにリリア王の名の下に蒼玉の鉄騎兵団を創設、団員百名を一任するものなり。その働きいかんによっては」


 しかし言葉は最後まで続かなかった。突然一人の騎士が玉座の間に飛び込んで来たからだ。


「急報! 急報にございます!」


「何事ですか騒がしい!」


 サーマインの叱責に、騎士は直立不動の姿勢を取りこう叫んだ。


「千里眼によりますれば、ここより南方の大橋に魔竜出現とのことであります!」


 南の方の大きな橋、どこや。明石海峡大橋は西やから……一平太は一瞬迷い、そして思い出した。


「関空連絡橋か!」




「関空警察から一報、関空連絡橋の中央付近に竜の群れが出たそうです」


 務めて冷静に伝えた秘書の言葉に、保岡大阪府知事は軽く目眩めまいを覚えた。とは言え、いまの段階で自分にできることはあまりない。


「すぐに危機管理室を立ち上げ、防衛省に害獣駆除で自衛隊の出動要請、合わせて信太山駐屯地に一報を入れてください。連絡橋の道路は通行止め、鉄道も運行禁止措置を依頼してください。あと泉州地区の各自治体には関空に近づかないよう防災無線で広報するようにと」


 それだけ言って保岡府知事は立ち上がった。後は被害状況が判明しなければ動きようがないのだ、とにかく危機管理室に移動して情報を待つ。


 しかし秘書は保岡府知事を追いながらこうたずねた。


「マスコミ対応はどうしますか」


「あ、忘れてた。えーっと、記者クラブには危機管理室まで来るよう伝えてください。追って会見を開きますから」


 クソ、頭が回らん。昨日の今日やぞ、もうちょっと時間的に余裕くれてもええやろ。保岡府知事は心の中でそう愚痴ったものの、そもそも誰に文句を言えばいいのかわからなかった。




 何度目かの落雷があり、ハープのような不気味な音が周囲に鳴り響く。落雷のたび、関空連絡橋下り車線の真ん中に増える歩兵竜。もう二、三十匹にはなっているだろう。


 関空警察は三百メートルほど離れた位置にバリケードを設置したが、もちろんこれで空港への侵入を防げるとは思っていない。いまはただ一人でも多くをビルや駅舎の高層部に誘導し、後は自衛隊が一刻も早く到着してくれることを祈る以外になかった。


 しかしバリケードの内側で監視する警察官の祈りを打ち砕くような大きな落雷。そしてハープのような音と共に竜の群れの中へ姿を現したのは。


「と……トリケラトプス?」


 全身に緑色の鎧をまとった三本角の巨竜が雄叫びを上げた。




 前日、政府主催の晩餐会場に歩兵竜が現れたことをきっかけに、自衛隊内に即応体制は構築されていた。ただし物理的な距離を縮めることはできない。もっとも近い陸上自衛隊信太山しのだやま駐屯地から高機動車を使っても、関西空港まで三十分はかかるだろう。


 まして害獣駆除名義とはいえ実戦であり、武装も最低限度ギリギリとは行かない。それなりの装備を揃えるには相応の時間もかかる。第三十七普通科連隊長は防衛省からの指示を待つことなく、大阪府からの一報があった時点で準備を始めたが、それでも一分二分でとは行かないのだ。


 そこに大阪府警から一報が入ったと連隊長に報告が上がる。


「トリケラトプスだと?」


 厳密にトリケラトプスであるかどうかはこの際どうでもいい。問題はそのように見える三本角で四足歩行の、他の歩兵竜より遙かに巨大な存在が出現しているという事実である。そう、まるで戦車のような。


 出撃する第一中隊には無反動砲を装備させているが、軽対戦車誘導弾も必要かも知れない。いや、迷っている時間はない。ある物は可能な限り持たせればいい。後に政治家や国民から叱責があったところで、それはまたそのときなのだから。


 連隊長は命令を捕捉した。

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